【横浜・鶴見区】昭和六十一年(1986)度に横溝家から五棟の建物と一帯が横浜市に寄贈され、修復工事等の文化財整備が行われた。 2年後の昭和六十三年(1988)11月、旧横溝屋敷(古民家)は横浜市文化財保護条例に基づいて指定文化財第一号に指定され、平成元年(1989)11月から「横浜市農村生活館 みその公園『横溝屋敷』」として一般公開された。
■「横浜市農村生活館 横溝屋敷」の横額のある入口から主屋に入る。 すぐの土間はニワと呼ばれ、その奥に土間のダイドコロがあるが、竃と流し台がある部分は、二階の蚕室に竈の煙が行かないよう主屋から外に張り出した造り。
ニワから室内を眺めると、南側に10畳のヒロマ、北側に15畳の広いチャノマがある。 ヒロマを通して奥に7.5畳のブツマ、そして客間である10畳のオクザシキが見える。 式台を上がってまずヒロマに。 ヒロマは板襖で仕切られ、欄間に神棚を収納するガラス張りの大きな棚がある。 ブツマとオクザシキは庭園に面していて、開けられた腰高明障子の間からやわらかい日差しが注いでいる。 客間のオクザシキには欄間付きの付書院があり、優美な水面模様の透かし彫りの欄間と腰部に巧みな文様の桟を入れた明障子は印象的だ。
△「横浜市農村生活館 横溝屋敷」の横額が長押に掲げられた主屋の入口....左手の仕切りを設けた縁側がある部屋はヒロマ(広間)で沓脱ぎ石が置かれている
△土間のニワ(庭・玄関)から眺めたヒロマ(広間・左)とチャノマ(茶の間・右)....縦幅が広い差し鴨居が多用されている
△奥は茶の間、右手はダイドコロ(台所)から茶の間への上がり口
△土間の台所....二階の蚕室に竈の煙が行かないよう主屋から外に張り出した造り
△台所の流し台と2つの無双窓 カマド(竈)
△土間の玄関から見た連なる主な3部屋....広間とブツマ(仏間)とオクザシキ(奥座敷)
△広間から眺めた中門....中門は格式の高い家に設けられ、身分の高い訪問者が池泉鑑賞庭園を通って直接奥座敷に行けた
△続き間の主な3屋の広さは、広間10畳、仏間7.5畳、奥座敷10畳....広間と仏間は珍しい板襖で仕切られている
△手前の広間と奥の茶の間とを仕切る菱格子障子を入れた板襖....欄間に横一間の大きさの神棚
△広間から見た手前の仏間と奥座敷....池泉鑑賞式庭園に面した腰高明り障子の両部屋は、縁側から庭園を鑑賞できる
△奥座敷の床の間、その横に明り取りが出窓のようになっている付書院がある
△付書院の明障子の腰部に巧みな文様の桟を入れ、欄間には優美な水面模様の透かし彫り
△奥座敷の西側の榑縁....奥の縁脇に手水鉢、その奥の建物は厠/自然石に水穴を彫った蹲踞手水鉢
△蹲踞手水鉢傍の縁側から眺めた庭園の西側
■オクザシキの北側は6畳のナンドで、傍に主屋から突き出た厠がある。 主屋の北側はナンド、ヘヤそしてチャノマが連なる。 二階への階段がある6畳のヘヤには、「LITTLE JAMMER PARIS」と表記された海外製の人形や日本人形(五月人形・雛人形)が置かれている。 前者は音楽隊の人形で、音楽装置らしきものがあるので多分、音楽に合わせて体を動かしながら楽器を演奏するものと思う。 豪農だった前者は音楽隊の人形で、音楽装置らしきものがあるので多分、音楽に合わせて体を動かしながら楽器を演奏するものと思う。 豪農だったゆえ、いずれも高価なものだと思う。
一家団欒の間であるチャノマだが、一般に見られる囲炉裏がない。 多分、ダイドコロと同様、二階の蚕室に煙が行かないようにするためだろう。 両側に手摺がある急な階段を上って二階へ。 広々とした二階は、真ん中に3部屋を設け周りに廊下を設けた造りで、当時の食器、茶器、絵皿など様々なものが展示されている。
△厠近くに位置する6畳のナンド(納戸)
△階段下の6畳のヘヤ(部屋)に置かれた海外製の人形(音楽に合わせて動く?)や音楽装置らしきもの
△階段下の6畳の部屋にあるガラスケースに収められた雛人形など
△茶の間に囲炉裏がないのは、二階の蚕室に煙が行かないためだろう
△納戸と茶の間の間の6畳の部屋に設けたられた二階への急な階段
△階段を上がった処から見た3つに仕切られた旧蚕室
△3つの蚕室を囲むように周りに廊下を設けている
△茅葺屋根の古民家の模型が並ぶ....左端が旧横溝屋敷の主屋
△真ん中の蚕室に展示されている食器、茶器、絵皿などが並ぶ
△堅牢な梁で構成された二階の蚕室と廊下の天井/二階の南側の窓は低い腰高明障子の窓で、明るく風通しがよい
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