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【神戸・西区】南北朝時代に三重塔、室町時代後期に文殊堂が建てられた。 室町時代の天文八年(1539)、火災により本堂・諸楼・法器を焼失したが、このときの院主(住持)だった一条院泉範が本堂修営の大願を立てて広く浄財を集め、5年後に再建した。
江戸時代の寛文七年(1667)に東叡山寛永寺の末寺となり、12坊院と朱印地43石余、年貢地80石余、寺領として山林東西16町(1744メートル)南北12町(1308メートル)を有していた。 本堂は老朽化で傾いたため第二次世界大戦後まもなく解体された。
■芝生の広場の西側に三角型の巨石に六地蔵の梵字を刻んだ石碑が、そして北側の一段高い処に本堂が建っていた境内がある。 刻まれた大きな月輪の中の六方に六地蔵の梵字を刻んだ石碑は多分珍しく、自分も初めて見た。 石碑の足元に小さな五輪塔と板碑が佇んでいるが造立期は不詳。 ちなみに磨滅が進んだ五輪塔は、平清盛とつながりのある平安時代末期の武将・平惟盛の供養塔らしい。 本堂が建っていた境内には、石段と2基の石燈籠そして礎石群が遺構として残っている。 整然と並んでいる礎石群を眺めながら、深い樹林を背にして建つ本堂の姿を想像してみた。 そして、中央の広場を囲むように本堂、三重塔、阿弥陀堂(常行堂)、文殊堂などが建ち並ぶ優雅で壮大な伽藍に想いを馳せた。
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△三重塔から眺めた西側の一段高い処に対面して建つ阿弥陀堂
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△旧本堂を含めた境内四方の堂塔(旧本堂、阿弥陀堂、文殊堂、三重塔)に囲まれた中央の芝生の広場から眺めた文殊堂と三重塔
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△芝生の広場から眺めた北側の一段高い処にある旧本堂の跡
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△芝生の広場の西隅に鎮座する三角形の珍しい石塔
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△大きな月輪の中に六地蔵尊(と思う)の種子が刻まれた三角形石塔
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△月輪内頂部に彫られた種子は天華地蔵(天道)....足元に佇む小さな五輪塔と板碑が鎮座
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△磨滅が進んでいる五輪塔は平惟盛の供養塔と伝える....平惟盛は平安時代末期の平家一門の武将で、平清盛の嫡子平重盛の嫡男/蓮華座に置いた月輪に阿弥陀如来と思われる種子「キリーク」が刻まれている
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△本堂への石段と石燈籠....石燈籠も当時のままの遺構か?
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△盛り土の上に礎石が残る本堂跡の遺構....本堂は老朽化で傾いたため第二次世界大戦後まもなく解体された
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△本堂跡にとどめる礎石群....礎石の並び数から五間四方の建物だったとみられる
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△本堂跡の左奥の樹林を背にして建つ供養塔/「明治千人講満願供養塔」と刻まれた石碑
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△供養塔傍の本堂跡の脇から三重塔、文殊堂そして阿弥陀堂を一望
■本堂跡からそのまま阿弥陀堂(常光堂)境内に行けるが、一旦広場に下り、石段を上って阿弥陀堂の正面に。 三重塔に対面するように建つ阿弥陀堂は鎌倉初期建立で、正面三間が全て蔀戸でかなり簡素な造りだが、美しい構えで、古の風情を色濃く残しているように感じる。 阿弥陀堂の後方に塔頭の翫玉院が建ち、左右の門柱に「翫玉院」と「納経所 非公開地域」の掛札が掲げられている。
伽藍の拝観を終え、境内参道を下って寺号標石の手前にきた時、左手の雑草の中に大きな窪みと水口のような石造物を見つけた。 多分、放生池があった跡だろうと勝手に想像しながら帰路についた。
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△本堂跡側から眺めた境内西側に建つ阿弥陀堂(常光堂)
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△本堂跡前に立つ石燈籠越しに眺めた阿弥陀堂(常光堂)
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△石段の上に三重塔に対面して建つ阿弥陀堂
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△入母屋造とち葺き形銅板葺の阿弥陀堂(常光堂)(重文)....鎌倉時代初期の建立
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△三間四方で床下に亀腹、周囲に高欄の無い榑縁を巡らす....正面は全面蔀戸
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△軒廻りは二軒繁垂木、組物は平三ツ斗で中備は本蟇股
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△堂前に佇む宝篋印塔越しに眺めた阿弥陀堂
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△宝篋印塔は隅飾突起の反りが小さく、相輪の伏鉢が大きいので室町時代の作と思う
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△阿弥陀堂の右側面....正面側が板扉、中央が蔀戸、後方側が白壁....大棟に鬼瓦、拝は猪ノ懸魚、妻飾は豕扠首
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△阿弥陀堂の背面....両側が白壁、中央は板扉と白壁の小脇羽目
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△阿弥陀堂の後方に建つ塔頭の翫玉院(納経所)
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△切妻造本瓦葺の翫玉院の山門....桟瓦葺の袖瓶は腰板羽目に白壁
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△非公開地域なので山門から境内を拝観
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△築地塀越しに眺めた入母屋造桟瓦葺の御堂....妻飾は素式
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△阿弥陀堂の右から眺めた唐破風の玄関を設けた御堂
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△阿弥陀堂境内から眺めた三重塔と文殊堂
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△文殊堂の南側の境内入り口にある”くぼ地”....水口らしき遺物があるので放生池の跡とみられる
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△境内入り口に立つ「如意寺地蔵尊往生極楽護持」と彫られた石柱/柱上部に彫られた地蔵尊坐像