森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

マリンタワーと氷川丸

2006-12-29 13:30:29 | ’08/12/7までの未整理日記
25日でマリンタワーも氷川丸もしばしのお別れです。
今度、またそれらに入れるようになるのは何時になることでしょう。

マリンタワーは昭和36年に完成し、ギネスにも最大の灯台として載っています。
管理していた「氷川丸マリンタワー株式会社」は、今月末で解散し、マリンタワーは横浜市に氷川丸は日本郵船に譲渡されることになっているらしいです。

 マリンタワーは開港150年の2009年に供用を目指すと横浜市が言っているので楽しみです。

 横浜の出身であるので、やはり、それなりに思い出のあるそれらです。

私の高所恐怖症の原因になってしまったのは、あのマリンタワーから8歳の時に階段で降りてきたことに、起因しているのに違いないのです。
今でも、真下がその隙間から見える鉄板の階段は苦手です。あのマリンタワーから、8歳の子供が階段で降りてくるのはきつかったですよ。何度も途中で座り込んでしまい、トラウマになってしまいました。

氷川丸では、迷子になると言う経験をしました。デッキから海を眺めていて、振り向いたら、そこに立っていたはずの父と姉がいなかったのです。少し先に行ってもいないし前後左右見知らぬ人ばかり、ジワーッと涙が滲んできましたよ。小学校にもう入っていたでしょうか。

少しべそをかきながら先に走っていくと、呑気な顔をして二人はいましたよ。
「何しているの。」と父親は言いましたよ、責めるように。何しているのはあなたでしょ、まったく。

なんだか、変な思い出ばかりのようですが、そんなことはありません。両方とも何度も行きました。


中学の時には、夏休みの宿題のために、氷川丸から見た港の風景を写生しに行きました。その時描いた友達の絵は、素晴らしくて何かの賞を貰っていました。美術の先生に、今までの中でも最高傑作と言わしめた港倉庫の絵でした。
私はというと・・・・もう建物は描きたくないと決意した・・・あの絵・・
まぁ、いいか。遠い過去のお話ですしね。


またある時、山下公園を友達と歩いていると、聞きなれた歌が氷川丸から聞こえてきました。ミーハーなので、すぐに乗船してみると「歌のトップテン」のリハーサル中でした。じゃあ、今日は夜はここから中継なんだわと思いましたね。リハーサルなので、みんなが来ている訳ではありません。ただ、浅丘めぐみさんが歌っていました。♪ 私の彼は~、左きき~  ♪
小顔で、本当に可愛い人でしたよ。

あの人とも、この人とも、あの時の友達とも、だんなとも若かりし頃行きましたし、子供とも行ったはず。あまりにも小さい時に連れて行ってしまったから、記憶ないでしょうね。

― マリンタワーと氷川丸、楽しい思い出をありがとう―


どうでもいいことですが、マリンタワーはキングギドラにたおされた事があります。

 

 


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「いまに見ていろ」

2006-12-29 01:30:28 | 同じ時代の船に乗る
 
 ―朝焼けを見たと思ったら、もう夕焼けだ。さらさらと日々は過ぎていくのだ。ただ、いつものように日々は過ぎて行っているだけだというのに、「今年最後の」と言う言葉が私を走らせる。
 だけど、その中で我らが船から去っていってしまった人たちがいた。少し遅くなってしまったけれど、私は立ち止まり敬礼をして、彼らを見送ろう。
「さよなら、楽しい時間をありがとう。」―


「青ちゃん、谷だぁ。あおちゃん、たにだぁ。返ってきませんね。寂しいです。」
谷啓氏の弔辞は胸を打ちましたね。昨日は、先週20日に亡くなった青島幸男氏の葬儀の様子が繰り返しテレビに映し出されていました。

 青島幸男と言ったら、「意地悪ばあさん」が代表作と言われてしまうのでしょうか。でも、私は彼の名前を聞くと、タイトルの「いまに見ていろ」を思い出すのです。たぶんネットを覗く人たちのほとんどはこの作品のことなんか知らないと思いますよ。この作品のことを言って
「ああ、アレは面白かったね。」と言うのは私の両親の年代の人だと思います。
1964年、なん時からやっていたのでしょうか。9時から?10時から?いずれにしてもその頃の私にとっては深夜でした。楽しみに待っていたのに、大体途中で寝てしまって、本当の事を言うとほとんど見ていないのかもしれません。

 汽車だい好きの男が国鉄に入って、巨大組織と対峙しながら生きて行くという自由奔放の鉄道マンの話だったかな・・・・?
ただ、最終回の最後のシーンだけは良く覚えているのです。

 遊園地のおサルの電車(ちんちん電車?)の駅長さんになって、もの凄く楽しそうににその電車を運転しているところで終わるのですね。
 
 理解能力のナイ幼き頃の事です。「今に見ていろ、今に見ていろ・・」と歯を食い縛って、最後に手に入れたものは、そんなものだったのかと言う驚きがあったのです。

 ですが、今思うと、自由奔放に右往左往と生きてきて、挙句組織からは外れてしまっても、それでも自分の愛するものに携わって飄々と生きていく幸せと言うメッセージが、そこにはあったのかも知れません。

 いろいろな場面でかっこ良かった青島幸男氏の御冥福を祈ります。

―そうそう、青島さん、都知事になるときの公約だけは、私ちょっといただけないなと思っていたんですよ。―

青島幸男氏のことを調べていたら、「23分間の奇跡」の訳をされていることを知りました。「世にも奇妙な物語」でやりましたよね。子供達に思想の洗脳をするのに23分しかかからなかったと言う恐ろしいお話。その小説の訳者でもあったのですね。

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