
【和歌山・和歌山市】創祀年代は不詳。 社伝では、神武東征の後の神武天皇二年、古代氏族の紀伊国造家(紀氏)の祖神の天道根命が紀伊国造りとして名草郡毛見郷浜宮に祀られたのが始まり。 その後、崇神天皇五十一年に名草郡浜ノ宮に遷宮、さらに垂仁天皇十六年に現在地である名草郡萬代宮に遷座したと伝える。
天道根命が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日前神宮は日像鏡を御神体として日前大神を奉祀し、國懸神宮は日矛鏡を御神体として國懸大神を奉祀している。
紀伊国造家(紀氏)は歴代、日前・國懸両宮の祭祀を司った。 日前神宮は主祭神が日前大神で、相殿は思兼命・石凝姥命の2神、國懸神宮は主祭神が國懸大神で、相殿は玉祖命・明立天御影命・鈿女命の3神。 紀伊国一宮。
◆和歌山電鐵貴志川線日前宮駅から県道138号線に出て少し歩くと、県道に沿って設けられた堀に架かる太鼓橋に着く。 太鼓橋の袂に官幣大社と彫られた両神宮の社号標石があり、境内に樹林を背にして大きな白い一ノ鳥居が立つ。 一ノ鳥居は、柱頭に台輪を乗せた稲荷鳥居だ。
一ノ鳥居をくぐると、中央参道の左手に絵馬殿と神楽殿をT形に一体構造とした建物が建つ。 真北に延びる中央参道を進み、突き当りを左(西)に折れて日前神宮への参道を進む。 右(東)に折れると國懸神宮への参道。 日前神宮への参道の北側に摂社の天道根神社、南側に末社の邦安神社と深草神社が並んで鎮座している。 神明鳥居を構え瑞垣に囲まれて鎮座する天道根神社は神明造りの社殿で、大棟に外削ぎの千木と6本の堅魚木が乗る。
日前神宮の前を左(南)に折れて、ひとまず日前神宮正面に延びる広い参道の入口に。 参道入口に約300年前に造立された石燈籠がひっそりと立ち、左右が木々に覆われ、厳かな空気に包まれた参道の奥に日前神宮が見える。 参道の左側に3社、右側に2社の末社が石燈籠を構えて鎮座しているが、いずれも切妻造板葺の社だが、石造りの基壇や木造の瑞垣を含めて傷みが激しいようだ。 右側には元々3社が鎮座していたが、1社が消失したことからもこれを裏付ける。 各末社の板葺屋根に散った落ち葉が、少しだが古色蒼然たるたたずまいを感じさせる。

△県道138号線に沿って設けられ堀に架かる石造りの太鼓橋

△太鼓橋の袂に立つ官幣大社と彫られた2社の社号標石

△擬宝珠欄干を設けた石造り太鼓橋から眺めた一ノ鳥居....鳥居は柱頭に台輪を乗せた稲荷鳥居(台輪鳥居)


△三段基壇の上に立つ天明四年(1784)造立の石燈籠....竿部は四脚の造りで装飾性が高い/石燈籠越しに眺めた一ノ鳥居


△一ノ鳥居の内側の直ぐ脇に立つ天保十年(1839)造立の石燈籠/切妻造銅板葺の手水舎

△一体構造の絵馬殿(左側)と神楽殿


△入母屋造桟瓦葺の絵馬殿....軒廻りは一軒繁垂木で組物は舟肘木/大棟端に鳥衾付き鬼瓦,拝に変形の三つ花懸魚(と思う)、妻飾は豕扠首

△入母屋造桟瓦葺の神楽殿....正面に明り障子と舞良戸、周囲に組高欄付き縁

△神楽殿の後方から眺めた神楽殿&絵馬殿

△入母屋造桟瓦葺の社務所....大きな唐破風の玄関に、6枚の紙垂と7つのしめのこを付した注連縄

△中央参道の入口に立つ寛延二三年(1749)造立の石燈籠越しに眺めた中央参道....立ち並ぶ石灯籠は享保~天明期の造立が多い

△中央参道の突き当りから左に折れると日前神宮への参道....中央参道の左右曲がり角に立つ一対の石燈籠は天保二十年(1841)の造立....日前神宮への参道の北側に立つ神明鳥居は天道根神社

△中央参道の突き当りから右に折れると國懸神宮への参道....國懸神宮への参道の北側に立つ明神鳥居は中宮神社

△日前神宮境内に鎮座する摂社の天道根神社....石燈籠は享保五年(1720)の造立

△神明鳥居を構え瑞垣に囲まれて鎮座する天道根神社....切妻造銅板葺の神門と社殿が重なっている

△祭神天道根命を祀る神明造堂板葺の天道根神社社殿....大棟に外削ぎの千木と6本の堅魚木が乗る

△天道神社の参道を挟んで南側に鎮座する末社の左・邦安神社、右・深草神社


△祭神松平頼雄命を祀る邦安神社....石灯籠は文政四年(1821)造立/流造銅板葺の社殿


△祭神・野槌神を祀る深草神社....石燈籠は左が宝永三年(1706)、右は正徳二年(1712)の造立/流造銅板葺の社殿


△日前神宮の正面参道の入り口に立つ享保七年(1722)造立の石燈籠/石燈籠越しに眺めた日前神宮

△日前神宮への正面参道....日前神宮に向かって左側に3社、右側に2社の末社が鎮座

△日前神宮正面参道の左側に鎮座する切妻造板葺の末社3社....いずれも傷みが激しい社(祭神は不詳)


△真ん中の末社....石燈籠は天明二年(1782)造立/右端の末社....石燈籠は宝暦十四年(1764)造立....社頭の瑞垣の基壇が壊れかけている

△日前神宮正面参道の右脇に鎮座する切妻造板葺の末社2社....元々3社が並んでいたが右端の1社が消失?


△並んで鎮座する2社(末社)の社殿はいずれも傷みが激しい(祭神は不詳)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます