サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

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mini review 07258「パンズ・ラビリンス」★★★★★★★★★☆

2007年10月02日 | 座布団シネマ:は行
1944年のスペイン内戦下を舞台に現実と迷宮の狭間で3つの試練を乗り越える少女の成長を描くダーク・ファンタジー。『デビルズ・バックボーン』のギレルモ・デル・トロ監督がメガホンをとり、ファシズムという厳しい現実から逃れるため、架空の世界に入り込む少女を通じて人間性の本質に鋭く切り込む。イマジネーションあふれる壮大な視覚技術を駆使して生まれたクリーチャーや深く考察されたテーマに根ざした巧みな演出が衝撃的。[もっと詳しく]

オフェリアが紡ぎだした幻想(物語)の切なさ。

この作品の特徴のひとつは、スペイン語圏のキャスト・スタッフで固められていることである。
デル・トロ監督自身は、メキシコ生まれであるが、ハリウッドだけでなく、スペインの映画界からもその才能を評価され、発表の場を与えられている。
当然この作品は、スペインのゴヤ賞では7部門に輝き、カンヌ国際映画賞では上映後、20分のスタンディング・オベーションがおこり、英国アカデミーでは8部門にノミネート3部門受賞、全米映画批評家協会賞で最優秀作品賞、そして第79回アカデミー賞では6部門にノミネートされ、撮影・美術・メイクアップ部門でオスカーを得た。
スティーヴン・キングにいたっては「『オズの魔法使い』以来のベスト・ファンタジー』とさえ、絶賛している。

通常のファンタジーあるいはダークファンタジーでいえば、古代あるいは中世などの雰囲気に近似した架空の国に舞台を設定するか、近未来あるいは遠い未来のSF的な世界を仮構するか、ということになる。
現在のリアルな歴史時間に近ければ近いほど、ファンタジーはメルヘンあるいはホラーとして、つまりは夢の世界のように現れざるを得ない。
なぜなら、観客の側に、現実(史実)を忘れさせ、これは「お伽噺」ですよ、と断らなければ、単なるリアリティのない絵空事に終わってしまうからである。



しかし、「パンズ・ラビリンス」の描く世界は、たった半世紀ほどの過去、1944年フランコ軍事政権下のスペインを舞台にしている。
作品の世界の半分は、フランコを崇拝する残虐なファシスト・ヴィダル大尉(カルジ・ロペス)と山にこもったパルチザンとの重苦しい局所の内戦が描かれている。
これは「お伽噺」ではない現実世界である。
一方で、「パンズ・ラビリンス」の半分は、11歳の少女オフェリア(イバナ・バケロ)が「体験」する「牧神の迷宮(パンズ・ラビリンス)」における三つの試練が描かれている。
これは「現実」そのものではない幻想世界である。
この作品の特異性は、現実と幻想が織り交ざって、その血と涙、恐怖と哀しみ、残酷さと美しさ・・・それらが一体として「ダークファンタジー」を成立させている、というところにある。

同様な構図に近いものとして、同じスペイン語圏の作品でいえば、ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」(73年)をすぐに、想起することが出来る。
同じくフランコ圧政下、フランケンシュタインの巡回映画がやってくる小さな村で、6歳の少女アナは姉から怪物は村外れの一軒家に隠れていると聞き、それを信じ込む。その一軒家で、アナは負傷した兵士と出会う・・・。「ミツバチのささやき」でも、幻想と現実の境界線を危なっかしく往来するアナに僕たちは胸が苦しくなるような感情移入をしながら、少女独特の世界像に、引き込まれていったのだが・・・。



「パンズ・ラビリンス」の主人公の少女も当初は7歳で設定されていたが、応募したイバナ・バケロの年齢(11歳)にあわせて、脚本が修正されたという。
当初の脚本は不明である。また、デル・トロ監督にはすでにこの作品の原型をなしたであろう「デビルズバックボーン」というファンタジーめいた作品がある。
ただ、おそらく、11歳のイバナ・バケロを目にして、デル・トロ監督は、当初想定していたシナリオよりも、もっと「血=少女性」の匂いを濃くしたのではないかと、想像させられる。

オフェリアは物語=本の好きな、つまりは空想家の少女である。
内戦で、優しかった仕立て職人の父を亡くし、ヴィダル大尉の子を身ごもった母カルメン(アリアドナ・ヒル)と、大尉によばれ戦地に赴くことになる。
オフェリアは大尉に恐怖している。
暴力と血の匂いのする森の戦場も不気味である。
優しい母の体調や生まれてくる「弟」をきづかう気持はあるが、本当はヴィダル大尉に囲われる母に対しても、疎外された気持を抱いている。
オフェリアはこんなところに居たくない。
母から「もっと大人にならなければ」と揶揄されようが、オフェリアには、本=空想の世界にしか逃げ場はない。



大尉に会うための移動中の車で、つわりで気分が悪くなったカルメンは車を降りる。
オフェリアもしばし森を歩く。
山道で彫刻を施された石に躓く。
その石を拾い上げ、みつけた石像の破片と気付き、元に戻すように石を嵌める。
ここから、オフェリアの幻想が始まることになる。

森でみかけたカマキリのような昆虫が、初めての戦地の夜に不安なオフェリアのもとに現れる。
すぐに、オフェリアは「あなたは妖精?」と昆虫に声をかける。
そして自分の持っている本の「妖精」を指し示す。
すると、昆虫は、その絵のように、擬態することになる。
ここからのオフェリアの幻想劇は、たぶん昔に読んだことがあるだろう、「地下の国にいた王女モアナ。モアナはしかし地上のそよ風、日の光、青い空に憧れ、禁じられているのに地上に出てしまう。光にあたってモアナはすべての記憶を失う。ずっと後に、モアナは誰かの身体を借りて、もう一度地下の国に戻ることになる・・・」という物語が基底になることになる。



とすれば、幻想の国への道先案内をするパン(牧神)とはなにか?
パンとは繁殖と全宇宙をつかさどる神である。全宇宙ということは、善悪を含むすべてということであり、創造と破壊を生み出す中立性をもった神とされる。
ギリシア神話では、「死」を経験した唯一の神とされ、ニンフのシュリンクスを追っかけまわした逸話からも窺える様に、「情欲の神」という性格付けもなされている。
もっといえば、パン=サタンであるという解釈もある。
クリーチャーとしての造形も、奇怪な表情をしている。
味方なのか、敵なのか、善なのか、悪なのか、優しいのか、怖ろしいのか、どちらともとれるところに、特色があるといったほうがいいかもしれない。

自分が地下の国のモアナ王女かもしれないことは、パンから宣せられる。そして、パンはオフェリアに3つの試練を与える役割となる。
もし、モアナ王女に自分を同化したい=現実世界からかぎりなく逃避したい、というオフェリアの願望が、パンという存在を無意識に生み出したと解すれば、オフェリアが幻想(物語)世界を正当化するために、パンという中立的な審判者が必要であったということになる。
この作品の半分を占める幻想世界は、結局、パンが提出する3つの試練をオフェリアが受容したところから始まるのだから。
僕たちはここでオフェリアの、現実世界の大尉と母親とのカップリングを拒否したいという無意識を前提としつつ、オフェリアの心身の不安定構造は、本当は、もっと異なる位置から来ているのでは、という推理をしてみたいという誘惑にとらわれる。
その位置とは、初潮を控えた少女という存在の、固有の時間から来ているのではないか・・・。



パンはまず、オフェリアに<道を標す本>を与える。
オフェリアは誰にも見られないよう注意して本を開くがなにも書かれていない。
本当は、オフェリアの中にすでに言葉はあるのだ、彼女が望めば白紙に標があらわれるのだ、と解釈してもいいかもしれない。

そして、第一の試練。
「死に掛けている巨木を救うため、根に巣食う巨大ガエルと対決しなさい。魔法の石を食わせて、黄金の鍵を手に入れなさい!」

巨木の暗い裂け目は、<女陰>の形状をしている。
オフェリアは産道をさかのぼるかのように暗い穴を進み、粘液にまみれた巨大ガエルに向き合うことになる。オフェリアの衣服は一気に穢されていく。
ここで、僕たちは、生理時のおりものと子宮あるいは排出される卵子を暗喩することも出来る。



次に、第二の試練。
「壁の向こうに白いチョークで空間を開けて入りなさい。そこには豪華な食べ物が並べられている。一切、なにも口にすることなく、黄金の鍵を使ってあるものを取り出し、砂時計の砂が落ちきるまでに戻りなさい!」

 


この空間には、目鼻のない醜悪な「ベイルマン」が待っている。
たぶん、貪り食われたのであろう少女たちの靴だけがうず高く積み上げられている。
案内役の3匹の妖精は、なぜか、異なる鍵穴に誘導する。
オフェリアは正しい鍵穴をみつけ、短剣を取り出すが、戻り際に、誘惑に耐え切れず、葡萄を二粒、食べてしまう。妖精の必死の警告を、邪魔っけに振り払ってまでも・・・。
「ベイルマン」は突如動き始め、両手に目をつけて、追っかけてくる。
砂時計のタイミリミットは過ぎた。
オフェリアは白いチョークで天井に穴を開け、間一髪、現実世界に戻る。



この試練は、いったいなにを意味しているのだろう。
豪華な食べ物は、欲望を直接的に刺激する誘惑そのものであると捉えられるのではないか。
ここでは、初潮を経て大人になること、つまり自分で自分をコントロールすること、自制すること、禁欲すること、禁忌を了解することが暗喩されているのではないか。
幼いオフェリアは、まだ子どものように聞き分けのない、あるいは我慢が出来ない、という仕種をしてしまい、「ベイルマン」には追いかけられ、「約束を破った」ということでパンには一度、見放されることになってしまう。
僕たちはここで、オフェリアが、どこかで「大人になる」ことを拒否する、もっと無責任な子どもでいたいという無邪気さの残滓を、嗅ぎ取ることになる。

そして、もう一度パンが与えた最後の試練。
「生れ落ちた赤ん坊(弟)を攫ってきなさい。そして、赤ん坊と一緒に、地下の世界に降りなさい!」

オフェリアはヴィダル大尉に追いかけられながらも、なんとか、赤ん坊を携えて、パンの前に立つ。
ここで、パンは「赤ん坊の血を二滴捧げなさい!」とあらたな要求を重ねる。
つまり、赤ん坊は生贄にされるのだ。
しかしオフェリアはパンに逆らうことになる。
パンに踵を返したのも束の間、追いかけてきたヴィダル大尉に赤ん坊は取り戻され、オフェリアは瀕死の傷を負わされる事になる。
物語としては、第3の試練は、パンの引っ掛けであり、赤ん坊=無垢なる者、弱者を守る心があるのかどうかが本当の試練なのだ、というように明かされる。
ここでも、初潮を迎え保護するものとしての母性の所在が暗示されることになる。



もちろん、三つの試練以外にも、この作品には、豊饒に記号や暗喩が散りばめられている。解釈は自由だ。
ヴィダル大尉はなぜ、「時計」にこだわり、自分の父親が死ぬ際に、時刻を止めて記憶せよ!と伝えたことは否定するのか?
ナイフで口を裂かれ、自ら痛みに耐えつつ、縫い合わせている姿は、なにを象徴しているのか?
なぜ、生まれてくる子は「男」であると、確信を持っていたのか?
パルチザンと内通している使用人のメルセデス(マリベル・ベルドゥ)とパルチザンの弟との姉弟愛は、過剰に見えないか?
痛みを止める薬は二滴。牛乳に浸した「マンドラゴラ」に注ぐ血は二滴。生贄の赤ん坊に要求される血は二滴。
オフェリアの肩の三日月形状の痣は?
母の下血と、本にあふれた血の滲みと、オフェリアの初潮の予感とは?
三つの試練はなぜ、満月までに執行されなければならないのか?
母カルメンはなぜ、ヴィダル大尉に囲われることになったのか?
父親が営んでいた仕立て屋の関係だとしても、本心のところでは?
「世の中は残酷、人生はお伽噺じゃない」とオフェリアを突き放すような言い方をなぜするのか?

丁寧にあげていけば、おそるべき精緻さで、スペインの画家ゴヤの黒い絵のように、創り上げられた34にものぼるセットの造形や、複雑にプロットを組み合わせたシナリオに、見るものによって、自由な解釈を委ねるような仕掛けが、満載である。



デル・トロ監督は語る。
「ファシズムとは究極の恐怖である」
「ファシズムとは純潔の曲解であり、魂の死である」
そして、オフェリアが消え行く意識の中で、幻視したもの・・・。

地下の王女モアナに同化するための厳しく困難な試練は、現実のファシズム国家の罠から抜け出ようとするオフェリアのもうひとつの不可避の戦いではなかったか。
オフェリアは恐怖と苦痛に打ち震えているが、しかし、物語世界に投企する直截な勇気を持っている。
本当はこの世界で、初潮を迎え、女になり、大人になることが出来たのだろう。
けれど、もう、この世界にオフェリアの位置するところはない。
そよ風も日の光も青い空も、そのままでは満喫することなどできない世界。

しばらくはまた、私はモアナ王女として、地下に閉じこもることにしよう。
さようなら、オフェリア。さようなら、地上の世界。
オフェリアの意識が遠のいていく。
僕たちは、そっと、モアナ王女として存在するオフェリアを、想像したくなる。



 


 


 


 







 


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78 コメント

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TBありがとうございました。 (ぺろんぱ)
2007-10-11 21:43:42
kimion20002000さん、こんばんは。
TBありがとうございました。
ご無沙汰しておりましたが、貴ブログには時折お邪魔して拝読致しておりました。
特に時事問題に関しての切り口の鋭さには感服するばかりでした。
今回の記事に付いても大変興味深く読ませて頂きました。
某誌で読んだ某氏の「少女の成長を綴る物語」というコメントが、その時は何かしっくり来なかったのですが、貴レヴューを読ませて頂いて「血のイメージを伴ってオフェリアが様々な辛苦を経験していく」様子はまさに「成長の過程」と言えるのだなぁと深く感じ入った次第です。

>豊饒に記号や暗喩が散りばめられて

映画の各シーンを反芻しつつ私なりにじっくり考えてみたいと思います。

ありがとうございました。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
ペロンパさん (kimion20002000)
2007-10-11 22:16:40
こんにちは。
こういう映画は、とても好きなんです。
ついつい饒舌になってしまいましたが、別に神話学・記号学的にやってるんじゃなくて、いい加減な思い込みで、ごたくを並べているだけです(笑)
血の匂い (かえる)
2007-10-15 02:19:02
こんばんは。コメントありがとうございました。
記事内容、とても興味深く拝読いたしました。
なるほど、彼女は父権的ファシズムと闘った後、母性的なものに辿り着いたといえますね。

ご訪問いただきましたが、私の方は、トラックバック返しをしたかたちのではないので、よろしければTBの方もお送りくださいませ。
かえるさん (kimion20002000)
2007-10-15 03:08:52
こんにちは。
あの地下の国は、アニミズム的な中世世界ですね。ファシズムがもっとも忌み嫌い、否定しようとした世界です。
トラコメありがとうございました (dim)
2007-10-15 13:17:06
何度も目を覆いたくなるようなシーン、そしてオフェリアにかせられた過酷な運命。
今でもどこかでこんなことが行われており、オフェリアのような不幸な子供が後をたたないでいるのは悲しいことです。
・・・観たあとでぐったりしたけど、観てよかったと思う。いかに自分が平和ボケしていたのか、思い知らされました。
映画としての完成度も高いし、戦争について考えるためにも多くの人たちに観て欲しい作品ですね。
TBとコメをありがとうございました。 (豆酢)
2007-10-15 13:50:48
kimion20002000さんの記事にいたく感銘を受けていました。
と言いつつ、なかなかコメントを残すこともできずに失礼いたしました。

現在子育てにかかりきりですので、なかなか劇場に足を運ぶこともできないのですが、これはスクリーンで観ておいて本当に良かったと思えましたね。デル・トロ監督の「デビルズ・バックボーン」では消化不良気味であった部分が、今回はうまく機能していて感心しました。
ご指摘のように、「ミツバチのささやき」を私も思い出していました。この作品でも、ファンタジーと現実世界の境界が曖昧でしたよね。アナ・トレントちゃんの可愛らしさと現実の落差に、心を動かされましたものです。しかし「パンズ・ラビリンス」の方では、もっとファンタジー世界の輪郭が明確になっていました。この2つの作品の間にある差異を考えると、やはり「血=少女性」の匂いを濃くしたのではないかというkimion20002000さんのお説に同感ですね。
オフェーリアが主人公だからこそ、子供と大人の境界線を行き来する少女の危うさが作品に加味され、より血なまぐささを誘っていました。

また、3つの試練の比喩するところを考えてみるのも、この作品の楽しみのひとつだと感じましたね。

PS: kimion20002000さんの映画評はもちろん素晴らしいのですが、実は「腹立ちぬ!」や「姪っ子メグとお出かけ」コーナーも好きだったりします(笑)。

今後ともどうぞよろしくお願いします。
dimさん (kimion20002000)
2007-10-15 14:09:12
こんにちは。
戦争や内戦そのものを描くより、こういう作品の方が、より深く伝えるものがありますね。
豆酢さん (kimion20002000)
2007-10-15 14:13:35
こんにちは。
僕はほとんど半年遅れのDVDか名画座の人なのですが、この作品は珍しくロードショーで見ました。
いつもネタバレ無視なので、こういう上映中の作品のときは、いいのかなあ、と思いつつblogしてますが・・・。
腹たちぬとかひどい雑文でお恥かしいですが、こりずにご笑覧ください。
こんばんは! (kenko)
2007-10-15 18:28:04
Cnoteのkenkoです。
コメントありがとうございました。
kimion20002000さんのレビュー、深く頷きながら拝見させていただきました。

>痛みを止める薬は二滴。牛乳に浸した「マンドラゴラ」に注ぐ血は二滴。生贄の赤ん坊に要求される血は二滴。

ほんとだ!ぜんぶ2滴だったんですね~
気がつきませんでした。
3つの試練以外のたくさんの謎について考え始めると
これまたハマってしまいそうですね。
kenkoさん (kimion20002000)
2007-10-15 18:42:21
こんにちは。
シナリオもノベルズもパンフもあたってないので、記憶間違いがありそうですけど(笑)

ちょっとだれかが、日本の神話構造(アニミズム)との連関で、解読してくれたらなあと、思います。

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