サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 11520「瞳の奥の秘密」★★★★★★★★☆☆

2011年03月27日 | 座布団シネマ:は行

長年勤めた刑事裁判所を退職した男が、25年前の未解決殺人事件をモチーフに小説を書き出すものの、過去の思い出に支配され苦悩するサスペンス・ドラマ。アルゼンチンを代表する名監督ファン・J・カンパネラが1970年代の祖国の姿を背景に、過去と現在を巧みに交差させ、一人の人間の罪と罰や祖国の軌跡を浮き彫りにする。また、本作は第82回アカデミー賞外国語映画賞を受賞。主演は、カンパネラ監督作品の常連リカルド・ダリン。衝撃的な秘密が暴かれるラストに言葉も出ない。[もっと詳しく]

「瞳の奥」に隠されたものは、嘘をつくことが出来ない。

スペイン語の映画なら数多く見ているが、アルゼンチンで制作された映画というと、恥ずかしいことに、すぐには浮かんでこない。
アルゼンチン・タンゴやサッカーのイメージが強いが、オリビア・ハッシーがアルゼンチン生まれでイギリスに渡ったんだったよな、という知識ぐらいしかない。
首都であるブエノスアイレスはいろんな映画のロケ先にはなっているが、僕たちが見ているのはたぶんアルゼンチン制作映画ではないはずだ。



『おくりびと』に続いて、第82回アカデミー外国語映画賞でオスカーに輝いた『瞳の奥の秘密』で、主人公ベンハミンを演じたリカルド・ダリンは国民的スターらしいが、僕ははじめてだし、そのベンヤミンが想いを断ち切れないイレーネを演じるソレダ・ビジャミルは本国では人気のタンゴ歌手でもあるらしいが、不勉強で知らない。
監督のファン・ホセ・カンパネラ監督も、映画としては初見だ。
にもかかわらず、この『瞳の奥の秘密』という作品を見る限りでいえば、アルゼンチンは相当な映画水準にある国ではないかという気がしてくる。
突然変異的に、一作だけがずば抜けた高度な表現を達成するなどということは、信じ難いからだ。
表現文化というのはいつもある一定の水準の稜線の上に、表現者たちによって何事かを、付け加えるべきものだからだ。



なによりこの作品で見る限りにおいては役者の質が高い。
リカルド・ダリンは1957年生まれだから僕より少し下だが、男の僕から見ても、ほれぼれするほどの色気がある。
ソレダ・ビジャマルはゾクゾクするほどの深い瞳をしている。
妻を亡くした銀行員であるリカルド役のパブロ・ラゴは、少しガエル・ガルシア・ベルナスを髣髴とさせるナイーブな二枚目だ。
そして主人公の親友で部下のパブロ役を演じたギレルモ・フランセーヤや嫌な上司の検事役を演じた役者さんの、ユーモアあふれる演技が特筆ものだ。
特に、25年という時間の経過を経た演技を、リカルド・ダリン、ソレダ・ビジャマル、パブロ・ラゴらは要求されたわけだが、単にメーキャップをして若作りあるいは老け役をやりましたということではなく、その時間の経過がさもあらんというほどの微細な内面の変化や継続の深い演技を通じて、僕たちにたしかに25年という時間を感じさせるのである。
映画を観ながら、まるで観客がついついつられて、25年前の自分に会いに行くような錯覚に陥ることなど、滅多にあるものではない。



検事裁判所を定年退職したベンハミンは、孤独でなにかを置き忘れたような人生を送っているが、そんな自分から脱するために小説を書き始める。
25年前の1974年に起こり自分の運命も変えた「若妻レイプ殺人事件」。
この事件は結局迷宮入りにならざるを得ず、その顛末の中で主人公は想いを寄せるイレーネと別れ、親友のパブロを死なせる羽目になる。
このままでは自分の人生に決着がつかない。
ベンハミンはなかなか筆が進まない中で、久しぶりに当時は上司の判事補であり、現在は検事となっているイレーネのオフィスを尋ねることになる。
そして映画は、ミステリー色をふんだんに交えて、25年前の事件の真実に入り込むことになるが・・・。



1974年と言えば、ここアルゼンチンでは、国民に人気のあったイサベル・ペロン大統領が病死した年である。
妻のイサベル・ペロンが後を引き継ぎ、世界初の女性大統領となった。
このあたりはマドンナがイサベル・ペロンに扮した『エビータ』が懐かしい。
しかしこの女性大統領の政権は不安定で、2年後軍事クーデターが起き、多くのアルゼンチン人が虐殺された。
かといって『瞳の奥の秘密』はそんな歴史過程を描くわけではない。
高卒の一介の刑事裁判所のたいしてやる気もなさそうな男が、たまたま担当した事件で妻を殺された男の深い哀しみと執着にほだされて、キャリア出の優秀で美人のイレーネや親友の部下を巻き込みながら、真相にあと一歩と迫ったのに、命を狙われたこともあり、未解決のままブエノスアイレスを離れることになってしまうだけなのだ。
けれど、この物語は、単なる犯人探しではなく、「瞳の奥」が物語る「愛の真実探し」の物語にうまく転化している。
主人公は小説を書くことによって、その「瞳の奥」で物語られているものに、もう一度向き合うことになる。



「瞳の奥」になにがあったのか。
殺された23歳の美しい女性教師のポートレートにある信頼しきった愛のまなざし。
その妻を殺された銀行員である若い男の、苦悩にあえぎながらも真犯人をつきとめ、生きている限り罪を償わせようとする強い意志。
被疑者イシドロが、幼馴染である若妻に寄せる、蛇のようにまとわりつく視線。
アル中の親友であるパブロの、なにかを言いたげだった訴えるような感覚。
そしてなによりも、美しいイレーネが、地位やキャリアや出自が異なることから卑屈になって愛を告白できない主人公に寄せる、すがるようなまなざし。
25年ぶりに事件の行方を目撃した主人公は、今度は堂々とイレーネのオフィスに出向く。
イレーネは一目見るなり、ようやくというように、表情を変える。
それは、この主人公が25年ぶりにつかんだ、人生を回復しようという意志と自分に寄せる想いを、彼の「瞳の奥」にはっきりと見出したためだ。
初老にさしかかった二人にとっては、喪われた25年は、必要な期間であったのかもしれない。






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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そうですねえ。 (sakurai)
2011-03-28 22:05:16
改めて思い返すと、アルゼンチン映画ってないですね。
ドキュメンタリーでは何度か見ましたが、思い浮かびません。
でも、当地で行われたりしてるドキュメンタリーでは、いくつも秀作を見ております。
素晴らしい映画でしたね。
構成力も、役者のスキルも、落とし所も皆見事でした。
殺されてしまった新妻さんも出番はかわいそうな感じでしたが、とてもきれいだったなあ、と。
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これは良い映画でした。 (きさ)
2011-03-28 22:13:11
被害者の夫の選択が明らかになるラストのインパクトはすごかったです。
でも主人公の最後の行動が救いですね。
タイプライターのエピソードが憎いです。

この映画、朝日新聞の沢木耕太郎の映画評「銀の街から」で取り上げられていました。
http://doraku.asahi.com/entertainment/movie/review/100818_2.html

この評がいいのでぜひご覧ください。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2011-03-29 00:06:35
こんにちは。
美しい女優さんでしたね。
こういう映画を見たあとは、やっぱり映画はすごいなとあらためて思わされます。
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きささん (kimion20002000)
2011-03-29 00:08:18
こんにちは。

うまいですね。タイプライターとか珈琲とか扉とか道具の使い方も。
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リカルド・ダリン (mezzotint)
2011-03-29 10:43:07
こんにちは。
昨年、ラテンビート映画祭にて、リカルドさん
主演の「カランチョ」という作品を鑑賞しました。今回とはまた違うリカルドさんの魅力満載
でした。もし機会があれば、是非ご覧下さい。
アルゼンチン映画を観る事って本当に少ない
ですよね。これもなかなか面白い作品でした。
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mezzotintさん (kimion20002000)
2011-03-29 23:11:01
こんにちは。
そういう映画祭があるんですか。
「カランチョ」DVDでは出ないのかなぁ。
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初めまして (kazoo)
2011-10-04 12:37:45
初めまして。
TBありがとうございました。

アルゼンチンの司法のあり方にも
驚きましたが
この映画の余韻の重さに
なによりも驚きました。

愛は
その形を狂気にも変えるがゆえに
今を生きろというようなエピソード
凄かったです。
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kazooさん (kimion20002000)
2011-10-04 23:07:05
こんにちは。とても見ごたえのある映画でした。殺された同僚の男の、ユーモアあふれる演技もとてもよかったです。
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アルゼンチン映画 (オカピー)
2011-10-11 17:37:53
は、十年に一度くらいは日本でも観られますが、製作本数自体は少ないでしょうね。
それにしては観られる作品は優秀で、30年ほど前に「オフィシャル・ストーリー」が確かアカデミー外国語映画賞を獲っています。

もう少し体調が良い時に観たかったし、良くなったら必ず見直しますぞ!
ブルーレイに保存しておこうっと!

男女優とも良かったですね。
ソレダ・ビジャマルは、日本の誰それに似ているという話がほかのブログで出ていましたが、僕には、ペネロペ・クルスとオドレー・トトゥを足して二で割って老けさせたような印象がありました。
全然違うかな?(笑)
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オカピーさん (kimion20002000)
2011-10-12 02:11:36
こんにちは。
いいなあ、録画ブルーレイ持ってるの?(笑)
僕、ああいう感じの女性好きなの。でも老け役が上手だなぁ。
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