
「炎の料理人」周富徳さん死去 71歳 「料理の鉄人」など
スポニチアネックス 4月13日(日)14時5分配信
【写真】94年12月31日、NHK紅白歌合戦にゲスト出演した周富徳さん
両親は中国・広東省出身。横浜の中華街で料理人の父親の仕事を見て育ち、18歳で料理の道に。都内の中華料理店やホテルで修業後、東京・赤坂の「璃宮」の総料理長。1993年「広東名菜 富徳」青山店のオーナーとして独立した。
軽妙な話術と手際のいい調理法からNHK「きょうの料理」などの講師を担当。ほかにも、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」フジテレビ「たほいや」などテレビ番組に多数、出演。94年にはNHK紅白歌合戦にもゲスト出演した。
94年、半生記「炎の料理人 周富徳」が漫画化され、95年には堂本光一(35)主演でドラマ化もされた。
著書に「周富徳の広東料理は野菜がうまい」「すぐできるおいしい中華の家庭料理」など。弟の周富輝さんも中華の料理人として活動している。
在日中国人二世であり、横浜中国街で育った。
日本人にとって、二世ではあるが、中国人に対する親しみのようなものを持たせてくれたのは、この人たち中華料理人のスターたちであったかもしれない。
テレビ映りがよく、しゃべりも絶妙だったし、お得意の鮭チャーハンなどの中華鍋から燃え上がる炎などの演出は、いつみても惚れ惚れした。
僕たちが口に出来ないような贅を凝らした一品もあるが、NHKの「きょうの料理」に出演するなど、普通のお母さんが自分の家の台所で、安く作れる中華料理の基本を、見事に教えてくれたりもした。
日本のテレビ界、とくに芸能界は料理人であろうがなんであろうが、使い捨てにする傾向があるが、そんな乱暴な扱いにたぶん振り回されながらも、周富徳のブランディングは堅持していたように思う。
当たり前だが、兄弟たちは中華料理屋を経営していたりするから、そこに泥を塗るわけにはいかないのである。
晩年はちょっとスキャンダルにも巻き込まれたりもしたが、大変だったのは糖尿病に苦しんでいたことだ。つらかったと思う。
漫画やテレビでも周富徳がモデルになっているシリーズがあったが、ほとんどはフィクションだろうが、人気が出たのは、やはり周富徳自身の人気がベースにあったからだろう・・・合掌!
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