サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

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音羽の体現/野間佐和子(講談社社長)/67歳

2011年03月30日 | 毎日がメメント・モリ

講談社社長、野間佐和子さん死去


読売新聞 3月30日(水)16時5分配信

 

 講談社社長の野間佐和子(のま・さわこ)さんが30日午前9時、心不全で死去した。

 67歳だった。葬儀は近親者で行い、後日、社葬を行う予定。喪主は長男で同社副社長、省伸(よしのぶ)氏。

 同社の第4代社長、省一氏の長女。夫で第5代社長の惟道(これみち)氏が急死した1987年、第6代社長に就任した。24年間の在任中、村上春樹氏の「ノルウェイの森」など多くのベストセラーを世に出した。新社屋の建設や、2009年からの創業100周年記念事業も指揮した。

 また、読書推進運動協議会会長、日本出版クラブ会長のほか、読売新聞社に事務局を置く活字文化推進会議の推進委員も務め、活字文化の振興に尽力した。

 講談社は、31日に取締役会を開き、省伸副社長の同日付での社長昇格を決める。

講談社を創業した野間清治は明治42年に大日本雄弁会を設立、その2年後に講談社を設立し「雑誌王」となったがなかなかに豪快な人物であったらしい。
それから続く「野間家」とともに講談社はいまもある。
清治急逝のあと一子恒が二代目となったが、直後にあとを追うように30歳で死去。
妻である登喜子が三代目を継ぎ、後に満鉄から高木省一を婿に向かえ、彼が中興の祖である野間省一となる。
その省一の一人娘が佐和子であり、佐和子の入り婿が最後の陸軍大臣であった阿南惟幾の五男惟道。
五代目社長惟道は雑誌を次々と創刊したが49歳で死去。
そして「野間家」を守るために、たぶん普通の主婦であった佐和子が六代目となり、結果として長期政権となった。
出版界の講談社を中心とする音羽グループと小学館を中心とする一ツ橋グループに代表されるが、講談社も13期連続の赤字であり、資産の切り売りをしていると伝えられている。
息子である省伸に七代目を譲るのは既定路線であったがその矢先の死となった。
経理マンから入ってきた省伸に不況の出版界の舵取りができるものかどうか、知人の講談社関係者も不安顔だ。
週刊「現代」のお下劣な袋とじ企画には、野間佐和子も眉を顰めていたらしいが、もう野間家の創業者直系の血は絶えているが、ホールディングカンパニーに野間一族が占める割合は絶対的だ。
そういえば僕は大学を出て、とりあえず入社試験を受けた出版社は、講談社と平凡社。どういうわけか数百倍と言われた入社試験に通ったのだが、結局その後の面接を受けることはなかった・・・合掌!

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1 コメント

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違いますヨ(笑) (モニカ)
2019-06-08 05:29:38
文中の『妻である登喜子が三代目を継ぎ』は登美子さんではなく清治の妻の左衛です。左衛は徳島出身で阿南陸軍大臣とは徳島で同じ剣道の道場でしたのでそのよしみでその遺児を養子にしました。てな訳です。登美子さんは賀陽宮家からの人ですので大事にされていたから社長になんかさせませんでしたヨ(笑)

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