観るも八卦のバトルロイヤル

映画・ドラマを独断と偏見(?)で、
斬って斬って斬りまくる。
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見比べても違う作品「赤い月」

2006年10月03日 | 映画・ドラマ
 主演の森田波子役、ドラマは高島礼子、映画は常盤貴子。夫の森田勇太郎役のは内藤剛志、香川照之。波子が恋する氷室啓介役に中村獅童、伊勢谷友介。
 どりらが良かったの判断が付き兼ねるほど双方共に完成度は高かったように思える。ただドラマの方が時間が長かったため説明が丁寧だった。見比べてどうのというのではなく、違う作品に思えた。
 必死なお母さんという辺りは高島礼子だが、艶やかなお母さんという面では常盤貴子かな。約20歳も年下の男に狂っちゃうあたりは高島礼子が上手かった。
 夫役の内藤剛志、香川照之は2人共上手いよね。上手いんだけど個人的には内藤剛志かな。
 何が凄いって原作がなかにし礼。「全ては本当に起こった」実体験で、実母を描いた作品というのがぶったまげた。
 ドラマは娘役の市原悦子が現在、父の墓に花を手向けるところから始まるが、市原悦子のナビゲータとしての役割も利いていた。が、波子の法事に中村獅童登場はどうかな?
 

賛否両論あれど「流転の王妃・最後の皇弟」

2006年10月03日 | 映画・ドラマ
 いやー、中国、香港ではバッシングされましたな。「あれは愛ではない。政略結婚だ」って新聞ネタにまでなってた。
 で、制作側が「ドラマです」と反論してたけど。
 政略結婚だってなんだって、愛新覚羅溥傑さんと浩さんは、満州国の崩壊後、溥傑さんはソ連に逮捕、拘留され、浩さんは中国兵に捕らわれの身となり、命からがら日本へ脱出(華族や貴族で抑留されたのは浩さんと近衛文隆のみらしい)。当時国交のなかった日中の壁に阻まれ、夫の無事さえ確認できないまま16年。そして再会した2人は、浩さんが死を迎えるまで片時も離れることはなく暮らしたんだから。これは夫婦であり家族である。
 数年前NHKが溥傑さんのドキュメンタリーを放送していたが、「なんて上品なおじいちゃまなんだ」と思ったものだ。もの静かで達筆なやはり教養と学のある方だと感動すらした。
 一方浩さんの半生は「流転の王妃の昭和史」で読ませていただいた。皇帝の弟の妃にさえも降り掛かった災い。嵯峨家のお嬢様として何一つ不自由のない一生を送ることもできたであろう浩さんが、最後に選んだのは北京での夫との生活だったのだから、戦争を知らない世代が「あれは愛ではない。政略結婚だ」と熱くなることはない。
 ドラマは夫婦の再会で終っているが、このお2人は「文化大革命」も北京で体験しておられる。いったいどのようにして生き延びたのか…。
 例え政略結婚だとせよ、これだけの苦楽を共にした夫婦の結びつきは並大抵のものではないのではないだろうか。 さてドラマだが、溥傑さんを演じた竹野内豊。頑張って溥傑さんに近付けようとの役作りは買うが中国語が「んーちょっと」。中国人役なんだからもう少し頑張ってほしかった。浩さん役の常磐貴子。きれいだったけど、浩さんってこんなちゃきちゃきしてた人だったのかな? 
 

これが日本の家族なのだ「寺内貫太郎」一家

2006年10月03日 | 映画・ドラマ
 オンタイムで観ていたけれど、この番組実にセンセーショナルだった。だいたい、番組タイトルが個人の名前。固有名詞なんだから。石屋の大勝・寺内貫太郎に作曲家の小林亜星を抜てきし、三代続く石貫の主人ガンコ親父を演じさせたのだから。日本の頑固親父の象徴とも言える貫太郎の妻里子には加藤治子。
 母きんには、これにて老け役が定着した当時は悠木千帆こと樹木希林。ジュリーの大ファンで、大きなポスターの前で身をよじりながら「ジュリー」と叫ぶシーンは当時大人気になった。このばあちゃんの住んでいる離れに行くためには、母屋との間に跳ね廊下があり、婆ちゃんは朝晩自分でこの廊下を上げ下ろす。また軍手の指先をハサミで切って指だけ出した手袋を作ったりと、眼が離せない婆ちゃんだった。今では普通に打っている指無し手袋だが、当時は市場に出回っておらず、ほんとうに「いけてる」アイディアだったのだ。
 ホームドラマでは、家族そろっての食事のシーンが一家団欒の象徴として描かれるが、この家族は決まって大喧嘩になる。婆ちゃんに孫の西城秀樹が「きったねーな、婆ちゃん」。
 そしてドラマの目玉は貫太郎と秀樹の乱闘シーン。襖は破くは、物はなぎ倒すは…。すると家族はちゃぶ台を持って移動する。
 シリーズは1と2があり、寺内の長女も梶芽衣子から吹雪ジュンに変わったかと記憶する。不吹とこの婆ちゃんとお手伝いの浅田美代子が、「ちび、でぶ、ぶす」と言いながら(今だったら放送禁止用語と視聴者からクレーム殺到だろうが)回って歩くだけの遊びをしているのだが、浅田がちび、吹雪がでぶ、婆ちゃんがぶす。すると婆ちゃん「ぶすじゃやだ」と抗議。「でもお婆ちゃん、ちびじゃないし」「でぶでもないし」…。「じゃあ、ぶすでいいや」。30年前のこんな台詞まで覚えているんだからどれふだけ面白かったことか。一つ一つのシーンやギャグが当時としては本当に新しかったのだ。
 ご飯のお変わりでご飯が宙を飛んでキャッチするのは、風呂屋の家族だったっけ?
 左とん平、由利徹、伴淳三郎のキャラをも喰ってしまうほど、作曲家やらアイドルやらが頑張った。
 家庭崩壊やいじめ、虐待など情けない国になってしまった我が日本、今だからこそ、本来の家族のあり方を考えてみる意味でも観てほしい作品。