
【大阪・泉佐野市】寺伝によれば、白鳳時代の天武天皇二年(673)、天武天皇(第40代)の勅願寺として覚豪阿闍梨により創建された泉州の最古刹。 奈良時代天平年間に寺領1千石が加えられ、奈良東大寺を建立した聖武天皇(第45代)の勅願所となった。
平安時代の弘仁六年(815)、この地に留錫した弘法大師空海が多宝塔、金堂を造営し、一山を整備して再興した。 南北朝時代の正平八年(1353)、南北朝の戦火に遭って焼失したが、その後、後村上天皇(第97代)とその皇子の後亀山天皇(第99代・南朝最後の天皇)の勅命により再興された。
宗旨は古義真言宗(真言宗御室派)で、本尊は薬師如来坐像。 仏塔古寺十八尊霊場第12番札所。
約1週間前にメールで予約して訪問した。 バスを降りると道を挟んだ向かい側に慈眼院があり、白壁の築地塀で囲まれた堂宇境内の門前に、まるで境内から弾き出されたように鐘楼が建っている。
築地塀の中に設けられた通用門をくぐると、苔に覆われた前庭が広がる。 手入れが行き届いた庭には、種類の異なる植栽がほどよく配され、真ん中を澄んだ水の小川が流れていて趣がある。
お寺の方に案内されて、金堂と多宝塔が建つ境内への門に....門を開けて「ご自由にどうぞ」と言われて門をくぐろうとしたが、鮮やかな苔に覆われた庫裡の後庭が目に入ったので、まずは、緑の絨毯を敷き詰めたような後庭を観賞させていただいた。
門をくぐり、静謐な空気が満ちている多宝塔の境内に....後庭と同じように一面が苔に覆われ、踏石の参道が多宝塔まで続いている。 苔を踏まないよう注意して進み、まずは手前の金堂から撮影を始めた。 鎌倉中期の建立で、小棟造りの大棟に鯱を乗せた金堂は、簡素な造りだが端正で風格を漂わせている。
金堂の直ぐ右隣に、崩れかけた野面積の基壇(石壇)があり、真ん中に「多寶塔旧蹟」と刻まれた石碑がひっそりと立つ。 多宝塔は、明治時代にこの場所から十数メートルほど離れた現在地に移築されたそうだが、何故か、その理由は明らかでないそうで不思議だ。

門前の風景....堂宇境内を囲む白い築地塀(3本筋の筋塀)に通用門と門柱があり、門前に鐘楼が建つ

門柱脇に鎮座する修行大師像と門前に建つ鐘楼


関係者を迎える修行大師像/切妻造本瓦葺の鐘楼....近年の建築だがしっかりと建てられている感じだ

入母屋造亜鉛鉄板葺の本堂


本堂は鉄筋コンクリート製(と思う)....古建築風で和様式に建てられている/両折両開の板唐戸、脇間に連子窓、菱格子欄間を設けている


白壁の築地塀に設けられた切妻造本瓦葺の通用門(棟門のようだが)/庫裡・本堂前の苔に覆われた前庭....樫井川から引き込まれた泉川(用水路)が境内を横切っている

手入れが行き届いた庭には植栽が配されていて趣がある


前庭に佇む雪見燈籠 本堂左隣に連なる入母屋造桟瓦葺の客殿と庫裡

庫裡横の多宝塔・金堂境内への参道から眺めた庫裡の後庭と生垣の中に建つ金堂


庫裡と客殿の後庭の苔に覆われた美しい庭/客殿から後庭に降り、後庭から多宝塔境内に直接入る専用門がある

苔に覆われた後庭の奥の生垣に2つの門があり、中に金堂と多宝塔が建つ....右手の門は客殿から後庭を通って直接多宝塔境内に入る門

金堂・多宝塔がある境内への簡素な切妻造銅板葺の門

切妻造本瓦葺の金堂(国重文)....鎌倉時代文永八年(1271)建立とされ、本尊薬師如来を安置、また「杮経(笹塔婆)」が保管されている

苔生した境内に建つ小棟造りの金堂....別名「毘沙門堂」又は「一願薬師堂」とも呼ばれる

金堂は方三間、正面は中央間に連子入り桟唐戸、両脇間に連子窓、側面は中央間に桟唐戸、片側脇間のみに連子窓

周囲に切目縁を巡らす....向拝の水引虹梁の中央に何も配していない、向拝柱は面取り角柱


小棟造り屋根の大棟両端に乗る鯱/扁額が掲げられる位置にあるものは何かな?

軒廻りは二軒繁垂木、組物は出三斗で中備は中央間に間斗束、脇間は白壁の小壁

金堂右手に多宝塔が建っていたことを示す遺構の野面積の基壇(石壇)がある


野面積の基壇上に「多寶塔旧蹟」の碑が立つ....碑の傍には宝形造屋根に乗せる露盤宝珠が置かれている

金堂の後方から眺めた多宝塔
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