何となく、ドラマの感想を書いたので、アニメの感想も書いておこうかなと・・・・。
で、やっぱり「遊郭編」の感想を読み直す私なのですが、私、あの冒頭に載せておいた、あの画像を見るたびに、条件反射の様に涙がこぼれるんです。
あれは、あの四人は、誰が誰ではないけれど、やっぱり私たち四人姉妹のような気がしてしまうから。
「生きた。生き残った。生き延びた。」そんな言葉に感動しました。
いやぁ、もう本当のおばさんなので、アニメの感想はどうなの~と言いながら、なんだか熱く書いてしまった「遊郭編・最終回」の感想は
「刀鍛冶の里編」も面白かったですね。
日曜日の夜に録画しておいたものを、月曜日の夕食時に夫婦で仲良く見ていました。いや、別に仲よくだったかどうかはどうでも良いことなのですね(笑)
いったいこの柱たちは、どういう経緯で集いあったのかしらと思う時もあると思いますが、霞柱・時透無一郎って、すごく上品な顔立ちじゃないですか。それなのに家族の哀しい過去が・・・・。
死の直前まで弟を思っていた兄の心に泣けましたね。
また、恋柱・甘露寺蜜璃は、特別な力を持っていたがゆえに、なかなか普通の男性たちには受け入れられませんでした。
不死川実弥と玄弥の昔も、悲しすぎました。兄弟5人を鬼に殺されて、その鬼を倒してみれば、それは自分たちのために働き続けてくれた優しい母だった・・・。
だけど彼らには、家族の愛がそこにあったのです。
どんなに悲しい過去があっても、彼らと鬼になった者の違いがそこにあったのかもしれませんね。
そして人は、あるがままに受け入れられ生きられる場所を探し続けているのかもしれません。
半天狗と闘う炭治郎たち。そこに助けに入った甘露寺の強さを目の当たりに見た炭治郎は、彼女を
「この人が希望の光だ。」とかなんとか言って、彼女を守るじゃないですか。
なんか感動しました。受けいられるどころか、普通の暮らしでは驚かれてしまっていた、その力を大事なものと認めてくれる一言。
ジーンとしました。
禰󠄀豆子が太陽を克服することは分かっていました。きっと前にルート君(息子)に聞いたのでしょう。でもそれがいつなのかは知りませんでした。
ああ、ここでと思いました。(そうでなければ死んでしまいますから。)
禰󠄀豆子が死んだと思って号泣する炭治郎の前に、禰󠄀豆子があらわれて「おはよう」と言いました。
鬼の禰󠄀豆子にとって、この「おはよう」は驚きの素晴らしい言葉だと思いました。
「良かったね」も含めて、「良かったね。」
しかし夫殿と食卓囲んでの視聴時間では、さすがに涙は共にしていませんでした。
ところが翌日、録画を消す前に何げなく、もう一回見てみたのですが、感動が二倍に膨れ上がり、私は思わず涙を。
でもそれはどこでかと言うと、・・・・・
私は、どんな感動する漫画や小説でも、一番先に感動するのは、書いている(描いている)作者だと思っているんです。
きっと原作者の吾峠呼世晴さんは、プロットを考えていた時、またはネームを描いていた時、「やったー」みたいな気持ちになりながら、そのシーンを思い描いていたんじゃないかと、私には思えたのです。
感動している作者の姿を想像して感動している私・・・・。
そしてポロポロとなく私。
何もないところから、何かを生み出していくって、本当に素晴らしいことだなって心からそう思います。
そして物語の感想に戻りますが、里を出る時、村人たちがみな見送りに来てくれて口々に「ありがとう~」と手を振ってくれるシーンは、まるで映画のような迫力があって、本当に良かったです。
さて昨日と言う一日を、生き延びた皆様へ。
日の光が昇ったら、「おはよう。」と言い、また素敵な一日をお過ごしください。