水晶山きまぐれカバン店

安曇野 十色屋 日々のこと 

上皿式天秤量り

2006-09-30 | ノスタルジー
仕事で使う昔ながらの天秤量り。カマキリのような ちょっと気難しい顔。「そんなに分銅をのせないでくださいまし」とか言ってそう、スターウォーズの召し使いロボットのように。両方のお皿がつり合うように乗せて重さを量るなんて、原始的だけど正確、デジタルじゃないところが なんだかいい。姿かたちもヒョウキンだしね。Kif_0082



曼珠沙華(彼岸花)の頃

2006-09-29 | ノスタルジー

近所のお寺で、珍しい花をいただいた。曼珠沙華、私は子供の頃から「彼岸花」とよんでいた。9月23日のお彼岸になると必ず咲く、不思議な花。このあたりでは あまり見かけないが、私の故郷では田んぼの畦にたくさん咲いていた。葉っぱがなく、恐いくらい鮮やかな朱色の花に惹かれて、摘んで帰ったら母に叱られた。「毒がある」とか「お墓に咲くので縁起が悪い」とかの理由だったと思うけど…ぼんやりした記憶でモノクロ写真のように思い出す。そして、彼岸花の赤だけが鮮明に浮かぶんです。


海を見た日

2006-09-26 | 日記・エッセイ・コラム

何年ぶりかな、今日 海を見た。あいにくの曇り空だったけど、日本海はいつもの色だった。お魚を買いに、新潟県の親不知まで出かけた。久々の遠出のドライブ。山に囲まれて暮らしていると、ときどき広い広い海が恋しくなるときがある。波打ち際ですーっと海の匂いをかいで、おかしな物をひろって、いい気持ち。たまには海を見にこようかな…。Dscf0009_4Dscf0006_3


秋桜 咲き乱れて…

2006-09-25 | 日記・エッセイ・コラム

秋空にコスモスが咲き乱れて、せつなくなるほどきれい。信州の秋だな~って気がする。田んぼの畦の草は刈っても、コスモスやワレモコウなどは残してくれているんだ、うれしいなぁ。透明な空の青と少しずつ濃さのちがうコスモスのピンク、とても似合う。9月も終盤に入って、安曇野は秋まっさかり…。Dscf0007_2


天高く馬肥ゆる秋

2006-09-22 | 日記・エッセイ・コラム

キラキラと澄み渡った秋の安曇野、道端の手を延ばせば届く所に たわわに実った林檎やキーウイや葡萄が…。まさに天の恵み、実りの秋!そして、青空は果てしなく高く、その下に北アルプスはそびえる。なんてきれいな所、こんな日はここに住んでいることが信じられない。Dscf0001_11 (画像をクリックして見て)       Dscf0003_5


がんばれchiezoo!

2006-09-18 | おいしいもの

chiezooという屋号?あだ名?の友人がいる。東北出身で、年下で、畑をやっていて、自然な材料でパンやお菓子を焼く。時々 自転車で走っているところを見かけると、おもわず笑ってしまう。ラテンの血をひく関西人の私の冗談に、しっかりついてくるかわいい奴。彼女の話題がでると、フフフッと笑ってしまう。私のめざすところだ。今度11月の「安曇野スタイル2006」のイベントの時、chiezooのパンとお菓子がうちに来るんだ。今から楽しみ~!Dscf0001_10


秋の夜のライブ

2006-09-16 | 日記・エッセイ・コラム

穂高の森の中にある、ギャラリー.シュタイネのライブに行って来た。「笑いと心動と休息と」と題して始まる、森下真吾さんの陶展のオープニングライブだ。真吾さんとゆめやえいこさんの生のギターと生の歌声が、夜のギャラリーに響きわたった。森の動物達もびっくりしたろうか、深くしみとおるような、秋の夜に包まれるような優しい音楽。気持ちいい心動と休息の夜だった。Dscf0007_1Dscf0008_4


惑星?のような木の実

2006-09-13 | 日記・エッセイ・コラム

穂高の駅前の「ヤマボウシ」が赤い実をつけていた。まるで惑星のクレーターのようなプツプツがあって、可愛いのか気持ち悪いのか…、とっても不思議な木の実。ヤマボウシの忍者の手裏剣のような白い花は大好きで、去年 庭に植えてみたものの、陽があたらないのか花が咲かなそう。もっといい場所に移してあげよう、そしたらプラプラとこんな実をつけてくれるかしら。Dscf0004_4


グリさんの憂鬱

2006-09-12 | 日記・エッセイ・コラム

カフェ.シュトラッセの看板ねこグリさんが、お気に入りの寝床から窓の外を見ていた。外はセプテンバーレイン、冷たい霧のような雨。何を思っているのか、すこし切な気…。雨に濡れるのがいやでおもてに遊びに行けないからか、それとも、もうじき大好きなこの場所から引っ越さなければいけないからか…。珈琲豆の焙煎機の片隅に、憂鬱なまなざしの猫一匹。Dscf0005_6