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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

キラキラしていた☆葬儀を終えて

2025-03-23 02:52:20 | 梢は歌う(日記)

長く活躍している俳優さんなどを見ていても、今がどんなに力をつけて良い演技をする重鎮な方になっていても、その人の若い時の映像を目にすると、ただ若いだけで、もうそれだけで煌めいて見えたりしませんか。

それはさ、きっと私たちも本当は同じなんじゃないかと思うんです。

過去の私もあなたも、ただ若いだけでキラキラしていたんですよ、きっと。

しかしその時は、そんな事にも気がつかないで、くだらないことでモヤモヤしたりクヨクヨしたり、多くの時間を無駄にしたように思います。

だけど「若さ」と言うものを礼賛しだすと、なんだか自分が一気に老けたような気にもなるってものですよ。

これは、私の中に確かにある感覚なんです。

 

ところが私、最近になってまた違う感覚を、自分の中に感じるようになってきたのです。

それはある意味、また違う老いの表れかもしれません。

何をかって言うと、年齢は関係なくキラキラと生きている人を感じるようになったのです。ただ若いだけで煌めいて見えると言う感覚も、やっぱり私の中にあります。

でも自分がシニアと呼ばれる年齢まで歳を重ねることが出来て、そこまでやって来て分かることもたくさんあるのですよね。

所謂、それが経験値と言うやつですね。

そのレベル高め(?)の経験値の目で見まわしてみると、どんなに歳を重ねても、キラキラ生きている人はたくさんいるのだと分かるのです。

そしてこの人たちはですね、「ただ若い」と違って「ただ」の部分がないわけですから、それなりの知恵と努力と気概が必要じゃないかと思います。

そう言う人に出会うと、学ぶことも多いし、「尊敬」と言う言葉を使いたくなると言うものです。

 

私の義母は、そんなキラキラ生きてきた人だったと思います。

こう書くと、私がずっと義母を尊敬し仲良しだったかのようですが、人に歴史ありと言うところでしょうか。決してそうではなかったのです。

上にも書いたように、自分が経験値を積んだから分かるようになったわけで、若い私には、とても自分勝手で気が強い母を素晴らしい人だなんて思っていませんでした。

60代半ばで未亡人になってしまった彼女は、そこからが本領発揮。趣味から始めたものが、徐々に仕事として成り立ち、時には海外にも飛び出していきました。

自治会でも良く働き、必要とされる側の人でした。

凄い人ですよね。

でもこの時、私はまだ30代で、お付き合い的には距離があったんです。

やはりですね、60代後半と30代の半ばでは、まだお友達のようにって言うのは、難しいものがありますよね。

だからほど良い距離を保ちつつ、いい関係でお互いに歳を取っていくことが出来たのだと思います。

 

そうしてお互いに歳を重ねた私たちは、ある時は映画のお友達でもありました。

待ち合わせをして、一緒に映画を見るー。

楽しかったなぁ。

その後のランチ、良く奢ってもらいました。そこで映画の感想を言い合えるのも良かったです。

リチャード・ギアが好きだった、女子力高い義母でした。

今ちょっと涙が出ちゃった。

 

葬儀まで、忙しすぎて、そして終わった今もやることがまだいっぱいで、それで頭の中もいっぱいになっています。

そう言えば昔、このブログの中でも泣き虫kiriyって言っていたのに、本当に涙などと言うものがどこかに飛んで行ってしまったような毎日でした。

さっき、その義母関係の「やることリスト」作りました。

 

「お母さーん、ちゃんとやることやるからね。任せてね。」と心の中で言ってます。

ああ、でももうあの人、いないんだな、どこにも・・・・・

アッ、またちょっとだけ涙が出ちゃった。

 

 

画像の中の写真は、100歳のお祝いにショートステイ先で撮ってもらったものです。

 

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