木のつぶやき

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井上孝治さん写真展紹介記事(2000.1.18.火 朝日新聞)

2009年05月31日 18時55分29秒 | Weblog
井上孝治さん特集第4弾。最後は2000.1.18.火 朝日新聞に載った記事を紹介します。
記事最後の「写真展は石井美千子さんの人形展「昭和の子どもたち展」と同時開催で、」という部分を読んで、”そういえば大江戸博物館のこの写真展も見に行ったよ!”と思い出しました。

カメラで被写体と対話
 ろうあ者の写真家・井上孝治さん   遺作130点集め、墨田で写真展
   子どもの表情 豊かに表現


 どの写真にも懐かしさと輝きがある。素っ裸で水しぶきをあげて川ではしゃぐ少年たち、駄菓子屋の店先で両手に待った三角パンをほおばる女の子・・・。ろうあ者のアマチュア写真家、井上孝治さんが、一九五五年(昭和三十年)ごろに撮影した写真だ。井上さんは九三年、七十四歳で亡くなった。百三十点を集めた写真展「想い出の街」が、墨田区の江戸東京博物館で聞かれている。

 井上さんが本格的にカメラを手にしたのは、十九歳のときだ。ろう学校の卒業記念に、父の清一さんから国産の二眼レフカメラを贈られた。三歳で階段から落ちて聴覚と言葉を失った井上さんに、写真好きだった父が、聞こえなくてもできると、思いやったらしい。
 井上さんが多くの写真を撮ったのは、福岡市近郊で井上カメラ店を開いた五五年ごろだ。店はミツエ夫人(八〇)にまかせ、早朝から夜遅くまでひとりで撮影に出かけていった。
 長女の清水孝子さん(四九)は「物心ついたころは父とわからず、ときどき来るやさしいおじさんはだれなのか、と思っていた」と話す。
 現場ではいたずらにシャッターを切らず、イメージ通りの場面が現れるのを待った。道路で遊ぶ少年たちを電柱の上から撮った写真がある。中央に少年たちがいて、左端から男性が、右端から女性が歩いてくる。この構図になるまで電柱の上でじっとしていた。
 写真の子どもたちの表情は豊かだ。孝子さんは「話せなくても、子どもと遊ぶのが上手だったので、子どもたちが構えなかったと思う」と語る。
 各種のコンテストで入選し、七三年には全日本ろうあ写真連盟を創設し、会長に就任した。だが、写真のほとんどは押し入れで眠っていた。広く知られるのは、ずっと後の八九年のことだ。
 福岡市の百貨店「岩田屋」が展開した「想い出の街」キャンペーンに、長男で広告写真家の一さん(五五)が、父の写真を提供したところ、ポスターやテレビCMなどに使われて大きな反響を呼んだ。
 この年の八月、写真集「想い出の街」(河出書房新社)が出版された。巻頭文を寄せた作家の立松和平さんは「渾身の力で街を見ようとする意志を、まず感じた」と書いている。
 続いて九一年、沖縄を撮った写真集「あの頃」(沖縄タイムス社)が刊行された。九五年には、四十四人の写真家の作品を集めた写真集「子どもたちの日々」に、木村伊兵衛らとともに、井上さんの作品七点が載った。
 井上さんにとって写真とは何だったのか。妻のミツエさんは「あの人の命でしょう」と語っている。
 井上さんの評伝「音のない記憶」(文芸春秋)の著者、黒岩比佐子さん(四一)は「犬が一匹道路にしゃがみ込んでいる。あるいは、子どもが氷柱をなめている。そんな一枚一枚の写真の風景に物語を感じていたのではないか。井上さんにとって写真は言葉だった」と話す。
 九三年、世界的なアルル国際写真フェスティバルに招待された。しかし、開催の約ニカ月前の五月三日、肺がんで死去した。招待状は病床のまくらの下に入れてあった。
 写真展は石井美千子さんの人形展「昭和の子どもたち展」と同時開催で、二月十三日まで(月曜休館)。
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