【横浜・都築区】大塚集落遺跡から南に約80メートル離れた位置に広がる「歳勝土遺跡」は、大塚遺跡の住人たちの墓所とされる。 25基ある墓は弥生時代~古墳時代にかけての墓の一形態である"方形周溝墓"。 周囲に溝を掘り、墓域が広く土盛りを施して中央に木棺をおいた方形周溝墓は有力者のものとみられ、社会的な発展を示す。
■大塚遺跡の南に位置する歳勝土遺跡に近づくと、こんもりとした方形の墓が幾つか見える。 復元された5基の墓は、方形に土を盛り、四方に溝を掘った造りだが、その中央付近だけに棺を納めたにしては大き過ぎるサイズだ。
墓所内には墓道があるが、北に約80メートル離れた大塚のムラから続いていた道らしい。 墓道を奥に進むと、復元されていない墓の溝の跡が分かるように石が並べられている。 当時の大塚のムラには100人くらい住んでいたらしいが、その程度の人口での墓所としては規模がデカすぎる感じがする。
△入り口側の園路から眺めた歳勝土墓地遺跡....大塚集落遺跡からほぼ南に約80メートル離れた位置にある
△大塚遺跡側から眺めた歳勝土墓地遺跡のほぼ全景....25基の墓と溝から多くの土器が発掘された
△復元された5基の方形周溝墓群....「方形周溝墓の埋葬当時を復元した姿」の案内板
△多くは四辺を囲む溝とマウント中央に棺を埋めた穴だけが見つかる....手前はS-10墓、奥右はS-1墓、奥左はS-4墓
△復元された方形周溝墓の内部....「方形周溝墓の埋葬内部を復元した姿」の案内板
△墓地の最北部にあるS-16墓に復元された埋葬内部
△S-16墓に隣接する手前(東南側)はS-17墓だが盛り土が少ない
△S-16墓の埋められた木棺の埋葬状態の復元....調べたら、弥生時代の棺には甕棺、支石棺、箱式石棺、木棺があるが、特に木棺を中央においた方形周溝墓は有力者の墓のようだ
△大塚遺跡側のS-10墓とS-16墓の間から墓所内に向かって墓道が延びている
△整然と並ぶ方形周溝墓の列の間に一定の隙間があり、この隙間が通路(墓道)らしい
△S-9墓(溝位置を石で配列)の右側が墓道で、右奥から墓道が二手に分かれていた
△墓地南側に広がる復元されなかった方形周溝墓の跡(周囲の溝跡)を石を配列して示されている
△墓は墓地南側の緩やかな傾斜地にまで広がっている
△東端から眺めた墓地....手前はS-11墓、その奥にS-15墓そしてS-16墓
△NETから拝借した上空からの歳勝土遺跡写真
△園内に造営された「大塚・歳勝土遺跡周辺地形模型」の案内板
△大塚・歳勝土遺跡部分の拡大図
△大塚遺跡部分....弥生時代中期集落/祭勝土遺跡部分....弥生時代中期墓地
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