サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 11525「美人図」★★★★★★☆☆☆☆

2011年05月06日 | 座布団シネマ:は行

数々の官能的な名画を残した18世紀朝鮮の天才絵師、シン・ユンボクと、その代表作「美人図」をめぐる愛の軌跡を描いた豪華でエロチックな文芸ロマン。シン・ユンボクが女性であるとの仮説のもと、彼女と運命の恋人、絵の師匠との複雑な関係をつづる。シン・ユンボクにふんするのは、『下流人生 ~愛こそすべて~』などのキム・ミンソン。彼女の恋人を、『後悔なんてしない』などのキム・ナムギルが演じる。めくるめく愛に加えて、人間国宝によって再現された名画や高額な文化財級美術など韓流文化の美しさにも注目。[もっと詳しく]

エロチックな文芸世界も、韓国作品が邦画を圧倒し始めた。


日本では日活ロマンポルノの伝統もあったが、日本版ヌーヴェルバークの旗手である大島渚、藤田敏八や、ATG作品系統でもある篠田正浩、吉田喜重や、本格派の今村昌平らによって、女優のオールヌードの文芸作品といったものはアジアでは最も多く、手掛けられてきた。
もちろんヘアーがみえるかどうかで映倫審査が問題になるといったくだらない「芸術論争」はあったにしても。
韓国映画のメジャー作品で、裸体表現、性愛表現がかなり厳格に規制されていたのは、驚くべきことにごく最近の2000年代初期あたりまで。
たとえば韓国における日本文化の開放政策はようやく1998年から開始されたのだが、映画に関してだけをみてもその歴史を追ってみると興味深い。
98年の第一次では、四大国際映画祭参加作品のみ。
99年の第二次で劇場用アニメを除き、年齢制限の無いものを開放。
00年の第三次で国際映画祭で受賞したアニメ作品と、18歳未満禁止以外の劇場映画を開放。
04年からの第四次でようやくのようにすべての映画作品が開放。
もちろん性表現だけのことではないにしても、自国の映画監督たちにも同じような規制圧力があった。
それを突破してきたのがキム・ギドクら少数の芸術派監督たちであった。



『美人図』は08年制作である。
この年に、かなり大胆な若手美人女優によるオールヌードが話題も呼び、観客動員もかなりの数字を達成した。
『美人図』ではキム・ギョリが、そして同様の歴史劇では『霜花店ー運命その愛』のソン・ジヒョ、そして『渇き』のキム・オクビンといったあたりである。
この3人の共通点を指摘できる人は、結構韓国映画ファンであるかもしれない。
僕は、一時期韓国の美少女ホラーに凝ったことがあったのだが、この3人は女子高怪談シリーズで出演していた少女たちだった。
韓国では美少女アイドルの映画の登場パターンは、ことのほかホラー映画が多かったのだ。
そこから何年かして、テレビドラマなども経験し、女優として次のステップを求めたのか、監督や脚本や共演者に惹かれたのか、おそらくそのどちらでもあるのだろうが、彼女たちは惜しげもなく裸身をスクリーンにさらすようになった。
たぶん本家である日本を、凌駕するかもしれない体当たり演技で・・・。



18世紀末、李氏朝鮮の22代王の正祖の時代。朝鮮でもルネサンスとされた文化が花開いた時期である。
日本で言えば、江戸時代後期、田沼意次が重商政策を唱え町人文化が爛熟し、その行き過ぎもあったか、松平定信が寛政の改革で倹約令を出し、引き締めにかかった頃である。
当時、宮廷の絵師で当代一とされていたのがキム・ホンド(キム・ヨンネ)。
そこに送り込まれたのがライバル絵師の一族で、後代にも天才絵師と伝えられるシン・ヨンボク(キム・ギュリ)だった。
『美人図』では幼い頃から絵の抜群の才能があった一族の娘であったユンジョンが、兄シン・ヨンボクに成り代わり、男として弟子入りするという解釈をとっている。
僕は見ていないが、このシン・ヨンボクを描いた『風の絵師』という韓国テレビドラマでも同様の設定がされたらしい。



もともと才能のあったユンジョンはホンドにも可愛がられ、王の前でも斉国の管子の「礼儀廉恥」の文字絵を献上したり、トラブルに巻き込まれても唐の乞食僧である拾得の絵を描いてその場を逃れたりという、正当な水墨画の文法を踏まえた絵師であった。
庶民の生活を知りたいと言う王の要請に応じて、偶然出会った鏡職人のガンム(キム・ナムギル)の案内で市場などを写生するうちにその面白さを知ることになり、水浴びをする女たちのあけすけな会話と開放的なエロティシズムに虜になったりする。
師であるホンドもその絵に驚いたりするが、それは「俗画」であり、手放しで褒めるわけにもいかず、また図画署の長老たちからは卑猥であるといった非難を受けている。
物語は、ユンジョンとガンムの恋愛と、師であるホンドと昔の愛人で当代一の美人妓女であるソルフィ(チュ・ジャヒョン)の四画関係で悲恋を迎えることになる。
その物語の構成は、しかしそれほど上等に描かれているわけではない。



テレビドラマでいやになるほど韓国の宮廷物語を見ているが、おしなべて宮廷内の描写は僕たちにはあまり興味は無い。
面白いのは、市井の大衆の描写であり、それがこの『美女図』でもいきいきと描かれている箇所だ。
ユンジュンがガンムの手引きでスケッッチするシーンがとても面白い。
また妓女の館に迷い込んで、そこで両班たちが秘密裏に清国の四十八手のような性技を妓女が演じているのを夢中で見ているところが笑える。
あるいは寺院に行って、僧侶と上級階層の女たちが淫らに耽っているところの描写なども興味深い。
そうしたあけすけな世界も、一方で儒教思想のなかで礼儀に明け暮れる宮廷の世界や修行のストイックな師弟関係が存在するから引き立つところもある。
師であるホンドが琴を奏で、その音階を水墨の筆の流れに置換する修行や、二人が並んでピアノの連弾のように一枚の紙に絵を協作するところも魅惑的だ。



女が男に成りすますというのは、韓国映画に限らずよくあることだが、いくら胸をきつくサラシで巻いたとしても、その声色や肌の感じでばれないのがおかしいと思うのはいつものことだ。
10歳頃の少年期なら別だが、十代も後半になれば、不自然さはある。
『チェオクの剣』の別伝のような『デュエリスト』で、美人のハ・ジウォンが男に偽装した女剣士役を披露したが、わかってはいても不自然さはつきまとった。
それでもやはり、ユンジョンが韓服を着飾ったり、乳房が現れたり、普段は髪上げしているがその黒髪を裸身に垂らしたりすると、思わずドキっとしてしまう。
それはホンドがその才能に惚れこみ、ガンムとユンジョンの性愛を盗み見てしまいはじめて弟子が女であることに狼狽し、ガンムへの嫉妬に燃えながら師弟の距離をとろうと苦しむ、そんな初老の男のそしておそらく誰よりも「美」を尊ぶ感性を共有する姿に、よく現れている。
これもひとつの禁忌であり倒錯なのだが、それはエロティシズムの原型を思わせたりする。
その意味では自然児のようなガンホや、教養がありながら嫉妬に狂う妓女ソルフィは、単に男女の愛のかたちが刻まれているだけかもしれないなどと思ったりもする。



時代背景もそうなのだが、江戸期にその技を競った浮世絵師などの世界、特に春画の世界を連想したりもしたくなる。
春信がいて、北斎がいて、歌麿がいて、他にも奇想な絵師たちが競い合った。
日本の江戸期にはほとんど女絵師は存在しない。
しかし、春画は残ってはいないが、たった10ヶ月で姿を消した写楽は、一説によると山東京伝の妹であったのでは、という説もある。
役者絵に較べて相撲絵はあまりうまいとは思えず、それは当時女性が相撲観覧は禁止されていたからではないか、あるいは絵の材料に雲母を用いているがそれは女性の化粧品に使われるものだという、少数派ではあるが見立てである。
ともあれ、韓国の男優も、女優も、監督も、本気モードにかけては日本を凌いでいる。
2000年当時、何度も韓国に行き、映画論を飲み屋で韓国の知人とあれこれやりあう中で、「駄目だよ、女性のまともな裸体も描けないんじゃ」などと酔いにまかせてからんだことを懐かしく思い出す。
こちらは高級妓女の世界も、まったくといっていいほど体験していなかったくせに・・・。

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