年の初めには夢を見よう2016
年の初めには夢を見よう2015一年の目標などを同じタイトルで書いたことがあるので、「2015」が付いています。「年の初め」と言っても、すでに2月に入っていますよと......
上の囲みは2016年の2月4日に投稿したもので、その記事の中にはまた囲みがあって、その囲みは2015年の2月3日に投稿したものとツリーになっています。
2月は誕生月でもあり節分と言う季節の節目であり、立春と言う新しい1年の始まりの時に1年の目標と言うか「めあて」というか、はたまた夢のような出来たらイイナ的な事を考えてみると言うものがこの記事の趣旨なのですが、例年だいたい同じような事を言っています。同じような事を言っているがゆえに、ちっともサッパリ~という感じなのがダイエットと節約・・・・トホホです。
でも毎年同じような事を掲げているがゆえに、実は徐々に進んではいるのが家の片づけです。だけど家の片付けって、片付いてしばらくすると目も慣れて、それが普通の状態だったような気がしてすこぶるエンドレスな感じがします。
この「ダイエット」「節約」「片付け」はサッパリ&エンドレスの状況でも自分の目標に掲げなければ、停滞もしくは後退すると思います。
それにこの三つが大事なのは、今年のメイン目標は昨年同様「丁寧に生きる」だからなのです。
余分な物を捨てて、入ってきた物・手に入れた物は無駄なく使い、片付いた部屋でスッキリ暮らすのは、丁寧に生きるための基本だと思います。
部屋の片づけはエンドレスでも、ダイエットや節約などいつまでも「サッパリ残念」なんて言っていてはいけないのですね。
挫折することが最初から十分想定済みで、具体的な事を考えたり報告などをしないのもサッパリな原因だと思いますので、今年は具体的に目標を掲げて頑張ろうと思います。(アナログでこっそりと。)←これがダメなのよね、本当は。
この具体的にと言うのは、他の目標でも同じ。
昨年の記事ではその具体的な部分のない目標の立て方は、語呂よく纏まっているなと思いました。
☆ 「読みます・書きます・勉強をします」
☆ 「弾きます・描きます・歩きます」
上に書いた、「ダイエット」「」「」についても
☆ 「体・家・家計のスリム化頑張ります。」
結局、私の基本はこれにつきると思うのです。もう毎年同じで良いですね。
いつも何をどうしたらいいのか分からなくて、具体的なものが弱いのだけれど、今年は欲張らない事にしたんです。
言うなれば「とりあえず(小さなことからやってみる)計画」です。
「勉強します。」の項目。
例えば英単語の勉強を毎日6個ずつするとか。(これ、1月はけっこう続けてやったんです^^)
あと、逃げずに取説を隅から隅まで読むとか。(もう、これは私にとってはお勉強の項目です。)
「弾きます」について。
夫がほぼ三か月家にいました。それで習っていた大人のピアノのお稽古も4か月以上お休みしていました。家でもまったく練習せず。1月の終わりに復活しましたが、子供の時には全くやっていなかったものの習得は、大人になって止まればそこで終わり。しかも白紙に戻ってしまうのです。ピアノのお稽古は大人にとっては良い脳トレになります。 1日5分以上は指を動かそうと思います。10年やったら、少しはなんとかなるかしら。
まあ、こんな感じで小さな具体的な事を積み重ねてやっていこうと考えてきます。
ここ数年、お仕事での目標がまったく定まりません。
自分が何をどうしたいのか、霧の中で目を凝らすようです。
もしかしたら、もう働きたくないのかも知れません。でもな・・・・・と、また一年迷って終わりになりそうです。
ある時私が
「この先の人生をどやって生きて行こうか思案中よ。」と言ったら、年上の友人が
「毎日楽しい事を見つけて生きていけばいいのよ。」と言いました。
ー いや、そう言う事を言ってるんじゃないんだ。
と、その時はそう思いましたが、だんだんと私もその輪の中に入る年齢になってしまったように思います。
言うたらなんだけれど、「毎日楽しい事を見つけて」と言うのなら、私はその才能だけはある方だと思います。
そっちの計画は、すぐに閃きます。
旅行やお芝居、決まっているものもありますが、そちらは具体的な目標がいろいろ決まっています。
国会図書館に行ってみようとか、ぐるっとパスを買って美術館の常設展巡りをしてみようとか。
姉妹とも行くけれど、一人でスーパー銭湯に挑戦してみようとかも。
昨年までは「野田市」にちょっと拘っていたけれど、今年は「流山市」をもっと探索したいなと思っていたりもします。
そう思ったら、毎日は楽しい事ばかりです。
キリギリス化しているのかも知れませんが、毎日「楽しい楽しい」と歌って過ごし、ある日バタリとのたれ死んでも、そのキリギリスに悔いなどあるのでしょうか。
とは言っても、私も含めて生真面目な日本人はやっぱり「キリギリスのように生きる」と明言する事には、罪悪感を感じてしまうのかも知れません。
だいたい目標などたてるキリギリスなどはいませんからね。
と言うわけで2017年もちゃんと生きようと思います。