今回のTシャツは、いつ、どこの町で買ったのか覚えていないが、見れば一目でエジプトだとわかるものだ。
初めてエジプトへ行ったのは、20年近く前だ。その頃私は、エジプトに関する知識は乏しく、旅行前にガイドブックを買ったと思うのだけれども、現地で読もうくらいに思っていたので、恥ずかしながら「吉村作治」なる学者の名前さえも知らなかった。このときの旅行は、30数名の大ツアーで、自分を含めほとんどが20~30歳代だった。そして、旅行中ホテルで同室になった20歳くらいの若者に「吉村作治さんは すごいですねエ」と話しかけられても、私は「えっ 誰それ?」という感じだった。
そのエジプト旅行は、バンコクを経由して、カイロには翌日早朝に到着した。到着した日は博物館や市内のモスクなどを見学して、翌日ギザのピラミッド見学に行った。ところが、バスでギザに移動して駐車場までやってきたのだが、何も見えず「えっ!ピラミッドはどこ?」と困惑した。その時まだピラミッドは朝もやの中だったのだ。しばらくすると、少しずつ朝もやが晴れてきて、やがて目の前に現れたピラミッドの迫力に圧倒された。
ピラミッドは、大きなたくさんの石灰岩で組み立てられていて、その石灰岩には貨幣石という新生代の示準化石が含まれていると言うことは知っていたので、ピラミッドの周りをうろうろして探してみた。すると、予想していたより大きな貨幣石を見つけることができた。感動である。貨幣石は有孔虫の一種で、日本では小笠原や沖縄などで見つかっているが、産出地は少ない。
そして、ピラミッドの地下道に入って実感した。私は漠然と、ピラミッドは砂漠に建てられている、と思っていたのだが、どっこい硬い岩盤の上にしっかりと建てられているのがわかった。そりゃ、そうだわな。
スフィンクスもピラミッドと同じように岩石を積み上げて建てられたのだろうと、これまた漠然と思っていたし、エジプト人ガイドも、これも石灰岩を積み上げて造ったと言っていた。ところが、よーく見ていると地層の模様がちゃんと連続しており、地山岩盤を削って造ったものだろうと思うようになった。残念ながら、この時のスフィンクスは補修用の足場やぐらに囲まれており、少々哀れな格好だった。ガイドの説明では、アスワンハイダムができてから、地下水の汚染が進み、スフィンクスにもその影響が出て傷んできているのだということだった。
ところで、ピラミッドは何の目的で造られたのだろうか? 王墓、葬祭神殿、天文観測施設など様々な説が提唱されているが、私は高津道昭さんのテトラポッド説に共感している。彼は、まずピラミッドとナイル川の関係、特にナイル川の西岸にピラミッドが集中することに着目し、ピラミッドは制水機能を有しており、ナイル川の治水および利水を目的として造られたものだと考え、歴代の王が引き継いで成し遂げた一大プロジェクトだという。私は、高津さんの考えに一票なのである。興味のある方は、彼の著書「ピラミッドはなぜつくられたか」(新潮選書)をお読みいただきたい。
エジプトは毎日
さて、カイロ、ギザの後は、ルクソール、アスワン、アブシンベルなどエジプトの有名な観光地を訪れた。神殿の建造物や彫刻、大列柱に圧倒され、教科書でしか見たことのなかった色彩豊かな壁画やヒエログリフの実物を見て、その美しさと精巧さに感動した。書けばきりがない。しかし、この時の私はそれらの有名どころをほとんど知らず、エジプトに来て初めて知ることとなった。でも、旅行を終えたらいっぺんにエジプト通になった、と自分では思っている(冗談です)。
この旅行は楽しかったし、勉強にもなったので、今でも様々なシーンが思い出される。ただ、安いツアーで安いホテルだったからだろうが、朝食はほとんどの場合、パンとコーヒーだけだった。せめてハムかソーセージ、ベーコン、そして野菜サラダやスープ、卵が食べたかったなあ。