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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

3月10日☆2025

2025-03-11 01:22:51 | 梢は歌う(日記)

3月10日は東京大空襲の日。80年前のその日、空にB29が300機飛んできて、東京の下町を焼き尽くし、そして10万人以上の死者を出しました。

10万人ーその数の死者を想像できますか?

 

今日(3月10日)の私の生活は、とっても平和な1日でした。

朝早くから、通勤と通学のために満員のバスに乗り、9時25分からの映画を見てきました。ボブ・ディランの、あれです(感想は別に書く予定です。)

それから義母の為の銀行と、自分の家の為の銀行回り。

回転寿司で美味しいひとりランチ。

バスから降りて、トボトボと歩いていましたら知人に会って、思いがけずにお茶タイムを持てました。

家に帰ってから、メールのチェックなどをして、そして畑に行きました。

畑もずっと放置になってしまったので、ちょっと頑張らなければなりません。

行く道すがら、梅の花などにスマホカメラを向けたりしました。

「そう言えば、今年は敢えてそのためには出掛けないけれど、街中で花追い人をやるのではなかったかしら。」と思い出したのです。1月からずっと、もろもろと落ち着かず、すっかりとその事を忘れていたのでした。

ちょっと元気になったら、やる気も出て来て、そうすると毎日は楽しいことでいっぱいです。

 

夕食時、あまり注意して聞いてなかったのですが、夫が2回ほど「美味しい」と言っていたように思います。

そう言ってくれたことに、もっと反応しても良かったと思いました。

当たり前のように聞き流す。それはそれで傲慢なのだと思います。

謙虚な気持ち、大事なことですよね。

とってもいい1日になりそうだったのに、ばったり会った知人に、私はあまりいい話をしませんでした。1年ずっと苦しんでしまったある人との経緯について語ってしまったからでした。なかなか抜け出せないのです、その穴から。だけどあとから詰まらないことをしたと悔やみました。言うなれば自滅です。

 

楽しいがいっぱいの1日でした。そして詰まらないことでモヤモヤした気持ちになった1日でした。

 

だけどそんな1日が送れたのも、平和だからなのですよね。

確かに、今の日本は問題が山済みです。どうなっちゃうのかなって、考え出すと、本当にムカムカしてくることがいっぱいありますよね。

だけどそれでも戦争はしていないし、お国の為に誰かのために戦い死ねと言われてはいないのです。空を見上げても、雨のように爆弾は降っては来なくて、美しい青空や夜には月と星が輝いているだけ。

過去にあった恐ろしすぎる歴史を決して風化させずに、かろうじてだろうが何だろうが、この平和を死守していかなければ、人類に「進歩」なんてものは永久に訪れず、天使がラッパを吹くのを待つばかりになってしまうと思います。

 

それは風化なのか。3月10日に東京大空襲があった!

2018年に上の記事を書いてから、ほぼ毎年、3月10日の事を書いてきました。途中から2023年までツリーになっていたのに、昨年はどうしたのかなと思って、自分の記事を読んでいたら、昨年の3月10日は萩尾望都氏の講演会に出かけていて、かなり遅くの3月26日に投稿していました。

3月10日「萩尾望都先生特別講演会」

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3月4日は妹の誕生日でした

2025-03-05 01:43:03 | 梢は歌う(日記)

3月4日も雪でしたね。

でもトップ画像は、雪が舞うように降っていた3月3日に撮ったものです。

私たち姉と妹の3人のグループラインがあるのですが、その前はスノウさんを入れて4人のグループラインがありました。実は今もそのままになっていますが、彼女が居なくなってからは、そこは封印されているような感じ。ただ1年に1回だけ、開くのです。

それはスノウさんの誕生日の日。

生きていた時と同じように、「おめでとう」の文字が飛び交います。だけど違うのは、いつまでたっても「既読」の数が「2」のままなんですね、当たり前だけど。

それでもその既読の数は、ずっと後になると決まって「3」に変わる・・・・・。

いやいや、オカルトの話ではないです。彼女の夫さんが、何気なく見ているのです。閉じられていたグループラインが開いているから・・・・。

でも今年も見るかは分からないことです。もう見ないかな・・・・・。

だけどむしろ今年は見て読んでもらいたいような気になっています。

こんな事を書き込んだから。

 

『この前、久しぶりにゆきちゃんの夢を見たよ。
前に、蝶子さんの知り合いの人が、夢の中で亡くなった人がおしゃべりしている時は、まだそばにいるんだって。けっこうゆきちゃんとは夢の中で、日常的な会話をしてきたんだけれどね、最近はすっかり夢からして見なくなっていたんだ。』

『だけど君は立っていて、夢だから前後の脈絡は無いんだけれどね、私は立っているゆきちゃんの肩に手をやって言ったんだ。
「あんな大変なことを乗り越えたんだから、きっとこの先は何があっても大丈夫だよ。」って。』

『そしたらね、ゆきちゃんは振り向いて、そして言ったんだ。
だけど何て言ったかの前に一言だけ言わせていただくと、その時のゆきちゃんが、ものすごく綺麗でさ。ほらっ、私、身内馬鹿なもんで、その綺麗さに、なんかちょっぴり鼻が高くなったような気がしたよ。
でね、その時ゆきちゃんが何て言ったかと言うと
「うん。あたし決めたんだ。この先はしっかりと生きるよ。」って。』

『目が覚めて、私はすっかり悲しくなって、何が「生きるよ。」だよって思ったの。
でもその話を友達に言ったら、「生まれ変わったんだね。」って即答で返って来て、そう言うことだったのかと、また私はちょっぴり泣いたんだ。』

『ゆきちゃん、おめでとう。
世界のどこかで、また幸せな思い出をたくさん作ってくださいね。』

 

この書き込みに、姉の蝶子さんも妹の名都さんも泣いてくれました。

そして私もまた、ちょっとだけ泣いた・・・・・・

 

「泣いた」と書き込んだら、あることを思い出したのですが、実家の近所の家に、親の介護のために息子君が帰ってきたみたいです。その息子君は、なんとスノウさんの同級生だという事が挨拶の時に分かって、姉が彼女が亡くなっていることを伝えたんです。するとその男性は、

「知ってます。クラスの連絡網で流れてきましたから。」と言ったと言うのです。

 

スノウさんが以前、かなりさりげなくだけれど、中学のクラスはみんな仲良しだと自慢していました。そして定期的にクラス会を実施していたのです。

ある日、これまた近所のスノウさんの同級生のお母さんが私の母に会った時に、お礼を言われたそうです。

「うちの子、クラス会なんていまさら行っても楽しいかなと不安だったみたいなんだけれど、凄く楽しかったと喜んで帰ってきたのよ。ゆきちゃんのお陰です。」って。

スノウさんは少々ホステス気質みたいなところがありました。

私は時には、それが騒々しく感じる時もあったのですが、そのお礼の話を聞いて、きっと誰一人ポツンとさせることなく、みんなを巻き込んで楽しい時間を作っていったんだなと感心していました。でもそれを口に出して、彼女に伝えたことがあったかしら・・・。

だけど「クラスの連絡網で流れて」の言葉を聞いた時,「そこまで!」と胸がいっぱいになり涙がこぼれました。

「凄いねぇ、君さ。」と手を取って褒めてあげたい、スノウさんを。

 

でももう叶わないー。

涙は会いたいけれど会えない寂しさからと言うのもあるけれど、悔いの気持ちからと言うのもあると思います。

だから好きな人大事な人には、ちゃんと口に出していっぱい褒めてあげましょう。すぐに忘れてしまう悟れない私ですが、そう思った今日だけでも、私の言葉でほんのちょっとの幸せを配ることが出来たら、それはそれで私にとっても幸せな事なのかもしれませんね。

 

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幸せな誕生日☆2025

2025-03-02 02:43:42 | 梢は歌う(日記)

トップ画像は我が家のあんずさん。起きているのか寝ているのかの中途半端な目ですが、幸せな眠りの猫さんの図です。

 

2月最後の日、私は洗濯を干しながら、ふとあることを思い出し夫に言いました。

 

1月、いきなり衰弱が始まった義母が、「何でこんなことに。」とボヤいていました。

それを「だってそう言う年齢だし。」とは言いませんよね、普通は。時々答えを見つけるのに困る質問ってあるじゃないですか。

だけど私は言いました。

「それは1月が、お義母さんの誕生月だからよ。我が家では昔から、母が『誕生日月は油断しないで気をつけろ。』言っていましたよ。」

事故とかからも気をつけなくちゃいけないわけですが、何となく体調が悪くなったりするのも誕生日月が多いと言うのが、私の母の理論なのです。

実際にも子供の時、母が誕生日会用のご飯を作り、祖母までも夕食時に遊びに来たと言うのに、肝心の私は寝込んでいた時がありました。そんな私に仕方がないよと言いながら、祖母も母と同じことを私に言いました。

これって、我が家伝統の考え方なのかもしれません。

だからその事を義母に言うのってどうなんだろうかと思いつつ、1月から急激に弱った義母に返す言葉を失って、私はそれを言いました。

すると義母は、「ああそう言うよね。そうか、そうなんだね。」と納得してくれたのでした。

「そう言う」と言う言葉にも、少々驚きましたが、そんな返しに義母が納得してくれた事が、何となく嬉しく思ったのでした。

 

という事を、夫に話す私。

すると夫も、私の話を否定せずに「俺も誕生月は何となく調子が悪い。」と言いました。

 

すると2月は、確かに楽しいことも多くあったけれど、全体的に不調でした。

トドメはコロナにかかると言う、なんか悔しいシメでもあったように思います。

コロナの話、どこにも書きこんでなかったかしら。

コロナ体験記の話は、また今度(笑)

 

実は2月と言う短いけれど1年で一番寒いこの月が、意外と好きです。

それでも気をつけなくちゃならない誕生月という視点で見たら、「ああ、行った行った。バイバーイ。」と言う気持ちにもなりますよ。

 

さあ、もう3月だ。復活するぞ。春も近い。



下の囲みは、昨年の誕生日の投稿です。

 
幸せな誕生日
2月1日、また歳を一つ重ねました。 下の囲みは昨年の2月2日に投稿したものです。昨年2023年の誕生日は病院で迎えました。最悪だと思いましたが、いつも通り姉妹から......
 



これと言って何もない一日。だけど、やっぱり姉妹たちからのラインが入り、そして今年は姉が母の「おめでとう」と言っている動画を撮って送ってくれました。

なんかすごく嬉しかったです。

母からのおめでとうコール。電話の嫌いな母が、頑張って贈り続けてきてくれた電話でした。ずっと当たり前のように感じていた誕生日のいつもの光景でした。

でも「当たり前の誕生日のいつもの光景」ではなくなってしまいました。

失ってから気がつくものって、てんこ盛りでたくさんあると思います。これもその一つ。

だから姉のその配慮がとっても嬉しくて、スマホカメラに向かって「おめでとう」と言ってくれている母の姿が、とっても愛おしく感じたのでした。

 

友達からのラインと夫からのおめでとうの言葉で、私は満足。幸せな誕生日を今年も迎えることが出来ました。

 

 確かにちょっと美味しいランチを頂いたけれど、これって別に誕生日だからじゃなくて、夫との普通のランチ。

いやぁ、もう、誕生日だからってお気遣いなく。

勝手に自分でお祝いしときますから。そっちの方が怖いかも(笑)

 

下の囲みは昨年の2月8日の事を書いた記事です。

しみじみとしみじみと思います。

あの時、「白寿」をお祝いしといて、本当に良かったと。

百歳のお誕生日会は、たぶん出来そうもありませんから。

 

 
99歳の義母と私の誕生日会
そりゃ、あなたね、自分の母親にだって言いたいことはいっぱいあるのですから、ましては元は他人で、言っては何だけれど、うちの母より数倍気が強くて自分中心で、自分偉いの(言いたい放......
 

・・・

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バレンタインの今日は

2025-02-14 23:58:32 | 梢は歌う(日記)

私は朝の珈琲を飲みながら、ツイッター(X)やブログを読むのが毎朝の日課です。

活字で目が覚めるタイプなんですね。

14日(今日)の朝、いつもの通りツイッターを開くと、一番最初にバレンタインネタのイラスト漫画に目がつきました。それを見て、

「あっ、いけなーい !!」と、おもむろに立ち上がった私に、

「どうしたの!?」と夫の声をかけてきました。「いけない!」などと言って席を立ったので、何事かと思ったのでしょう。

「いや、これを取りに行っただけです。はいどうぞ。」と別の部屋に隠しておいたチョコレートを、朝のうちに無事に渡すことが出来ました。

 

すると夫は、

「ありがとう。今年から廃止になったのかと思ったよ。」と言ったのです。

「朝、私が何も言わないから、そう思ったの ?」

「まあね。無いならないで全く良いんだけれどね。」と彼は言っていたけれど、少しは気になっていたのねと思いました。

 

やっぱり家族チョコの惰性チョコであっても、「毎年の欠かされなかったイベント」と言うものには、それなりの重みがあるのかも知れませんね。

なかなか予定が取れなくて、それなりのお店に買いに行けませんでした。

だから今年はコンビニチョコでした。

それでも買っておいて良かったなと思いました。

 

コンビニでチョコを買うのも良いなと思ったことがありました。

実は今回、自分チョコも買ったのです。

 

私、この猫に弱いんです。プリッとした猫にゃん、可愛いじゃないですか。

  おまけ付きです。

イラストから、チョコドーナツが1個入ってるのかしらと思っていたら、ちゃんとしたチョコレートが5個くらい入っていました。

お値段も高額ではないので、可愛らしいから、友チョコとかに良いのではないかしら。

パパさんとルート君にあげたのは

 

仕事に行く前には、ルート君には渡せませんでした。

机の上に置いておきました。

食事のあと、

「さっき言い忘れたんだけど、チョコ、ありがとうね。」と言ってくれました。

今回、離れて暮らすラッタさんには買わなかった。次に会うまで、コンビニで買ったチョコを後生大事に持っているのもなんか嫌だと思ったからです。

会うと予定が決まった時に、その時に何か美味しいお菓子を買ってあげることにします。

 

そう言えば、ほんの数年前にはマンションのお世話になっていた人、サークルの人たち、家に来る子供たちにも渡していたチョコレート。

なにげなくこんなイベントも、生活と共に縮小化されていたのですね。

それでもそれなりに、楽しいイベントだったなと思えて嬉しかったです。

 

トップ画像は、手賀沼の風景です。

お友達に連れて行ってもらいました。

見上げたら

真っ青な空でした。

 

そしてランチ。(「程々」にて)

 

 

今日と言う日は、私にとってはそんなに大きな一日ではないかもしれません(拓郎さんの歌詞ですね。)

それでも幸せな一日だったと言えると思います。

 

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1月の暮らし☆2025

2025-02-08 00:47:34 | 梢は歌う(日記)

今年は少し、頑張ってあまり月を遅らせずに、1か月をまとめていきたいと思います。

それで最近ドラマ感想を続けて書いてしまいました。

と言うのも

なんたって1月の私は、義母と抜糸と・・・・そんな事で終始していたからです。

ああ、そう言えば、シュガーレディをやっているお友達に近況&注文の電話を入れた時、「1月は母と歯と、畑で、みんな『は』だったわ。」と言ったのでした。

畑と言うのは、前にもさりげなく記事に書き込みましたが、面積を増やし、それの借りたり前のところを返すと言う話をしたりしていたからです。

借りると言うのは言いやすいことですが、返すと言うのはちょっと気を使いましたから。

そんなこんなで囲みの下は、ささやかな生活でささやかな満足を得て、幸せな毎日を送っている私の日記です。

ただし、疲れています。それは生活疲れではなくて、単なる加齢のせいなのか!?

正解はいらないな^^

 
1月の暮らし☆2024
もう2月も3分の2が過ぎたと言うのに、今頃1月のまとめです。確かにタイムリーなことは書けない場合もありますが、でもこれを私が読み返す時は、今よりも時間が経ってから。いつ書......
 

 映画

1月に見た映画☆2025

 

 ドラマ

 ・アガサ・クリスティー 「殺人は容易だ」を見ました

 ・「十角館の殺人」を見ました。

 ・ドラマだって食わず嫌いはダメと思いました。

他には「スロウトレイン」。

やっぱりNHKオンデマンドで草薙君の「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」も見ました。

ドラマ視聴が多いので、おうち映画の数が減るのは、仕方がない事でしたね。

 

 読書

「人はどう老いるのか」を読みました

 

 陶芸日記

なんだかんだと楽しんでいます。

義母には

 これを。

母には

  これをプレゼントできて良かったと思っています。

私自身は

 これを使っています。上手下手は関係なしで見てくださいね。

お正月前、我が家には不釣り合いなくらいな大きなアレンジメントを習ってきました。

 

花が枯れかかった頃、アレンジし直しました。

 

その他の作品は

 なんか気にいってます。

それから

「白蛇伝」。ヘビ年なので作って飾っています。これ、姉妹はすぐに分かったのに、私の周りの友人で分かる人はほとんどいなかったです。

正直な気持ちで言うと、ちょっと寂しい気持ちになりました。だから私、ブログをやってるんだと思います。このプレートの事だけで、ワン記事、書きたかったかもしれません。(コメント欄を閉じているのは、ちょっと矛盾しているかもしれませんね。)

 

作成中。白い粉は片栗粉です。ここまでやったら安心して放置中です。

 

 畑日記

 

瑞々しくて、とっても美味しかったのに、畑が小さくてあっという間に終わってしまいました。

畑を広げたいなと思った理由がそれだったかも。

地獄の夏を、今は忘れている私です。

夏の畑は、暑いばかりではなく、雑草地獄。そして虫たちのパラダイスですものね。

 毎日の日記

1月1日の日記は↓

まだハタチ前

歯を抜いて、落ち込みました。↓

馬鹿で愚かで阿呆な私をゆるして。

それでもささやかな毎日には、ささやかな発見と幸せが。↓

なぜケーキを二個食べたのか

冒険少女の気持ちで散歩する

時には空を見上げるだけでも。↓

空は裏切らない美しさ

1月は行事がいっぱい。

 数年前から「草」は止めてセブン雑炊です。美味しい鶏肉も卵も入れます。入っている野菜は、みな畑で取れたものです。

 11日、うっかり忘れてしまったので、12日に作った鏡開きのお汁粉です。

5日。夫とルート君と一緒に行ったはま寿司。最近くら寿司よりも気にいってる模様(夫が)

ピアノのお稽古に行ったはずなのに、なぜかランチして帰ってきたダメな私。でもこの日は尊敬してる会いたかった人に会えて満足しました。背筋がピンしゃんとして、いくつになっても前向きな人は素敵ですね。

星子さんとランチ

 

今日は早く帰ろうと思っていても、いつも暗くなるまで話してる(笑)

でもこの日は「ローハンの戦い」を見た後で待ち合わせをしたから仕方がないね^^

近所のサイゼリアで、近所のお友達と、本当に久しぶりに会いました。なんか、この文章、どこかで書いたなぁ・・・。久しぶりに会えた友達、やっぱりお話も合うし気分が良かったです。でもこの時、そこに居た別の人の会話に、違和感バリバリでした。いわゆる嫁の悪口。とても一緒になって「そうよねぇ」とは言えないものでした。

頷いてあげなかったからか、いつもすぐに電話が来たりメールが来るのに、まったく来ない。それは関係ないことかも知れませんが、その時の彼女の話を思い出すと不愉快になるので、距離と時間をおいてくださるのは寧ろ嬉しいと思っています。

 

 義母日記

真夜中の電話に震えました

阿修羅か菩薩か、それが問題だ。

ポツンと座って居た。
 
最近施設に用があってその帰りに、夫とガストに寄ってくることが多いです。
 とか
 
 大人のお子様ランチプレートとか、面白いですね。
 
 

 次の事を考える

2025年を漠然と考える

上の記事に「若葉の頃の水元公園に行く」と言うのを書き忘れました。

また、あとから興味のあるものが出てくるものですね。

豊洲のラムセスミュージアムにての「ラムセス大王展」

3月8日から9月7日まで。ただこれ、お値段がお高いのですよね。思わずケチになってしまいます(;^_^A

また皇居三の丸尚蔵館にての「瑞祥の形」

でもこれは3月2日までで、ちょっと行く日にちを決めることが厳しいかもしれません。

 

というわけで、なんか地味ではあったけれど、私の1月はまあまあ楽しかったと思います。

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「12月の暮らし」と2024年のまとめ

2025-01-31 11:51:08 | 梢は歌う(日記)

昨年も1月30日に12月のまとめやら、2023年のまとめやらを書いていたようです。

じゃあ、今年もそれで良いやと思っていたわけではありませんが、結局そうなってしまいました。

今年の初めに書いた記事。

→「はねのける !

2024年は年の初めから大きな地震があったり、驚くような飛行機事故があったりして、不安な気持ちの幕開けになりました。今も何も解決していない被災地。いったいこの国はどうなってしまうのかしら。だってそれって国力がない表れじゃないですか。そんな国に成り下がってるのに、昔の勢いがあった時みたいに、あちらこちらの国にばらまいているのはなぜなの。ばらまきが政治ではないと思うのだけれど、それでも同じようにばらまくならば、物価急上昇なのに給料が上がらないで苦しんでいる国民に配りなさいよって思うのは当たり前のことではないのかしら。

本当に、いろいろ考えるとムカムカしてくるので、今はその話題は止めておきますね。

私自身においては2月に仕事を全部やめました。

未練がないわけじゃないけれど、これに関して言うと、根拠のない自分の勘を信じようと言うところなんです。

そして「次の準備」をする。次の季節のために。

いつも1年の初めに何げなく決意した言葉が、その年の大事なキィワードになってくることが、私の場合は多々あるのですが、今思うと、まさに昨年もそれだったと思います。ある人の事で、なんでそんなに気が重くなるのだろうと4月からずっと長い間苦しんでしまいました。

「はねのけろ!」と予言の言葉を呟いていたではありませんか。^^

 

そうすると、2025年は「頑張っていたほうが人生は楽しい」でしょうか。


下の囲みは、上にも書きましたが昨年の1月30日に投稿したものです。
そしてその下は2024年の12月のまとめと、ついでながらのざっくりした、2024年のまとめです。



 

 
「12月の暮らし」と2023年のまとめ
※ブログ的には、今頃12月と2023年のまとめもないだろうと言う感じなのですが、私的には大事な確認の作業で、なんだかやっと2024年に進めるような気がします。 202......
 


 映画

12月に見た映画☆2024

そして

2024年に見た映画のまとめ

 

 お芝居

相変わらず家ではなかなか見られません。

でも2024年は、→「中村仲蔵―歌舞伎王国下克上異聞ー」を観ました。

と、→「ハリーポッターと呪いの子」☆2024

を見られたので幸せでした。

その他には→「ゲキ×シネ『天號星』」

唯一家で見たのは→wowowで舞台「パラサイト」を観ました。

少ないですね(;^_^A

今年はもう少し数を増やしていきたいかなと思っています。

 海外ドラマ

12月に海外ドラマで「キャッスルロック」を見ました。感想は書いてません。以前、録画し忘れが多くて視聴を諦めたものだったので、アマプラで見られて嬉しかったのですが、少々分かり辛かったです。全10話。「スティーヴン・キングが得意とする多元的世界を描いたミステリー・ホラー」です。

 

2024年は、なにげに感想をたくさん書いていました。

北欧サスペンス「エンド・オブ・サマー~消えた少年~」 (全6話)

クリミナル・マインド/FBI vs. 異常犯罪:エボリューション

このドラマにはリードは出ていません。だけど彼の情報を書くと、ドクター・スペンサー・リードのマシュー・グレイ・ギュブラーは「アインシュタイン ~天才科学者の殺人捜査~」のアメリカリメイク版の主役のアインシュタイン をやるのですね。なんかそれも楽しみですね。そしてクリマイのシリーズ3には、彼が戻ってくるのですよ。でも1話だけ。それは嬉しいけれど、寂しいかもしれませんね。

ヨークシャーの切り裂き魔事件~刑事たちの終わらぬ苦悶   

社会派サスペンスでした。

「バッド・アンド・クレイジー」  韓国ドラマ「絶対彼氏」完全版  「運命のように君を愛してる」

「私の夫と結婚して」青春ウォルダム~運命を乗り越えて朝鮮弁護士

そしてようやく韓国ドラマの沼から脱出しました(笑)

名刑事コールマンの捜査と子育て両立奮闘記

実は感想を書いていませんが「ヴェラ~信念の女警部~」のシーズン12の後半、そして「主任警部モース」も見たのです。

「ヴェラ~信念の女警部~」は好きすぎて感想を書けなかったのかも知れません。

「主任警部モース」は長いから、何を書いていいのか分からなかったのかも(;^_^A

音楽は、この時からずっと同じだったのだなとしみじみと思いました。

6月ごろは、またも「名探偵ポワロ」を見ていました。「五匹の子豚」「ABC殺人事件」など、見応えがありました。

 

  日本のドラマ

season物は秋以外はここではスルーしますが、それでも「相棒」以外でも2作品は感想を書きました。

「全領域異常解決室」#10

1話から10話まで感想を書きました。藤原竜也さんは私の推しの人ですから(笑)

「海に眠るダイヤモンド」、良かったですよね~!!!

秋seasonは全部良くて、久しぶりにまとめ記事を書いてしまいました。

秋seasonのドラマは、豊作でした💛

 

と、ここまで書いて、ふと冷静になりました。

つまりこんなことやってちゃいかんッてな気持ちになったのです。この作業は、意外と楽しいのですよ。

いろいろと思い出すことも出来るわけですから。しみじみとしたりもするのですよね。

だけど今日と言うか今はダメかな。

たぶん楽しいのは自分だけだし(笑)

ただ感想を書かないものにも良作がたくさんあったなと思っています。wowowのドラマやnhkのドラマなども深い作品が多いと思いました。

ここからは過去記事リンクなしでいこうと思います。

 

 読書

やはり感想は書いてません。でも田村セツコさん大好きです。読んでいて元気が出ます。でも正直に言ってしまうと「しらが」ではなく「はくはつ」にして欲しかったなと思います。(笑)(笑)

図書館で借りて、読み切れずかえしたものもありますが、読み切って感想を書いたのは、12冊。美術館で読み終えたのと感想を書かなかったのも含めると16冊。

だけどそのうちの7冊がエドワード・ゴーリーの絵本でした。言うなれば嵌ってしまったのですね。読み切れずに返却した本も「どんどん変に」と言う彼のインタビューの本だったのです。とにかく彼はバレエを愛しお洒落で素敵な男性でもありましたね。


 漫画

「光る君へ」の影響で「あさきゆめみし」を読み直しました。だけど源氏が亡くなってしまった後の物語は、敢えて残しておきました。読み終えてしまうと寂しく感じるからでしたが、12月には残りを読み終えました。これ、不思議な気がしました。あまりのヒット作品で止めるにやめられずに紫式部は無理やりにこれを書いたのでしょうか。なんだか別の人が描いたと言う説にも頷けるような気がしてしまいます。子供たちの物語・・・・。一言で言うと、男たちが皆自分勝手なクズ・・・・・に感じました(;^_^A

 

私は数年前まで、新しい人の作品を読めませんでした。

でも漫画サイトのピッコマを登録して、それが出来るようになりました。

感想を書いたのうちの「「うらめしや」を読みました。」と「コレットは死ぬことにした」は出会えて良かった作品でした(過去記事リンクしてしまいましたね(笑))

しかし最近になって、私の中で5本の指に入るくらいの押し作家になった青池保子さんの作品の感想を、まったく書いてないってどういう事かしら。

あと「ゴールデンカムイ」「鬼滅の刃」全作最後まで読みました。

萩尾望都氏の古い作品も2作品読みました。望都氏の活躍は凄かったですね。

 

 アニメ

そう言えば「推しの子」のシーズン2を見たのは12月だったかしら。

何となくめんどくさい気持ちになっていて、なかなか見なかったのですが、見始めたらお芝居好きの私にはドはまりに嵌るような内容で、凄く良かったです。がラストが不穏。しかし原作は終了してしまっているみたいで、映画ではそこまで描いているのでしょ。アマプラで実写版のドラマを見ていなかったので、映画は見に行かなかったのですが、けっこう評判も良いみたいで、今は逆に気になってます。

 

「鬼滅の刃」も柱稽古編も見ていました。それが凄く気になるところで終わってしまったので、気になりすぎて原作を全話読んでしまったのですね。

そう言えば「葬送のフリーレン」「薬屋のひとりごと」に嵌ったのも2024年だったのよね。

ありがとう、新しい時代の天才たち。

おばあさんも(自虐・(笑))楽しんでいて、幸せな気持ちになっています。

 

 お出掛け

またも記事が間に合わなくて書いていませんが、12月は久しぶりに野田市散策をしました。

ひとりでフラフラしたのですが、かなり楽しくて、遅れてでも記事にしたいと思っています。

 

2024年もいろいろな所へ行くことが出来て幸せでした。

星子さんとは春に富岡製糸場と軽井沢に行き、秋には吹割の滝とロックハート城に行きました。姉妹では仙台に行き、平泉をひとり旅。横須賀に子供たちと行って楽しんだりしました。美術館にも多数行くことが出来ました。

かなり充実していました。

 

 陶芸と畑

まっ、自分なりに頑張ったとしか言うことがありません(笑)(笑)

それで時間に追われ、何やってるのかな、私と言う気持ちに時々なりましたが、どうも両方とも好きみたいで、止める気にはなりません。

 

 ラジオ

12月には何もなかったので、最後になってしまいましたが、2024年は拓郎さんのラジオが二回ありました。

「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」

9月13日の吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD

何となく忙しさにかまけて、まだ「吉田拓郎」を楽しみ切っていません。買ったミニアルバムも、実は未開封。

 

 

2024年の半分は体調が悪かったと記憶していますが、それでも体調が悪いと言うことを大切にせずに、日々の暮らしを楽しんでいたと思います。

雑なおまとめになってしまいましたが、2025年も頑張ろうと言う気持ちになりました。

一日ひとつ楽しいことがあれば良いなと思っています。

さてさて、今日はどんな一日になるでしょうか。

 

1月の暮らし☆2024

2月の暮らし☆2024

3月の暮らし☆2024

4月の暮らし☆2024

5月の暮らし☆2024

6月の暮らし☆2024

7月の暮らし☆2024

8月の暮らし☆2024

9月と10月の暮らし☆2024

11月の暮らし☆2024

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空は裏切らない美しさ

2025-01-28 22:55:03 | 梢は歌う(日記)

今日もまた歯を抜いてきました。

少し諦めの境地に至らないと、やっていけないような気分です。

ああ、もうおばあさんだ!!!

と嘆きつつ、「まっ、いいか。」みたいな気持ちにすぐになる。

ずっと同じところに居られないのが、人生の生きる道なんだから。

 

そう言えば義母、100歳でも入れ歯なしの自分の歯なのよね。

70歳で死んだ舅は、私くらいの時は歯がボロボロで固いものが食べられなかったの。

その事を考えるとですね、歯と寿命は関係があるかもしれませんよね。

と言うことは・・・・・・・・

私の場合は、もうもっとちゃんと人生を見つめて行かなくちゃ駄目なんじゃ・・・・・こわっ

 

この前本当に久しぶりに、昔からの友人4人が揃いました。

その時に、「人生100年時代って言うのは、私たちの母たちの時代の人たちの事を言うのであって、私たちの時代は違うわよね。」と言う話題になりました。

なんたって身近な友達が60代で3人も居なくなっているのですから。

「まずは70歳になるのが目標だわ。」と私が言うと、その友人は

「大丈夫よ。ちゃんと大丈夫って伝わってくるわ。」と言いました。

「父が死んだ83歳は越えたいな。」と又言うと、やはり彼女は「大丈夫よ。」と言い、そして

「そんなオーラが出ているもの。」と付け加えました。

 

そんなオーラって、それは生命力ってことかなと嬉しく思いました。

 

ところで1月は歯医者通いや義母のあれやこれやで、友人とのランチも少ないし、どこかに行くと言うこともほとんどない私です。

それでもたまに見上げた空が美しくて、ただそれだけで幸せな気持ちになるのでした。

 

トップの画像は、実はお友達が写したものなんです。

畑で畑仲間さんとおしゃべりをしていました。

そこでちょっと踏み込んだ話をした時に、ふと見上げると空に輪の虹が見えたのです。

「あっ、虹が。」と言うと、そのお友達が、「凄い、凄い、霧島さん(私の事)。」と言いました。

いやいや、凄いのは空であって、私じゃないですよ~。

 

虹だと思って、ちょっとだけ離れたところにあるスマホを取りに行っている間に、その虹は消えてしまったのです。

お友達もギリギリでしたが、うっすらと写っているのが分かりますか?

 

虹は消えてしまいましたが、その時撮った日の光の画像です。

 

 

そして今日、歯医者の帰り道、あまり元気と言えない私に届いた画像は

 

(友達撮影)

綺麗な青の空と藍色の雲と、そして光・・・・。

見ていたら元気が出てきました。

それに影響されて、私もマンションの階段から夕焼けを撮りました。

 

 

明日も頑張りましょう。

そして明日も良い日でありますように。

 

 

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冒険少女の気持ちで散歩する

2025-01-23 17:43:12 | 梢は歌う(日記)

冒険少女の気持ちで散歩する。

もちろん、少女の部分には(元)がつくわけですが、いつだって外に行く時には、そんな気持ちを心の片隅に持っていることは大事なことなのではないかしら。

冒険少女と言ったって、森の奥深くに旅に出るわけではないし、河の淵を歩き回って、名も知らぬ植物採集に勤しむわけでもありません。

ただそんな気持ちを微かにでも持って、街を歩くと、やっぱり楽しいことに出会うような気がするのです。

 

23日、夫に頼まれた印鑑証明を取りに市役所の出張所に行きました。

今は自転車にあまり乗りませんので、バスで行きました。

ご用はすぐに終わってしまったわけですが、それだけで帰るのもつまらないなと思い、銀行に言って小銭を入金してきました。

50枚ずつしか受け付けてもらえないので、3つの通帳に入れて、全部で600円の預金です。

家の中の整理整頓も、そんなところでもやっています。

 

予定では、駅にあるパン屋さんでパンとコーヒーのランチタイムを取ろうと思っていました。

でもそれはいつもやってることなので、やっぱりつまらないなと思いました。

確かこっちのほうに、素敵なカフェがあったんじゃなかったかな。

トボトボと行ってみると、お休みだったのか、それとも完全に閉店なのか、ドアは固く閉じられて看板も出ていませんでした。

明るいお洒落なお店だったのにー。

 

最近、こちらの方に来てなかったなと思いました。

ああ、あのお店でイタリアから買い付けてきたと言うネックレスを買ったなー。

英会話教室で知り合った人のお店でした。今、訪ねても、私の事を覚えているかしら。

ああ、あの先生は、まだ変わらずに頑張っているのねー。

昔やっていた同業のホームスクールの看板に、懐かしさを覚えます。

変わらない風景。

だけど変わっていく街並みー。

 

トボトボと歩いていても、夕方から開くお店やお弁当屋さん、美容院に歯医者しか見つからず、駅に戻ろうと思いました。

と、その時、「軽食とおそば」みたいな張り紙があるお店に目が留まりました。

「営業中」と書いてありました。

そう言えばこのお店、なんだかずっとあるような気がすると思いました。

小さなお店で、入り口の前の駐車場に車が止まっていると、心情的になんだか入り辛いような気がしました。

こう言うのって、デザインの専門学校などに行くと、入りやすい店のデザインをするという課題などで学ぶそうですね。

 

でもここで、私の冒険少女の気持ちが動いたのです。

「知らないお店に入ってみよう。」と「いざ!」と言う気持ちになりました。いや、そう書くのはちょっと大げさですね(笑)

お店の中に入ってみたら、店内も狭かったですm(__)m

決してお洒落とは言い難い m(__)m

でもお花がいっぱい飾られていました。

お客さんが描いたのでしょうか。お店の水彩画も飾られていました。

 

メニューと言うものを持ってきてくれる雰囲気ではなかったので、壁にかかっているお品書きから「親子丼セット」を選びました。お店に「おそば」と謳っているので、おそばも食べてみたいと思ったからでした。

狭い店内に年配の常連さんが、来ていました。

しばらくするとその常連さんが私の名前を呼んだのでドキリとしました。「あの車、××さんよ、きっと。ほらっ、当たった。」と車の影で、入ってくる人を当てていたのです。その人もその常連さんと相席になって、今日の出来事を話しだしました。

私が入ったことで、「もう行くか。」と帰ったご夫婦もいたので、なにげにこの小さなお店は繁盛していたのです。

親子丼もおそばも美味しかったです。

私はお水を貰って、朝飲み忘れた薬を飲んでいました。朝の分の薬は9錠と数も多いのでした。

ちょうどその時、そこに先にいた人たちよりかは、多少若い感じのご婦人が入ってきました。生保レディでしょうか。働くご婦人という感じがしました。

その人は奥にいた常連さんに挨拶をしました。

「久しぶりじゃない。」とその人は言いました。

「ええ、ちょっと。」とその人は言って、またお店の人に声を掛けると、お店の人も奥から出て来て

「なあに、久しぶりじゃない。」とまた彼女に言いました。

 

この小さな店内の和気あいあい感に、凄いなと思いました。

このお店の前は何度も通ったことがありましたが、こういう世界が広がっていたのだなと思ったからです。

みんな知り合い。その中で私だけがよそ者です。

でも感じのいい空間でした。

さぁ、帰ろうかなと思った頃、お店の人が私に

「薬ばかり飲んでいないで、このおみかんをお食べ。」とミカンを1個、目の前に置いてくれたのです。

 

 

その方は、我が母よりかは若いと思いますが、それでもたぶんずっと年上の人。

驚きながらも私には、その言葉がとても優しい言葉に感じて、嬉しくもなり心が温かくもなり、満足しました。

「知らないお店に入ってみよう。」と言う冒険少女の気持ちが、それを私に与えたのだと思いました。

 

 

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なぜケーキを二個食べたのか

2025-01-22 20:58:43 | 梢は歌う(日記)

昨日の私は、抜歯の抜糸。

それはあっという間に終わったのですが、なんか予定を入れる時に、見えない恐怖に怯えていたのか、他の予定が入ってない一日になっていました。

心が空白。

一日に何か一つでも楽しいことがあると良いなと思っている私は、ダメだと思いつつ、友達に電話をしてみました。

でも私自身も当日のお誘いには、余程でなければ対応できません。

だいたいみんなにも毎日何かしら予定が入っているもので、思った通り、その後に一緒にお茶タイムを持とうと言う都合のいい計画は挫折しました。

それでも新年最初のお電話だったので、近況報告をし合い、歯医者の駐輪場でしばしの電話でのおしゃべりタイムになりました。

まあ、そんなので、私は満足。

歯医者さんたちとは言葉を交わしましたが、それ以外に家族以外と話をしなかったと言うことにはならないなと、微妙な事を考えてクスっと笑ってしまいました。

喫茶店で、今年の「やりたいことリスト」でも作ろうと、ひとりでお茶タイムを持つことにしました。

 

別に珈琲のみでも良かったのですが、ケースに入っているケーキの可愛らしさに負けて、

「10時のお茶ってことで良いのではないかしら。」と都合よく、それを注文したのでした。

 

「ふふふーん。」

美味しそうでしょ。で、これを頂いてから、先に読みかけの本の続きを読むことにしました。

この時私は一人だったので、壁に向かうと言うひとり席に座って居ました。

少しだけ本を読んだら、ノートとかを机の上に出す予定だったからです。

ケーキを食べ終わる頃、ひとりのちょっと年配の女性が、私の席の一個飛ばしで座りました。

ところがその人は、何かぶつぶつ言いながら、落ち着きません。

そして自分のトレーをどこかに運びかけて、また戻ってきました。

私はそのぶつぶつが、何を言っているのかは聞こえませんでしたが、聞こえなくても、何を言っていたのかが分かってしまったのです。

要するに、ひとり席はドアの近くで、そこが開くたびに寒いのです。

「移動手伝いましょうか?」と私は言いました。

「ここは寒いですものね。あそこの奥は如何ですか。」と向かい合って座る二人席の指して言いましたが、

「そうね。仕方がないものね。」とその人は言いました。

それで私は、ピンときました。

この人の座りたい席が分かったからです。彼女の座りたい席は、「お二人以上でご利用ください。」と但し書きがある席だったのです。

だからさっき行ったのに戻ってきたのですね。

「あっ、じゃあ、私も一緒に移動しましょうか。別に話しかけないから、お互いに一人の時間を楽しみましょう。」と言いましたら、

「えっ、良いんですか。お願いします。」と言うので、二人で、その奥まったまったりできる席に移動したのです。

 

そこで最初、その方はお食事の続き、そして私は読書の続きという感じだったのですが・・・・

「なんかそれって、変じゃね?」と言う気持ちになってきました。

二人の女が、同じテーブルであっちとこっちと心がそっぽを向いて座ってるなんて・・・。

今の私は、おばさん度も昔と違ってかなり上がっているので、それがとっても不自然に感じたのです。

 

「あの、せっかくなので、少しお話しても良いですか。」と言って、その後はなんだかんだと大盛り上がりのおしゃべり大会になってしまったのでした。

と言っても、主に私は聞き手ですがね。

短い時間だったのに、その方の年齢、お仕事、庭に何の木が植わっているのかまで分かってしまったわ、わはは。

 

だけど実はこれって、怪しんでも良いような流れじゃないですか。ちょっとそんな事が頭の片隅をかすめていきましたよ。

もしも私が、親切な顔をした宗教勧誘者、選挙依頼人、ネットワークビジネスの販売者だったらどうするんですか。

だから最初に「話しかけないから」とお断りを入れたのです。

 

珈琲も飲み終わったし、その方もお食事も終わったみたいなので、もう帰ろうかと思い、その前にトイレに行ったのでした。

帰ってきたら、なんと

これがテーブルの上に

「ええっ!?

これは『まさか』のですか?」と言いましたら、

「そう、そのまさかですよ。」とその方は言いました。

 

「嬉しいです。」と言いながら、そのケーキを頂いた私ですが、

あああああ、ダイエット、マジしなくちゃなと思ったことは確かな事でした。

 

だけど80歳過ぎてもお仕事を頑張っていて、仕事帰りに寄り道して一人の休憩時間&癒しタイムを持っているその人は謙虚で素敵な人に感じました。

そして昨日の私は

「一日に何か一つでも楽しいことがあると良いなと思っている」はクリアでしたね。

 

 

 

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馬鹿で愚かで阿呆な私をゆるして。

2025-01-14 16:56:48 | 梢は歌う(日記)

「馬鹿」も「愚か」も「阿呆」もほぼ同義語だと思うけれど、そんな言葉を重ねたくなる今の私の気持ち。

 

子供の頃、母が言っていました。

死んだときに、足の裏に名前を書くと、次に赤ん坊として生まれた時に、足の裏にその文字が残っている子どもがいる。

その文字を消すには、前世の墓の土で擦らなければならないのだと。

我が母上は、そんな戯言が得意な人だったのです。

はっきり言って、面白かったけれどね。

 

そんな下らないことを、この歳になって思い出し、是非ともそれを実践したいものだと、あの母にしてこの子ありレベルの戯言を思ったりするのでした。

でも書くのは名前ではなく

「歯を大切に ! 」ですよ。

戯言母に育てられた環境も良くなかったかもしれませんが、私自身も若い時にいくらでも、その後の人生を変えるチャンスがあったと思うのに、それほどは意識してなくて、この歳の私の歯はボロボロです。

(でもちゃんと歯医者さんには通ったけれどな(ノД`)・゜・。
やっぱり意識薄い母のせいだったと思う・・・・。←ちょっぴり本音。)

 

2024年の1月1日、年が明けた真夜中、歯を磨いたら、右上のブリッジがガクッと半分外れたのです。

やばいやばいと押し込んで数日持たせ、歯医者の休みが明けた頃に都合よく外れたので、治しに行きました。

だけどその時、もうこの歯たちはダメなんだと思っていたのです。でも結局4回ほど外れたらつけ直しで12月の半ばまで持ち、ほぼ一年歯の命を長らえたと思います。

ポジティブに考えたら、それはそれで良かったと言えたのかも知れません。

だけどとうとうダメになってその歯たちを抜くことになりましたが、10年以上飲んでいるステロイドの副作用予防に骨の薬を飲んでいて、抜歯の為にはその薬を止めなければなりません。

それで年をまたいで、今日3本抜いてきました。(ブリッジだったので)

歯を3本を抜くなどと言うと、おばあさん道まっしぐらという感じですが、致し方なしです。

(顔に皴がないから許してとか言っちゃったりして。太っているからお顔がパンパンとしていて皴が、年齢の割にはないの、私(笑))

 

そして抜きました。

「ミシミシと言いますよ。」と先生。

ミシミシ・・・・

「はい。1本抜けました。次に行きますね。」

ミシミシ・・・

私の心はズキズキ・・・・

 

「結構、歯の周りも腐っていて汚かったので・・・・・」とかなんか言ってました。

クラクラしていたので、「それ、大丈夫なんですか。」と言いたかったけれど、聞けませんでした。

止血している間、先生は他の患者さんの所に行き、私は椅子に座って、自分の抜けた歯・・・・というか歯の残骸をじっと見ていました。

全く歯の形を成していない欠片たち。

汚らしい歯の残骸たち。

今日スマホを充電していて、持っていくのを忘れてしまいました。

持っていたら、その惨めな血だらけの歯だったものたちの写真を撮っておきたかったな。

実は愛おしかったのです。いくら何でも持って帰りたいとは、さすがの私でも言えませんでした(フツーそうだよね(;^_^A)

 

だけど私は心の中で、その歯の残骸たちに思わず言いました。

「こんな姿にしちゃって、馬鹿で愚かで阿呆な私をゆるして。」と。

 

 

人生は「ふりだしに戻る」や「いくつ前に戻る」が無いすごろくのようなものでしょう。

前に進むしかないのですよね。

(でもまだ血が止まらないのですけど)

 

※ トップ画像は、義母の作品です。

 

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