サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 11541「ヒア アフター」★★★★★★★☆☆☆

2011年10月08日 | 座布団シネマ:は行

クリント・イーストウッドがメガホンを取り、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務めた死と生をめぐる感動的なストーリーをつづるヒューマン・ドラマ。死を身近で体験した3人の登場人物が悩み苦しみ、生と向き合う姿を真摯(しんし)に描いていく。主演は、『インビクタス/負けざる者たち』でイーストウッド監督作品にも出演したマット・デイモン。ほかに、『シスタースマイル ドミニクの歌』のベルギー人女優セシル・ドゥ・フランスや映画初出演のジョージ、フランキー・マクラレン兄弟が共演。彼らが見いだす生きることの素晴らしさが、ズシリと心に響く。[もっと詳しく]

もちろん津波のシーンは、3.11を思い起こすことにはなるのだが。

こういう主題を扱うと、普通はオカルティックなB級映画になるか、ファンタジー的な彼岸のイメージでほんわかしたお話になるか、脳内幻想の疑似科学物語になるか、奇跡の押し売りになるか、というように相場は決まっているのだが、さすがにクリント・イーストウッドの手にかかると、そんな世界とは無関係に、じっくりと練られたヒューマン・ドラマの貌を持つことになる。
彼の提供する静かなスコアが、特にその基調を明確にしている。
僕たちは、「霊感」を含めた超能力に関しては、さまざまな書物や作品につきあってきた。
『ヒア アフター』では、従来のさまざまな論説に、ことさら新しい知見がもたらされるわけでもなんでもない。
「奇跡」の新解釈を問うているわけでもなく、「超能力」の不思議をのぞき趣味的に暴露しているわけでもない。
英雄願望もなければ、神秘思想がせり出しているわけでもない。
普通の人間にあるかもしれない能力や体験や願望と言ったものを、「死と生」をめぐるとてもよくできたシナリオをもとに、安心してみることが出来る完成度の高い映画として、提出しているだけだ。
ただひとつ、特に強調していることがあるとすれば、それは必要な人間が必要な人間に出会うという、シンクロニシティのある側面を強調していることかもしれない。



フランス人の有能な女性ジャーナリストであるマリー(セシル・ドゥ・フランス)は、東南アジアの避暑地で津波に会い、「臨死体験」を経験している。
そんな人は、僕たちの周囲にもいるし、多くの事例報告が研究レポートされている。
イギリスにいるマーカム少年は、交通事故で亡くなった一卵性双生児の兄の突然の死と母親との別れにとまどい、その現状が受け入れられない。
近親の突然の「死」に呆然とすることは誰しもそうだろうし、一卵性双生児の片割れが亡くなった時の特異な「欠損」の感情は、これもまたその神秘性とともに多く報告されている。
アメリカ人のジョージ(マット・デイモン)は、霊能者の能力を持ち、一時は「死者との真実の対話」のサイトも出していたが、そのことに疲れ果て、その能力を封印しようとしている。
僕自身も、両手ではたらない自称「霊能者」に会ったりしたが、そのほとんどは「既知情報」と「巧みなインタヴュー」の技術操作による「商売人」としか思えなかったが、そうかといって霊能者の存在を信じていないわけではない。
経験的にはふたりほど、この人は本物かなと思う人に出会ったことがある。
けれども、それは臨床的な興味に還元されるわけで、逆に素人のくせに僕はその人の「能力獲得」の原点を飽きずに聞いて、苦笑されたものだ。
たぶん、この『ヒア アフター』でいえば、少年の時に重病を患い、命は取りとめたものの不思議な能力に気づいたジョージが、病院で後天性統合失調症と認定されたあたりのところだ。



この三人は、他者に自分の「死」の世界への接近が、本当のところは理解されずに、孤独に陥っているところに共通点がある。
マリーは舌鋒鋭い政治ジャーナリズムで売っていたから、著書を出すとしても『ミッテランの真実』のような題材を期待されていたのだが、自分の臨死体験が忘れられず、その領域の研究者に会い、本にまとめることになる。
当然、周囲からは白眼視される。
マーカム少年は、担当の福祉委員にしても一人になってしまった彼を引き受けてくれた里親にしても、とてもいい人のように見えるのだが、一卵性双生児の兄に引き寄せられるようにさまざまな霊能者と称する人々を訪ね歩く。
しかしそこに「商売」や「宗教」や「メソッド」はあったとしても、自分が求めている兄の声は聞けない。
ジョージは、料理教室で出会った快活な娘と好意を寄せ合うようになるが、ジョージの能力に気づいた娘が好奇心からリーディングをせがみ、渋々応じたジョージの一言に凍り付いて去ってしまう。
舞台は、イギリス、フランス、アメリカと離れてはいるが、欧米の宗教世界ではことに「神霊主義」のように異端に見られるか、偶像の奇跡崇拝のように見られてしまうということもあるのかもしれない。
このあたりは、本当はアジアの多神教的な世界や、未開の文明段階の心理機序としてみれば、もう少しは許容される文化的素地があるのかもしれない、と思ったりもする。



どちらにせよ、この三人は引き寄せられる運命のように、ロンドンで出会うことになる。
このあたりはご都合主義になりそうなものだが、脚本がしっかりと伏線を引いているので、僕たちはその「引き寄せ」を頷いて見ることが出来る。
本当は、「臨死」の経験も、一卵性双生児に見られる共振現象も、なにかを引き金として死者の世界にチャネリングするような能力も、どこかで僕たちは多かれ少なかれ持っていたのかもしれないし、持っていても不思議ではないと思わせられる。
けれども、「近代科学」の世界では、論証されたものだけが真実となる。
そしてこの世界は、多くの狂信者や間抜けな占い師や滑稽な詐欺師たちに蹂躙されてきてもいる。
けれども、製作のスピルバーグや監督のクリント・イーストウッドや脚本のピーター・モーガンらスタッフは、「死者」と「生者」の薄い皮膜に呼吸されるものを、大切に取り出して見せている。
死を思うことが、生を逆に照らすことになると言う、古今の哲学者たちの箴言を、さりげなく思い起こさせようとしているかのように。



この作品にはオマケがある。
日本での上映は今年の2月19日からであったのだが、3.11の東日本震災を受けて、この映画の実によく撮れた「津波映像」が刺激を与えすぎるのではないかという判断で、即上映中止となったことだ。
そのことの是非は問うまい。
その後、DVD化するにあたって、製作陣はその収益からかなりの金額を被災地に寄付をしている。
しかし、被災地の不意に身内を喪失した多くの人たちに、もしかしたらこの映画を見る機会が訪れるかもしれない。
その時には、「死者」を感じながら生きていくというクリント・イーストウッドらのメッセージが、たぶんまっとうに伝わってほしいものだし、この映画はそういう力を持っているのだと、僕は思いたい。



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10 コメント

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Unknown (リバー)
2011-10-11 08:59:50
TB ありがとうございます。

たしかに、これは
イーストウッド監督の力が大きいですね

好みは分かれそうですが
染み込んでくるような感動を感じました。
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今晩は。 (小米花)
2011-10-11 21:13:06
TBありがとうございます。
私は東日本震災前に見ました。
3.11のニュースで見た津波は、
映画で見た海色の青い津波とは全然違い、
崩壊した家の建材と瓦礫が押し寄せて来て、
背筋がゾッとしたのが今でも思い出されます。

DVD化にあたっての情報を読ませて頂き、
ありがとうございました。
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リバーさん (kimion20002000)
2011-10-12 02:13:16
こんにちは。
地味な作風なんですけどね。
ちょっと「チェンジリング」のトーンの系列かなとも思いました。
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小米花さん (kimion20002000)
2011-10-12 02:15:55
お久しぶり。
この映画の津波は、04年の津波映像を参考にしたらしい。
地形によって異なるだろうけど、濁流と清流の交わるところを再現しつつ、水中、水面シーンなんかを作り上げたみたいよ。
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死生観 (KGR)
2011-10-12 10:16:40
死生観は宗教や文化によっても大きく異なると思いますが、
形は違っても、洋の東西を問わず、此岸と彼岸の狭間
(=臨死あるいは三途の河原、「ラブリー・ボーン」のスージーのいたところ、この映画の霊魂のいた場所)
の考えがあるらしいことは不思議です。

死んではいるけどまだ完全に死んでないみたいな感じですか。

この映画の場合は監督の死生観とプロデューサーの死生観に差があって、それが表現にあらわれている気がしました。
特にこの「狭間」の表し方なんかに。
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KGRさん (kimion20002000)
2011-10-12 11:52:26
こんにちは。
僕もちょっと「ラブリーボーン」を連想しましたね。
「臨死体験」のレポートはよく読むんですが、共通点がありますものね。
すべてが、脳への刺激といえないところが謎です。
この作品でも、「脳停止状態」での体験が出てきますね。
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あのとき (sakurai)
2011-10-13 12:00:34
結構早めに中止になりましたね。
公開時の収益も義援金として寄付することにしたのだったと思います。
イーストウッドもある意味、霊能力者かも知れないですよ。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2011-10-13 22:20:44
こんにちは。
そうか、イーストウッド霊能者論(笑)。
「ミスティック・リバー」あたりからかな?
マカロニ・ウェスタンやダーティ・ハリー時代は、ちょっとイメージわきにくいけど・・・。
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弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2012-05-19 20:16:31
今はもう亡くなったか、いらっしゃらくなりましたが、妙に色々と当たる人がいまして、その影響か父は風水みたいなものも信じていました。

そう言えば4年程前に両方とも元気な時に父が「ばあちゃん(母)は83で死ぬと言われたことがあるんだ」と聞いた時、もう2年しかないじゃんと思ったことがあるのですが、実際母は82歳と360日で亡くなりました。
僕も父の影響で多少そういうこともあるだろうなあと思っていましたが、昨年はすっかり忘れていたんですよ。これを憶えていたら早めに病院へ連れて行ったんですが。それも含め、運命なんでしょうね。

2008年に裏の土砂崩れの工事をすると来年から3年悪いことが続くと言われたそうですが、2009年に僕が入院、2010年に父が入院、2011年に母が亡くなり、これまた見事に当たりました。
偶然と言えば偶然なんでしょうが、そういう能力があっても不思議ではないと思いますね。

映画とは全然関係ない話になりましたが、そう言えばその人は顔を観るとその人の先が解ってしまうので嫌だと仰っていたそうですよ。

映画としては構成がやや強引だったような気が致します。ただ、変な方向に話を持っていかなかったイーストウッドは本物の映画作家になってきたと思いますね。
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オカピーさん (kimion20002000)
2012-05-20 00:50:58
こんにちは。
僕自身も、シンクロニシティかと思えるような体験をいくつもしてきました。
でもそれは、たまたまの確率現象なのか、シンクロとしたい自分の感情なのか、よくはわからないところもあります。
「運命」というものは「アガスティアの葉」のように決定付けられているものなのかどうか、それは生涯にわたっての誰もの謎であり続けますね。
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