対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

選択から始まる弁証法

2005-02-19 | 弁証法
 キルケゴールは、ヘーゲル弁証法を、「あれもこれも」の論理と見て、量的弁証法と呼びました。それに対して、みずからの弁証法を質的弁証法、「あれかこれか」と呼びました。

 ヘーゲルの「あれもこれも」は「統一」、キルケゴールの「あれかこれか」は「選択」と見ることができるでしょう。

 キルケゴールは、ヘーゲル弁証法の「量(多)」と「統一」に対して、「質(一)」と「選択」を対置したものと思われます。いいかえれば、かれは、弁証法に、単独者としての主体的な選択を導入したと考えます。

 単独者としての主体的な選択というのは、認識の弁証法においても、必要だと考えます。それは「認識領域での自由の可能性」(梅本克己『過渡期の意識』)と関連していると思います。

 わたしは弁証法を、対話をモデルとした思考方法で、認識における対立物の統一であると考えています。そして、対立物の統一の過程に、「選択」で始まる次のような三段階を想定しています。


1(選択) 複数の「論理的なもの」の中から、対象の把握に関連がありそうな「 論理的なもの」を二つ選択する段階。
2(混成)  二つの「論理的なもの」を対立させ、区別した規定を混成する段階。
3(統一) 混成した二つの規定を統一することによって、対象に対応する一つの「論理的なもの」を確定する段階。


 単純にいえば、「論理的なもの」を二つ「選択」し、その二つを「混成」して、「統一」するという三段階です。二つの「論理的なもの」の「選択」から、弁証法を始めているところに特徴があります。

 二つの論理的なものを選択するときの心構えは、キルケゴールの「あれかこれか」を引き継いでいます。

選択のさいに肝要なのは、正しいものを選ぶということよりはむしろ、選択するときの、エネルギー、真剣さ、パトスである。