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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

粉河寺-(1) (紀の川)

2019年10月01日 | 寺社巡り-和歌山

【和歌山・紀の川市】奈良時代後期の宝亀元年(770)、紀伊国那賀郡に住む 猟師・大伴孔子古を開基として創建されたと伝わる。 同年、寺の鎮守として粉河産土神社が境内に創建された。
平安時代には朝廷や貴族の庇護を得て興隆し、平安時代後期にはその頃から始まった西国三十三所観音霊場の札所の1つとして栄えた。 最盛期の鎌倉時代には七堂伽藍、塔頭五百五十ヶ坊、東西南北各々四キロ余の広大な境内地と寺領四万余石を有し、また、大勢の僧兵を擁する大寺院となり、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇った。 室町時代末期の天正元年(1573)、境内南側の猿岡山に猿岡山城を築城して寺の防衛を図った。 宗旨は天台宗系の粉河観音宗(総本山)で、本尊は千手千眼観世音菩薩像。 西国三十三所観音霊場第三番札所。

JR粉河駅から北に延びる門前町の「粉河とんまか通り」を15分ほど進んで抜けると、門前の中津川に架かる丹塗りの大門橋に着く。 大門橋は擬宝珠欄干付の反橋で、その先の建物の間に、参道を塞ぐかのように丹塗の大門がで~んと構えている。 大門は三間一戸の楼門で、脇間の金剛柵の中に金剛力士像が鎮座し、忿怒の形相で仏敵の侵入を防いでいる。
大門前の左手に小棟造りの善光寺と地蔵堂が建ち、善光寺に対面して蛯子神社がある。 善光寺は境内に鎮座し、「粉河寺案内図」にも記されているので塔頭かな。
大門をくぐり切石敷の参道を少し進むと、左手に法輪を入れた白幕が張られた不動堂が建つ。 境内西端に建つ不動堂に祀られている不動尊像は、弘法大師空海が爪刻したものとされる。 不動堂から、境内の脇を流れる長屋川に沿って東に延びる参道を進むと、まず小さな地蔵堂と白壁の羅漢堂が並んで東面で建つ。 羅漢堂の正面の欄間部に、金網で保護された古そうな刳抜蟇股と透かし彫り彫刻が配されているが、傷みが激しい彫刻は頭部が欠損した2体を含めた10体の像で、十王像と思われる。
少し進むと、築地塀で囲まれて2つの門を構えた本坊、その右隣りに白壁の童男堂が南面で建ち並んでいる。 童男堂は正堂と礼堂が相の間を介して繋がった構造で、正面の礼堂は木部が丹塗りで脇間の白い板壁に少し変形の花頭窓を設けている。

門前を流れる中津川に架かる擬宝珠欄干付反橋の大門橋

入母屋造本瓦葺の大門(国重文)....宝永四年(1707)の再建(鬼瓦刻銘から)、門前に「西國第三番粉河寺」の寺号標石と正徳五年(1715)造立の石燈籠(大門側)が佇む

大門は三間一戸の総欅造りの楼門で、両脇間の金剛柵の中に金剛力士像が鎮座
 
軒廻りは二軒繁垂木、組物は変形の三手先(と思う)で中備は刳抜蟇股、軒支輪と軒天井とが設けられている
 
両脇間に鎮座する、筋骨隆々で忿怒の形相の阿形・吽形の金剛力士像

上層(上重)は中央間に板唐戸で脇間は連子窓、周囲に組高欄付き切目縁....腰組は変形の三手先(と思う)で組物間に蓑束と刳抜蟇股

大門に向かって左手に鎮座する善光寺と地蔵堂(右)....善光寺本堂は寄棟造(小棟造)で本瓦葺
 
入母屋造桟瓦葺の地蔵堂/地蔵堂に鎮座する錫杖と宝珠を持っ舟光背型地蔵石仏
 
善光寺と対面するように鎮座する蛯子神社....「蛯子社」の額が掲げられた明神鳥居の先に入母屋造銅板葺の拝殿が建ち、中央間の奥に本殿がある/ 一段高い位置に神門があり、中の覆屋に本殿が鎮座

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の不動堂....弘法大師爪刻の不動尊を安置している....手前の石燈籠は天明二年(1782)の造立

不動堂は中央間に腰高格子戸、周囲に擬宝珠高欄付き切目縁を巡らす
 
正面に法輪を入れた白幕が張られた不動堂....軒廻りは一軒疎垂木、組物は束の長い大斗肘木、中央間のみに中備で蟇股

不動堂近くから眺めた境内....木造部が朱塗り仏堂は童男堂、右奥は本堂の屋根....境内の脇を流れる中津川の支流(長屋川?)に沿って切石敷の参道が中門に延びている

不動堂の近くに建つ小棟造りの羅漢堂(右)と地蔵堂

寄棟造本瓦葺の白壁の羅漢堂....左手に切妻造本瓦葺の地蔵堂
 
羅漢堂正面の欄間にある刳抜蟇股と透かし彫りの彫刻(10体の像で十王像のようにみえる)/地蔵堂に安置されている子育地蔵像は享保十九年(1734)の造立

不動堂から東に延びる参道から眺めた本坊(左)と童男堂

定規筋(筋5本)の入った袖塀を有す本坊の切妻造本瓦葺の四脚門....左に連なる築地塀に通用門が設けられている
 
入母屋造本瓦葺の本坊(御池坊)....獅子口を乗せた唐破風の玄関に装飾性の高い兎毛通、頭貫と飛貫の間に変形の彫刻蟇股を配す

入母屋造本瓦葺で千鳥破風を設けた童男堂....延宝七年(1679)の建立....右手前の石燈籠は天明二年(1782)の造立
 
飾手水鉢越しに眺めた正面五間の童男堂....千手観音の化身でる童男大士(童男行者)を祀る/中央間は一間奥に引っ込んだ造りで三方は腰高明り障子...脇間は腰高明障子と花頭窓

軒廻りは一軒繁垂木で組物は刳形舟肘木、中央間の梁に大きな蟇股....中央間で切られた擬宝珠高欄付き切目縁を巡らす
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