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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

映画版「ENDLESS SHOCK」を見てきました。

2021-02-06 01:27:35 | 観劇・コンサート日記

あれはいつだったのか、もう数年も前だったと思いますが、「ENDLESS SHOCK」のチケットを申し込んだことがあったのです。箸にも棒にも引っかかりませんでした。また来年もチャレンジしようと思ったのですが、この舞台は、「もっともチケット入手が困難な舞台」とも言われていて、チケット狂想曲を奏でる事に疲れていた私は、たった一回のチャレンジで諦めてしまったのでした。

それが映画館で見る事が出来ると分かったのが、2月1日からの公開なのに、ギリギリの1月31日でした。

手帳を開いて、この日しかないと2月4日にイソイソと行く事にしました。

Show must go on (ショー・マスト・ゴー・オン=何があってもshowを続けなければいけない)」をテーマに、ニューヨークのオフ・ブロードウェイでショーに出演する若者たちが、ブロードウェイでの成功を夢見て挫折を乗り越え羽ばたく姿を描いた作品。」

ウィキペディアより。

そのウィキ様の説明を読んでみると、この舞台は、まさにこのテーマそのものの舞台なのだと感じてしまったのでした。

劇場施設の故障があったり、事故によりけが人が出た事もあったり、2011年の震災の時には、やむなく休演にしないわけにはいかなかったりと、大変な20年だったのだと分かりました。

そして今は、コロナ禍。

堂本光一さんは凄い人なんだなと、しみじみと思いました。私の頭の中ではいつまでたっても、美しい銀狼のまま(分かります?)。だけど彼は、この物語の中の「コウイチ」の如く、溢れる才能と舞台愛で、完璧に近い舞台を作り続ける人だったのだなと、新たに認識させていただきました。

確かに昔、この舞台に興味を持ったのは、階段落ちとか空中浮遊とか、そのような派手な演出に惹かれたのは確かです。だけど本当に「見たいな」と思ったのは、この舞台に密着したドキュメントを見たからなんです。

ああ、そう言えば・・・・と、検索しました。

今の時代って、本当に便利ですよね。昔だったら、自分の記憶とか記録しか頼りにできなかったのに、今は調べたらわかるのですから。

それは・・・・。

つまり、それは2012年のドキュメントだったのかしら。

その中で、スタッフに支えられて楽屋に引きずられるように戻る彼の姿が映されていて驚きました。

「命を削るように」と森光子さんが言ったとか。まさにそんな感じ。

ジーンとしました。

 

あっ、待てよ・・・・と、またここまで書いて、考える私。2012年の前後なら、何処かに感想とか書いていないかなと、自分のブログ検索してみました。

ブログにはなかったのですが、ツイッターのログの方にありました。

ところが !!

「『堂本光一 すべてはステージのために~究極のエンターテインメント「SHOCK」~』再放送なう。 #nhk

「「堂本光一 すべてはステージのために」は見ごたえあったな。最後にテレビに向って拍手しそうになったよ。 #nhk

「私の中では藤原竜也と堂本光一には共通点があって、彼も凄く好きな人なのだ。銀狼の時から凄く好き。」

タイトルが違う ?

いいえ、タイトルどころではなく、日付が違っていました。私が見て、そしてツイッターに書き込んだのは、2010年11月6日(土)。(^_^;)(^_^;)(^_^;)

だけど上に張ったDVDのレビューにも、私が感じたようなことが書き込まれていたので、見たものとは違っていても、そのままにしておきますね。

つまり彼はずっと同じ姿勢を貫いていると言う事なのですね。

しかし、『私の中では藤原竜也と堂本光一には共通点があって、』って、それは何~ ?

思わず過去の私に問いかけてしまった私。たぶんそれは仕事に対しての姿勢かも知れませんね。

 

彼の想いが、舞台全体に貫かれているように感じました。ストーリーに関係なく、最後に思わず涙が滲みました。

あの階段落ちのシーンを、彼はずっとやり続けて来たのかと思うと、それはそれで凄いなと思いますが、私的にはあの空中浮遊に心打たれました。あまりにも美しくて、そして天使のように自由自在。本当に飛んでいるようで、夢に出て来てくれないかなと思うくらいでした。

でも一番魅入ってしまったのは、やはりダンスかも知れません。

もうこれでもかと言うくらいのサービスの良さ。

この舞台のオファーが来たら、役者さんは嬉しいと思いますが、それだけでは務まらないなと思いました。何せ要求されることが多数ですよね。歌って踊れて、それも半端の無い数をです。特に幼馴染役の人などはコウイチと同じく、大太鼓を打ててパーカッションをセッションして、ダンスも和も洋もですからね。そして殺陣もやり、お芝居の部分も、愛しながら憎むと言う、かなり複雑な心情を吐露して行かねばならず、又シェークスピアのセリフも覚え演じると・・・・・。

これって、お芝居の中のコウイチと同じく、堂本光一さんがアイデアを出しみんなを引っ張って行っているのではないかと思います。何せ、脚本・演出とも彼がやっているのですから。

その幼馴染役を上田竜也さんが演じていますが、とっても良かったです。

この映画を見に行った後、友人と会ったのですが、そこでこれを見て来たと言ったら、

「ジャニーズ、チェックしてなかったからなぁ、知らなかったわ。」と言われました。

いや、私だって「ジャニーズ」をチェックした事なんかないですよ。

ドラマを見て、そこに出てきた人の名前を覚えるくらいで、誰がどのグループの人なのか全く知りませんし。

しかし、こんないろいろと記録を塗り替えている舞台でも、ジャニーズの舞台と言われてしまうものなのかと、ちょっとだけ思ってしまいました。

だけどまあ、上田竜也さんってどんな人なのかと検索して、彼がKAT-TUNのメンバーである事は、しっかりと覚えました。ついでながら、そこからいろいろとネットの波に乗り、いろいろと検索してしまいました。

昨日より、かなりジャニーズに詳しくなった私です (笑)。

 

それはさておき、映画の終わりに光一さんの挨拶があって、

「エンドレス・ショックは舞台です。いつか機会があったら、是非舞台でご覧ください。」と言っていたので、いつかまた生の舞台を見たいものだと強く思ったのでした。

 

 

 

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「てにあまる」「ポーの一族」「誰かが、見ている」

2020-09-06 14:32:44 | 観劇・コンサート日記

〈画像は記事の内容には関係のない散歩道のオシロイバナです。〉

4日の日に流れたお芝居の情報です。なのでファンの方々に、これと言って目新しい情報を提供できると言うものでもないのですが、私的にはやはり書き残しておきたい内容なのです。

演劇の世界が動き出したなと感じられるのは嬉しい限りです。

コロナの収束はまだですが、この時代に知恵を絞ってその対策をしながら、新しいスタイルを模索していく事はとっても大切な事だと思います。

 

今年はこんな時代だからやらないのかなと思っていた、藤原竜也さんの舞台情報・・・・ !

「てにあまる」

詳しい情報は→ここからどうぞ。☚リンクしてます。

私が、もし行くとしたら東京芸術劇場プレイハウスで、12月19日~1月9日までの日程の中で選ぶわけですが、いつもこの時期の公演は日程的に悩むところです。それになんだか急に決まったような感じがして(定かではありません。)チケットの一般発売日が10月24日。今のところの情報はそれだけなんですね。

 

東京はようやく7月に実家に行けて、それで通過は出来たけれど、最後に行ったのはいつだったかと言うくらい、遠い場所になってしまっています。

広い劇場が選ばれたのは、やはりコロナ対策を意識しているのかなと思われるので、東京復活はそこからにしても良いような気がしました。ただやっぱり日程がね。それにチケット、買えるかな~ってのがあるし。

しかしタイトルが平仮名だけって言うのも、何か意味があるのなと、そこも気になるますねぇ。

ライブビューイングで是非やって貰いたいなぁって、今はちょっと思っています。

 

もう一つ同じように、それでやって貰いたいのが、「ポーの一族」なんです。

《 昨年11月に宝塚歌劇団を卒業した元花組男役トップスターで女優の明日海りお(35)が、ミュージカル「ポーの一族」(来年1月=大阪・梅田芸術劇場、2月=東京国際フォーラム)に主演することが3日、分かった。退団後、初の舞台出演。トップスター時代の18年に演じた傑作で再出発を飾る。》https://hochi.news/articles/20200904-OHT1T50009.html

私は季節労働者のようなものですから、確かに2月もちょっと厳しいけれど、今はバイトがメインなので、こちらは行こうと思えば行けると思うのです。

最初、この情報が竜也さんの情報よりも先にツイッターで知った時には、ちょっとテンションが上がりました。

もう宝塚の公演じゃないのですよ。と言う事は、アランは誰が ?  メリーベルは誰が ? そしてこの物語のヒロインの立ち位置であるシーラは誰がやるのだろうかと、キャスティングが凄く気になるじゃないですか。

でも、じっとその記事を読んでいたら、まったく違う理由で胸がいっぱいになってしまったのです。

もしこの情報を妹たちに話したとするでしょう。

「今度宝塚じゃない所で『ポーの一族』をやるのよ。」と私が言っても反応は薄いと思うのですが、もしも反応が濃くても、現実には今は病気のスノウさんと一緒には行けないのですよね。

ああ、あの時、姉妹三人で宝塚の「ポーの一族」を見る事が出来て、本当に良かったなと心からそう思ったのでした。

そう思うと、ひとりでもフラフラとそれを見に行くなんて事は、心苦しいような気になってしまったのでした。でも私は望都様を愛しているので、ライブビューイングなら、映画館なので黙ってそっと行きます。・・・・・心の中で迷走している・・・・・かも。

 

と、私のように胸のうちがごちゃごちゃしていない方は、是非、動き出した舞台を楽しまれてくださいねぇ~。

でもそんな事を言っている私が、それらの舞台が近づいて来た時に、迷ってどういう行動に出るかは、今の段階ではわからない事です(笑)

 

そして同じ日に、こちらは舞台ではありませんが、三谷幸喜×香取慎吾の「誰かが、見ている」情報が流れてきました。

《脚本/演出・三谷幸喜、主演・香取慎吾、Amazon Prime Videoにてプライム会員向けに独占配信されるAmazon Original ドラマシリーズ『誰かが、見ている』(全8話一挙配信)が、9月18日より世界240以上の国と地域で同時配信される。ユーモアと笑いにあふれた最新の予告映像とメインビジュアルも解禁に。世界配信を記念して今月12日に“世界同時”YouTube LIVE 試写会も開催される。  》https://www.oricon.co.jp/news/2171126/full/?utm_source=Twitter&utm_medium=social&ref_cd=tw

三谷氏、こんな時代に果敢に挑戦しているなって感じがしますね。

楽しみです。

 

 

 

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「わたしは真悟」を観ました。

2020-06-12 01:11:30 | 観劇・コンサート日記

wowowで放送され、録画しておいた「わたしは真悟」を観ました。

 

このお芝居の解説とあらすじを、wowowのHPから頂きました。

『高畑充希&門脇麦W主演!楳図かずおが1980年代に発表した伝説的SF長編マンガをフィリップ・ドゥクフレがミュージカル化。

工場見学で出会い、お互い恋に落ちた小学6年生の真鈴(高畑充希)と悟(門脇麦)。ただ純粋に愛し合う2人は、夏休みの間、工場にあった産業用アームロボットに自分たちの情報をインプットして遊んでいた。
しかし夏休みが終わると、真鈴は父親の転勤でイギリスに行くこととなり、2人に別れの時が訪れる。すると「結婚して子どもをつくろう」と言いだした真鈴。ロボットに子どものつくり方を聞くと、「333のテッペンからトビウツレ」という答えが返ってくる。そこで2人は、地上333メートルの東京タワーのてっぺんへと向かうのだった。
その後、真鈴と悟の情報をインプットされたロボットに、徐々に自我が芽生えていく。ロボットは真鈴と悟を自分の両親だと認識し、2人から1文字ずつもらい、自ら真悟(成河)と名乗る。離れ離れになってしまった真鈴と悟の身に危険が迫ったとき、真悟は2人を助けるために人知を超えた進化を始める…。』

 

なんだか分かったような気分になって、凄くしみじみとし感激もしたように思ったのですが、正直に自分のうちなる声を聞くと

「難しいなぁ、よく分からなかったなぁ。」と言う小さな声が聞こえてきたのです。

ー最初に言葉ありき。

単なる部品を組み立てるだけのロボットに、なぜ自我が目覚め育って行ったのか。

そして様々な事を学んだロボット真悟は、最後に何を学んだのか。

「ボクハイマデモキミヲアイシテル」

なんて美しい言葉なんだろう。

ただそれを伝えようとする真悟。

 

この作品の原作は楳図かずお。だからなのか悟の衣装が赤と白の縞々でした。

そして私にはもう、門脇さんは美少年にしか見えません。もちろん高畑さんの安定した歌唱力に心が響きます。

門脇さんと高畑さんのW主演と謳われていますが、私はもう一つ「×」を足して、真悟役の成河の名を対等に並べてみたいと思いました。

「門脇×高畑×成河」

難しくてよく分からなかったと思いながら、それでも心が揺れました。

 

そしてやっぱりこれは原作を読んで、「よく分からない」の壁を打ち破りたいと思いました。

この原作は1982年から1986年まで『ビッグコミックスピリッツ』に連載されたもので、かなり昔の作品です。ちょうどその頃、私は子供を産み育てていた頃で、世間のいろいろな事を知らずに生きていました。萩尾望都の新作も知らず、吉田拓郎の新曲も興味を持たず、テレビをつければ「お母さんと一緒」、漫画も「ドラゴンボール」の時代です。

このお芝居は、そんな私に、知らずに過ぎてしまった過去の名作を教えてくれたと言うところにも、私的には大きな意味があったように思いました。

 

 

ミュージカル『わたしは真悟』 ダイジェスト映像

 

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「渦が森団地の眠れない子たち」を観てまいりました。

2019-10-15 03:21:30 | 観劇・コンサート日記

歯痛の苦痛で顔が歪み、心まで歪んでしまいそうな体育の日、皆様はいかがお過ごしでしたか。

この歯痛は、13日の夜、劇場から帰って来る途中から始まり、今の拷問レベルになっているわけですが、考えてみれば13日の観劇はいろいろとぎりぎりセーフだったと言えるのですね。

この作品、本当に素晴らしかったです。私が今、観るべきだった作品で、私の中の何かを変えたと言うのは大袈裟かもしれませんが、運命がまた私にエールを送ってくれていたのだなと感じさせてくれたものだったのです。

 

次の画像の下からは、そんな感想が続きます。

なんだ硬いな~と思われる方のために先に簡単な事を言っておきますと、

藤原竜也と鈴木亮平が出ていて駄作になるわけがありません。

二人は本当に小学生に見えました。特に竜也さんのあるシーンでは、その小さな後ろ姿をぎゅうと抱きしめたくなりました。今思い出してもまずいです。見ているだけで悲しくなる子供の姿に助けたいような気持ちになり涙が溢れます。

お話の内容も、「そうだったのか !!!」と心に残るものであり、ラストのラスト、そのシーンに明るい暗示があったように感じたのは、ちゃんと作者様の意思をくみ取ることが出来たと言えるのでしょうか。

あっ、そうそう。

ここに出てくる子供たち、良い子はそうそうはいません。いわゆる、クソガキですよね(笑)

 

というわけで、少々硬い感想・・・・

&、唐突にネタバレして行きます。

秋葉原から岩本町駅に移動する時に撮った神田川。意外と水位が低かったのには驚きました。途中で見た江戸川は本当にギリギリだったのに。やはり噂の防災地下神殿のお蔭かしら ?

いつも以上に特別感を持ちつつ、劇場に向かったと思いました。新国立劇場へは二回目。私はいつも秋葉原から都営新宿線の岩本町駅の移動の時に少々迷います。だけど今回はその劇場には初めてという方とご一緒だったので、ちょっと緊張しました。

結局、この日は京王線の乗り入れまでしておらず、新宿線の新宿駅で京王新線がどこにあるのか迷って右往左往としたことは、私的にはお約束と言う所でしょうか。

かなり早く出て来たけれどランチ時間は短くなって、でもそこで話したことはあれやこれやの仕事のモヤモヤです。

土の中の孤独な妖精たちは」の中で

>大人はやっぱり、時々見栄をはってでも、子供たちの前では大人でいようねって事だよね。

と書きました。言うはたやすいが、その実践編が難しいのです。

私が話していたのは、愚痴ではなく現状報告。

私は既に古い水夫。既に今の時代についていけなくなっていることに自分では気が付いていないだけかもしれません。だから力不足であると感じたら対処してくださいと言っていたのです。

一緒に行ったのは御仕事の雇い主様だったのです。

 

そして見始めたお芝居。

敢えて何のリサーチも入れずに行きました。

それが吃驚する程グサグサと来る内容だったのです。さっきのランチの時のアンサーがそこにはあったように感じました。

何気に三人の大人たちから、今の世相を感じられて見られた方も多いと思います。もしくは自分の中の何かと重なったりもしませんでしたか。

阿部さんが切れて、鉄志に手をあげてしまう所、なんだかもう仕方がないよぐらいに感じませんでしたか。あんな破壊獣みたいな子供なんだからって、ちょっとぐらいは思いませんでしたか。私はちょっと思ってしまいましたよ。でもこのシナリオはきついです。叱られた途端に、さっきの破壊獣はちっぽけな惨めな小さな子供に戻って、「ごめんなさい。」と泣くのですよ。

あれが子供の本当の姿なんですよね。

小学6年生の鉄志。だけど中学生の1・2・3だって大差ないのですよね。

子供たちの前では、いつだって大人は大人でいよう。私は心の中で、そう再び誓ったのでした。

 

さあ、もう硬いお話は抜きです。

好きなシーン、たくさんありました。

3人で街に買い物に・・・・。圭一郎とキッコが街に行くのを勝手について行くシーンは、その後に起きた事はさておいても、美しいシーンに感じました。

鉄志のお別れ会。笑いつつ泣きました。

そして最後の、本当の血縁の誓い・・・・・。

まさかまさかの展開でした。なんでも推理してしま方だと思うのですが、まったく考えもせずにラストまで行ってしまいました。

「そうだったのか~ !!!」感が大きくて、感動しつつ、この物語がとっても面白く感じた所で警官姿の鉄志が。

あれは彼のその後が気になっている私たちに、その姿を垣間見せてくれたのだと私は思い、幸せな気持ちになりました。

 

少年たちのイメージが「アキラ」に出てくる彼らと被ったり「スタンドバイミー」みたいだなと感じたりしました。

 

帰る時に、感動していたのでその勢いでついつい買ってしまったTシャツです。

 

明日のランチに着て行こうかな。

(いやいや、ランチじゃなくて歯医者だろう。)

 

 パンフもこのイラストでしたね。

そう言えば鉄志の「10」と書いてあった青と白のTシャツの舞台衣装は良かったですね。舞台写真を買えば、その衣装の写真も残せたかもしれませんね。

また、国立新劇場の飾りは気になるものが多いです。

インパクトがありました。

 「アイーダ」の大道具らしいです。

(体育の日も夜は御仕事でしたが、ちょっとは上手くいったなと自己満足中です。)

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書きそびれていた「プラトーノフ」の感想を書きました。

2019-09-04 14:20:07 | 観劇・コンサート日記

※ 今年2月に見たお芝居の感想を書きそびれていましたが、この先時がたてば経つほど、書けなくなることは分かり切っている事なので、途中まで書いてあったものを無理やりまとめて終わらせようと思いました。もう一回チャンスがあって見る事が出来たなら、もう少し最後のまとめをまともに書く事が出来るとは思います。

あと10行くらいだったのにな。ヒロインの名前を確認するのを後回しにして、後でにしたのがいけなかったんだな(^_^;)

東京での公演は17日に終了してしまいましたが、私は2月6日に観に行く事が出来ました。

(お芝居の感想は敬称略で書かせていただいています。)

 

チェーホフが、なんとなく自分の中で苦手なような気がしていました。それと言うのも、若き日に見た「ワーニャ伯父さん」をよく理解できなかったせいなのです。また藤原竜也主演だった「かもめ」も、心に陰鬱な影を落としただけの作品だったような印象を持っていたからだと思います。

ところが、今になってもう一度「ワーニャ伯父さん」のあらすじを読むと、なんとなく「鱈々」と同じ匂いを感じたりもして、若き日の自分の理解力のなかったことを思い知らされたのでした。また「かもめ」の自分の感想を読み直してみると、決してそこにあったものは陰鬱な影のみではなかったことを思い出したのでした。(一応その「かもめ」の感想は→「Чайкаーかもめ」 「鱈々」の感想は→・『鱈々(だらだら)』の感想 その2)

更に恐ろしい事に気が付いてしまったのですが、この記事の為に、自分の過去記事を読んでいたら、今からおよそ10年と半年も前に、チェーホフと「ワーニャ伯父さん」について、まったく上記に書いたことと同じ事を私は言っていたのでした。

あまりにもあまりで、ビックラポンや。

因みにその記事は「チェーホフ・・名前からして

演劇は総合芸術と言うじゃないですか。

私はその中に、観客の見る力と言うのも入るのではないかと、しみじみと思ってしまいました。

こうなったら、藤原竜也に「ワーニャ伯父さん」を演じてもらいたいです。

ワーニャ伯父さん・・・・・、冴えない飲んだくれの中年のおっさんです。

(だから若き日は感情移入する場所が無くて、理解できなかったのかも)

だけどきっと藤原竜也なら、本当の面白さを私に見せてくれるに違いないと

彼のプラトーノフを見たら、そう思えてしまったのでした。

 

あらすじは書いていませんが、ささやかな所でネタバレしています。

 

いつもながらセリフは不正確ですが

「ある朝歯を磨いていたら、既に自分が死んでいる事に気がついた。」

何気なく語られるそのセリフの中に、プラトーノフの破滅型の行動の理由があるような気がしました。

彼は女たちを愛することによって、必死に生き返ろうともがいていたのかも知れない・・・・・。

 

死んだまま家族と食事を仕事に出掛けて行く・・・・・。

 

チェーホフの、いえ、プラトーノフの生きた時代に何があったのか、年表さえ開かない私ですが、かつての恋人が昔は何かに一生懸命だった事を告げていました。

 

美しく精悍で人望もあり、皆に愛されていたプラトーノフはこの時すでに空っぽな人だったのかも知れません。

 

彼と妻は客席からの登場でしたが、それは私の背後だったのです。吃驚しましたが、爽やかに本当に美しかったのです。それが妻から捨てられて、女絡みのトラブルで彼はどんどんどうしようもなくなっていき、とうとう最後まで、その美しいいでたちに戻ることはありませんでした。

そしてとうとう薄汚れたまま死んでしまったのです。

ー 愛され過ぎて。

だけどもしも、妻に諸々な事がばれず、彼女との生活をしていたらどうだったのでしょうか。もしくは妻が彼を許していたら・・・・・・。

彼は本当は、それだけを望んでいたのじゃないのかしら。一瞬の気の迷いはあったにしてもです。

滅亡に向かう深い愛よりは、地味で時にはむなしく感じる地道な生活の中に、実は夢も未来もあるのかも知れませんね。

彼の妻の妹が酷い目にあって、青木が(どうしても青木と言ってしまう。)、浅利さんが(役名を確認しようとすると、また後になってしまうので)

「こんなことは誰かに話さなきゃやっていられない。だけど話したい君がこんなことになってしまっては、これからは誰と酒を飲んで語り合えば良いのか。」と嘆くではないですか。酷い男であっても、愛されていたのですね。

前から浅利陽介さんは好きでしたが、好き度が上がりました。

(二回見ても、この程度の感想のような気もするし、何かもっと違うことを言いたかったような気もするし・・・・今となっては分かりません。思い出したら書きますね。)

 

 

 

 

 

 

 

 

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パシフィコ横浜で幸せな夜

2019-07-05 00:44:08 | 観劇・コンサート日記

「吉田拓郎コンサート2019-LIVE 73 years-」、7月3日に行ってまいりました。

 

拓郎さんが

「広島から一人で出てきた時には、こんな風にこんな所で歌うようになるとは思わなかった。」と言うようなことを言った時、ちょうど私も同じような事を考えていたのです。

時々目を瞑り、きらびやかに鳴り響くバンドやコーラスの音だけを聴いていました。

ずっとずっと遠い昔、彼は彼のギターとハーモニカと彼の歌だけでステージに立っていたのですよ。

彼目当てに「唄の市」なんかにも行ったのに、客席からリクエスト言われてしまうと、凄くつまらなそうにCMソングを1曲歌って引っ込んでしまったりして・・・・・・・。

ああ、若かったなあ。彼も私も。

 

私、1曲目の「今日までそして明日から」で、もう涙ぐみそうになりました。

この歌は本当に素晴らしい歌なんだって、心の底の底から思っているんです。若い時には気が付かなかったけれど、何歳になってもジャストリアルで心に響く歌なんですよね。

今度のコンサートのタイトルが素晴らしいなと思っているんです。

「LIVE 73 years」

73歳の拓郎さんのコンサート。

なんかね、勇気づけられるんですよ。

別にお歳を召した方が頑張っているとかで勇気づけられると言うわけではないですからね。そこは大事です。

何かを成していくのに年齢は諦める理由にはならないなって言う事で、勇気づけられるのかも。

 

 これはね、コンサートが終了した後の舞台。凄く遠いでしょう。

だって私の席は

 3階の一番後ろの通路側ではない一番端っこ。

これは負け惜しみではないのだけれど、本当に立つも座るも踊るのも自由な席だったのですよ。(歌うのは無しね。)

3分の2は立っていたと思います。だけどじっと座っていた時も。

知らない曲が何曲かあったので、耳を澄まして歌詞を聞いてました。

その中の「運命のツイスト」はやはり新曲だったのですね。

 

今度のツアーは、すべてが彼の作詞作曲の歌で構成されていたのですよね。で、拓郎さんが

「僕の視野はとっても狭くて、僕の歌はその狭い視野で見た世界で作られていて、他の人の広い視野で作られた歌なども歌ってきたわけなんですが」などと

(あっ、いつもながら言葉は不正確です。)、ジェスチャーも交えながら、そう言ったのです。そして続けて

「そんな自分だけの歌を歌い続けて、なんだか贅肉がこそげ取れていくような気がした。」

(これ毎回同じようなことを言っていたのでしょうか。9月になったらwowowで名古屋のライブが流れるじゃないですか。全然違うじゃないかと言われてしまうかも。本当にセリフは不正確なんです。でも内容はほぼ間違いはないはずです。)

この時、私、「分かる !!」って思ってしまったのですが、ここで「分かる」と言ってしまうと、「一体君に何が分かるんだ?! 」と見えない誰かに叱られそうな気がしてしまうので、「何か、好きだな~!」と言っておきますね。

昔から彼の作る曲が好きで、そして歌詞にも共鳴するものが多かったですから。

 

だけどマズイ事に、彼の歌は、私にとって自分のうちなる世界の扉を開ける鍵なんです。

なんか途中でしばしの間、自分の世界に入ってしまい、ちょっと涙ぐんだりしてました。かなり自分にとっては重要なあれやこれやの思考がめぐらされたわけですが、たぶんこの記事に期待するものは、そこまでの内面の吐露ではないはずなので、もうこれ以上は書かないのでご安心くださいね。

 

しかしながら会場はドラマチックでしたよ。

もうこの記事を読んで下さっている皆さんは、他の所で知っていらっしゃると思いますが、あの野太い声で

「タクロー、ありがとう !!!」と叫んだ人は凄く素敵な事をしたと思います。

その声を聞いて、多くの人が共鳴して、その叫んだ声に拍手しました。もちろん私もです。

すると拓郎さんは

「こちらこそありがとう。」と言ったのでした。

 

ドラマチックと言えば、まだ開演前、1階の人たちが急にざわめきだして、2階の方を見だしたのです3階席の前の方の人も、身を乗り出すように下を見ていました。私たちにはさっぱり起きていることが分かりません。

どうもこの時、THE ALFEEの坂崎さんと高見沢さんが席に着いたらしいのですね。

 

ノリノリだったりしみじみしていたり、勝手に泣いていたりと笑ったり、本当に楽しいあっという間に終わってしまった2時間強。

幸せな、本当に幸せな時間でした。

 

と、結んで終わりにしても良いのだけれど、まだあるんで、ちょっと長くなってしまうのですが、良かったらもう少しお付き合いください。

私ってやっぱり変わっているなと思う面が確かにあるなとしみじみと思ったのは、12年前のTシャツなんか着てくる奴なんか他にはいないって事ですね。

ライブの後に会ったラッタさんは「イイじゃないの。古参アピールでしょ。」と言うので、

「違いますよ~。ここからライブチケットが取れなくて、やっと来たぞアピールよ。」と私は言いました。

古参なんて、みんなそうだもん。

2007年なんか目じゃないですよ。中二からずっとファンなんだから、かれこれ何十年ですよ。

本当はチケットを譲ってもらって、2014年にひとりで行ったのですが、だけどあの中二の真夜中、(この話、何回もしちゃいます。)

姉に

「ねえねえ、起きて。」と起こされて

「この歌凄く良いんだよ。」と一緒に聴いた「夏休み」。この時から、姉と私は拓ちゃんファンの相棒なんだもの。一緒に来ると言う事に意味があったのです。

2007年に行けなくなって、その後からもずっと来ることが叶わなくなってしまった人、たくさん居たと思います。

だからあんな一番後ろの端っこだって、凄く嬉しかったんですよ。

 

帰る時、みなとみらい駅の直前のエスカレーター前はチョー渋滞。

ひとりの青年が、

「今日はいったい何があったんだろう。」と戸惑っていました。つい先ほど、1階の人のざわめきの正体が分からなくてモヤッとした気持ちになった事を思い出して、その青年の知りたいにすぐに答えて、私は話しかけました。

「今日は吉田拓郎さんのコンサートがあったのですよ。ご迷惑をかけてすみません。」

すると青年は

「ああ、吉田拓郎さんのコンサートなら仕方がないですね。彼はもうレジェンドのような人だから。」と言いました。そして

「以前はよくテレビに出ていたのに、病気をされたんでしょう? お元気になられたのですか。」と言うので、

「もともと彼はあまりテレビには出ないんですよ。でも今ではすっかり元気ですよ。」

「あっでも、前はキンキと一緒によく出てましたよね。だけど元気になられたんですね。それは本当に良かったです。」とまた青年は答えました。

 

今ではあまりテレビに出ない拓郎と言うイメージはないのですね。

だけど私の心の中には青年の「吉田拓郎さんのコンサートなら仕方がない。」と言う言葉が、ずっと暖かく残ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。幸せな夜を。

そして幸せな今までを、そしてこれからを。

 

 

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胸が高鳴る「吉田拓郎コンサート2019-LIVE 73 years-」

2019-07-03 00:52:18 | 観劇・コンサート日記

私、たとえ短い時間でもお仕事があった日の後は、本当にいろいろな事にやる気が起きなくて、明日のために何も終わってません・・・・ってもう、今日でした。

こんなブログなど書いてないでもう寝なさいって ! ←心の声

 

だけどライブ前に、ほんの少しだけ書いて気持ちをさらに盛り上げたい気分です。

 

ラジオの中で「おしゃれして来なさい。」と拓郎氏が言ったので、まさかビキニでは行かないけれど、ワンピースで行こうかなとかちょっと迷いました。(注:水着にあらず)でもやっぱりこのライブは、私にとってはあの時の回収みたいな…・回収と言うのは変だけれど、中止になって行けなかった2007年と繋がっているようにも感じるんです。

あの時、イギリスにやっぱり10日間行っていて、そして帰ってきた時にブログに

「さあ、次は吉田拓郎。」と書き込んだら、父から翌朝電話がかかって来て、

「いなかったから知らなかったんだね。彼のコンサートは中止になったんだよ。」と教えてくれたのです。

 

あっ、今ちょっぴり涙が出ちゃった。

バンバンと海外なんかに行っている人の親はいざ知らず、私のように一生のうちに数えるくらいしか行かないだろうと言う者の親だった父は、朝一番で私のブログを覗いたのですね。

そんな父はこの12年間の間に鬼籍に入り、今年七回忌をやりました。

だけどトルコから帰った翌日には、今度が母が、耳が不自由で電話なんか大嫌いなのに、「声が聞きたいから」と言って電話をくれたのです。

親は変わらず有り難いものです。

だけど今度はいない間に、彼のコンサートは中止になんかならず、いよいよとなりました。

 

そして、だから明日は、12年前にチケット代が戻って来て、それで買い求めたTシャツを着て行こうかなと思っているんです。

姉にも言ったら、もうかなり色褪せてヨロヨロなのだそう。

そりゃ、12年前のものですものね。

でも私のは、色は褪せているかもですが、ヨロヨロではないのです。

持ち主が12年前っておとといの出来事のようだなとすっとぼけた感覚の人なので、物たちも揃って勘違いしてくれているのかもしれませんよ。

で、だいたい服は決まったでしょう。

 

とにかく明日の朝、ドドドと行く支度をして、夜家事をサボったからそれを終わらせて、サークルで紫陽花のお世話をするからとそれに参加して(マジか?)、ルート君が明日お休みになったからランチに一緒に行って、不燃ごみを出して出発だ。

じゃ、早く寝ろよ~ !!!

 

と言うわけで寝るのですが、あと二つだけ言いたい事が。

世の中心苦しいニュースがたくさんあって、今も雨で苦しんでいる方がいて、それなのにこんな浮かれている記事を書いていて申し訳ないような気持ちにもなるのですが、それを言い出したらブログ生活は成り立たないので、あまりニュースの事は書かない事が多いのです。でも最近本当に「ざまあみろ」と思った事がありましたよ。

それは

「吉田拓郎ライブチケットを高額転売、悪質転売ヤーを詐欺罪で逮捕 新法対象外チケットで 」

それに対して吉田氏もコメントを自身のブログで書いていました。ファンの多くの人はもう読んだかもしれませんが、ネットは少々しかと言う方の目には触れていないと思うので、(ちょっと迷いつつ)転載させていただきました。それにいつか消えてしまう文章だと思うので。

『少し前へ2019/06/25    

コンサートチケット高額転売に関して
水面下で多くの方々が摘発に努力をしてきた

ファンクラブ等に入会して
チケットを入手し高額に転売する
何という卑劣で許せない行為だ
コンサート会場の入場制限や
身分証提示などさまざまな不便を
強いられた方々にはお詫びのしようも無い
本来あるべき姿ではないと承知の上で
それでも何らかのアクションは必要だ
本日ニュースで進展が見られた
しかしこの種の悪質なタワケ者は
今後も手を替え品を替え出てくるだろう
コンサートを「どうしても見たい聴きたい」
気持ちは純真で素晴らしい事である
しかし一方で
こういう悪者をのさばらせる
事にもつながる
そんな不届き者を許すわけにはいかない
これからもどのようなコンサートや
イベントであろうとも
この種のタワケモノをのさばらせない
音楽という純粋な世界に
タワケタ奴らが入り込む隙など無いのだ
という事をわからせようではないか』
 
私はネットダフ屋と呼んでいたのですが、「転売ヤ―」って言うのですね。
本当に「人の好き」を妨げる、タワケモノだと思いますよ。
 
そして後ひとつは、いきなり wowowの回し者みたいになってしまうのですが、
 
「夏の終わりの拓郎まつり」みたいなものですね♪
 

 

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wowowで「髑髏城の七人シーズン月《上弦》」

2019-01-23 08:49:49 | 観劇・コンサート日記

ライブビューイングは日程的に無理で諦めた「髑髏城の七人」のシーズン月の上弦をwowowで見る事が出来ました。

wowowで昨年あたりから「髑髏城の七人」をどんどん放送してくれるので嬉しい限りです。お蔭で、感想こそは書いていませんが、「アカドクロ」「アオドクロ」、シーズン花も見る事が出来ました。

お話の基本は一緒ですが、物語・演出といろいろとちょっとずつ違うし、キャストが違うとこんなにも違うのかと感じるところもあって、何回見ても飽きないです。

まさに

「みんな違ってみんな良い。」

あっ、ちょっと違うか^^

 

で、この上弦の月は一言で言うと、「若さ爆発 !!」と言う感じでした。

テレビでの放送なので、本編後に作者・演出のインタビュー・出演者の座談会なども放送されるのですが、そのインタビューの中で、

「『新感線』くさくない若い人でやると言うコンセプト」と言うキャスティングの話が出ました。

また本来はこの物語は、この年代の人が語るとしっくりいくんだなと感じたとか、話の流れも若気の至りでそうなったと言う風にしたかったなどと言う話も出て、「本来の物」であり「新たなるチャレンジ」と言うものを感じました。

もともと『新感線』のメンバーが若かった時に誕生した「髑髏城の七人」でしたが、なんたってそれから年月が過ぎてしまったものですもの、出演者たちに渋みが出てしまったのですよね。(その渋みがまた良いのですが。)

 

だけどこの若いキャスティングと言っても、しっかりとベテラン配置で見ていて安心していられます。

「安心」などと書いてしまいましたが、その若い人たちだけでも、しっかりと演技派の方々なので、別に不安などはないのですが。

捨之助は福士蒼汰。

すごっく元気です。そしてそこが『新感線』くさくない、確かに。だけどそれが本当に新鮮です。

若いけれども、天魔王の早乙女太一はこの舞台の常連みたいなものですよね。三浦翔平の無界屋蘭兵衛は、蘭丸の複雑な想いが分かりやすい演出と演技だったと思います。

今回は沙霧ではなくて、霧丸。平間壮一が演じていました。私はこの方の事は、ほとんど知らないのですが、ドラマや映画にも出つつ、主に舞台などの方で頑張っていらっしゃるのかしら。そしてなんとこの平間君、私と同じ2月1日生まれでした !!

まっ、そこの所は関係ないかもですね(^_^;)

初々しい霧丸でした。

そして私的に、一番気になるキャストの須賀健太の兵庫。

彼も『新感線』くさい無い^^

若いし、小柄。どんな兵庫になるのかしらと期待して見てました。

 

今回の極楽太夫はベテラン高田聖子です。

須賀兵庫と高田極楽なので、セリフの中で年齢差の件が出てきます。だけどそれが最後にはもっと素敵なセリフになって、二人を結びつけるのです。

いつも迎えに来るお兄ちゃん。今度は父親でした。舞台なので兄弟でも大丈夫かと思うのですが、やっぱりそれでも父親の方がしっくりするのかも知れません。

私が彼を意識して見ていたからか、こんなにこの舞台に食い込んだ兵庫はなかったかもしれません。物語が後半に行くほどいい味を出していると思いました。

 

そうそう、天魔王の倒し方も今までとは違うので、そこも面白かったです。

そしてラストの霧丸のセリフは(時には沙霧の)、なんだか心に残って舞台全体を爽やかに引き締めますよね。

「もう、決めたんだ。」

良いセリフだなぁ~。

 

下弦の月のWOWOW放送日は3月23日夜7時からです。

 

今だに「鳥」を逃してます。

いつか阿部サダヲの捨之助を見る事が出来ますように。

 

 

 

 

 

 

 

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「プラトーノフ」の一般発売日は。

2018-09-05 01:14:11 | 観劇・コンサート日記

藤原竜也×4人の美女との愛憎劇!舞台「プラトーノフ」

のFCのチケット先行が始まりましたね。

この先行の申し込みは9日までで、抽選が12日なので、その後辺りからピアとか諸々の先行販売が始まるのではないでしょうか。

いつもボーっとしていてうっかりしがちでしたが、ここ数回はちゃんとメールなどをチェックして抜かりはなかったですよ。

この公演は来年2月1日から17日まで。

希望としては初日の2月1日に行きたいかも。(マイバースディですので。)

だけど・・・・どうかなあって迷ってしまうのですよ。

この時期の金曜日にお休みなんか取れるわけがないし・・・・

この2月と言う月が、お芝居を見に行くこと自体が厳しいような・・・・。

今年の春の「ムサシ」のように2月の終わりから3月と言うのだと良かったのに。

 

以前、2月にお芝居なんか見に行っていた事があったのか、過去の記事を辿ってみました。

そしたら2015年にちゃんと「ハムレット」を見に行ってました。

 

じゃあ大丈夫かと思ったものの、やっぱりいろいろ考えて迷っています。

ホリプロオンラインの一般発売日は10月20日です。

ちょっとそこまで迷う事にしましょうか。

 

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「レインマン」を観てまいりました。

2018-08-02 11:24:23 | 観劇・コンサート日記

東京公演は終わってしまいました。だけど本当に良い雰囲気の中で終わったみたいで嬉しく思います。

そして地方公演の始まりですね。お楽しみに~。←竜也さんのstaffツイッターもそう呟いていましたね。(8月5日追記)

※       ※

この舞台は、本当に良かったですね。

7月25日に観てまいりました。

 

先日、妹たちと会った時に、妹が、ホームレスなのに大金持ちの人の話をしました。

思わず私は竜也さんの「世にも奇妙な物語」の「夜の声」を思い出し、妹たちにその話を語りました。そしてあの

「ユリ、あの暮らしは楽しかったね。」の手紙のセリフを言おうとした時に、涙が出そうになりました。

心に刻まれた良いセリフ、良いシーンって言うのは、思いだすたびに、またその感動を味わう事が出来るのかも知れませんね。

 

この舞台にもまた、そんなシーンがあったと思います。

それは観たあなたと同じかもしれませんし、まったく違うシーンかも知れませんね。

 

なぜならこの作品はトム・クルーズとダスティン・ホフマンのアカデミー賞・ゴールデングローブ賞などを受賞した名作で、その内容は多くに知られていると思うからです。

でもだからこそ難しいと言う所もあるのではないかと思います。

感動させる物語を、当たり前のように感動させなければならないのですから。

 

椎名桔平さんのレイモンドも藤原竜也さんのチャーリーも本当に素晴らしかったです。

やっぱりハンカチは必須でしたね。

 

椎名さんは2006年、2007年にこの作品でチャーリーを演じたのですね。

と、するといつか藤原さんもレイモンドを演じる日も来るかも知れ・・・し・・・

ああ、いや、私的にはその演技は観たい。観たいが、レイモンドの髪型を受け入れる事が出来るのかと、低レベルの所で悩みます。

まあ、そんな未来のわけの分からない事で悩む必要は全くないわけで、話を元に戻しますね。

 

私はお芝居では、座る席にはあまり拘らない方なんです。時の運って言うのもあるからなのですが、まあ、良い席の時はかなり素直に喜んでいるので、やっぱり意識して拘らないと決めているのですね。

だけど今回、やはり座る席でもお芝居は印象が左右されるかもしれないなあと思いました。

なぜなら、演出が結構自然体。

前に向かってのセリフが多くなかったように思います。

今回、中央より右側の一階だったのです。

竜也さんの横顔ばっかり見ていたと言う印象でした。でも鼻がスッと高いなあ~って思って観ていましたが ^^

 

だけどもちろん感動は変わりません。

当日券もあるので、皆さま是非に。

近頃、お芝居にご一緒している方を、夏は忙しいだろうからとお誘いしなかったことが悔やまれました。

やはり良いものは人に薦めたくなると言うものですね。

 

アンコールの時、二回目が終わったら、やはり明かりがついてしまいました。普通はそこで終わってしまいますが、拍手は鳴りやまず、三回目があり、そしてその時オールスタンディングオベーションが起こりました。

素晴らしかったです。

 

以下はネタバレ感想です。

下のはお土産に買ってきたファイルです。

ポスターにも使われているこのシーンは、お芝居の中にはありません。

この先のこの場所で演技している写真が、パンフレットの中にもあって素敵です。

そしてもちろんこちらもイメージの画像。

 (こちらもファイルです。)

そしてパンフレットは

 走っている車から走りすぎていく道路をイメージしているような感じですよね。

 

お芝居は総合芸術って言いますが、ポスターとかパンフの表紙とか、そのほかの写真で、この作品のロードムービーの側面をイメージ的に補っているのだと思いました。

 

お母さんが死んだ後、チャーリーは自分とレインマンしかいなかったと言っていました。あまりにも幼い時に消えてしまったレインマン。だからそれは自分が作り出した友達だと思っていたのです。

寂しさをいつも埋めてくれていた大切なレインマン。今もずっと覚えていた幼い時の幻の友達レインマン。

その記憶があったからこそ、レイモンドがそのレインマンだと分かった時、チャーリーの心は一気にレイモンドに寄り添ったのかも知れません。

 

確かに

「僕の友達、僕の弟」には泣かされました。

いや、今思いだしても泣けます。

だけど私、あのレイモンドが、

「バイバイチャーリー、バイバイ」と言った時、ううって声が出そうになってしまいました(こらえましたが^^;)

 

「バイバイレインマン、バイバイ」と、幼いチャーリーは窓から去って行くレイモンドに手を振っていた・・・・・。

記憶の中で埋もれていたその記憶をレイモンドは覚えていて、チャーリーに教えてくれたシーンがあったでしょう。

 

同じ別れであっても、もうチャーリーには大事な家族が戻ってきました。

それでも、そのシーンはやっぱり泣けましたね(ノД`)・゜・。

 

辛い質問をレイモンドにさせたくなくて、別れることを決意したチャーリーには、あの子供を奪い合って二人の母親と名乗る者に手を引っ張らせた物語を思い出してしまいました。

愛があったから、痛いと泣き叫ぶその子の手を放したあの物語と。

 

ちょっと父親の事でも思う事があったのと、薔薇園の事も気になったのですが、そこは、まあいいか。

人は早々には器用には生きられず、誤解されながら生きていくものなのかもしれませんねと言う事で^^

 

以下はお出掛け日記。

 

 初めて来ました !

安蘭けいさんの花は、送り主も華やかな感じ。

端の方にwowowさんからのがあるのですが、今だったら竜也さんにも花は来ましたね、きっと。

 

 ※       ※      ※

確認事項:

今年はとりあえず「ミリオネアニューワールド」の怪しい教祖、将棋を愛する一般人

来年は元殺し屋のコックで四股

2020年はスパイという認識でよろしかったでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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