5月4日の祖父金太郎、祖母ミチエの法要では、
おおぜいの方々が集まり、供養していただきました。
平礒の人口45人に近いくらいの集まりとなり、
ありし日の姿を偲び、
見たことのない姿に想いをはせました。
さまざまなお話をしながら、
そのつながりや絆を強くできたように思います。
中学校卒業後、大阪に大工修行に出られた70歳をこえた中野明徳おじさんも
たいへん喜んでいました。
何年経っても、いくつになっても、
ふるさとというものは、色あせないのかもしれません。
「ふるさとに錦を」という言葉を聞きますが、
「ふるさとが錦」なのです。
岬人(はなんちゅう)
おおぜいの方々が集まり、供養していただきました。
平礒の人口45人に近いくらいの集まりとなり、
ありし日の姿を偲び、
見たことのない姿に想いをはせました。
さまざまなお話をしながら、
そのつながりや絆を強くできたように思います。
中学校卒業後、大阪に大工修行に出られた70歳をこえた中野明徳おじさんも
たいへん喜んでいました。
何年経っても、いくつになっても、
ふるさとというものは、色あせないのかもしれません。
「ふるさとに錦を」という言葉を聞きますが、
「ふるさとが錦」なのです。
岬人(はなんちゅう)