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晃石山

2010年11月22日 | 山歩 - 北関東



- 謙信平にて -

予定はしていなかったのですが、暖かで好天が期待できそうなので、朝食後に時刻を調べて出かけました。

行き先は安蘇山塊の晃石山です。

謙信平の紅葉も見頃だと思われますので、太平山神社経由で向かいます。

JRの大平下駅から歩き始めます。

客人神社の脇から謙信平に向かいます。



秋らしい雰囲気の中を登って行きます。

一登りで謙信平です。

謙信平という名の由来は ・・・
『 関東平野を見渡した上杉謙信が、あまりの広さに目を見張ったという故事から生まれた。
戦国時代の頃、関東平定を競い対立した越後の上杉謙信と、小田原の北条氏康は、当時の大中寺住職虎溪和尚(こけいおしょう)の斡旋により、永祿11年(1568)9月、大中寺において和議を結んだ。
そのあと、上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い太平山上から南の関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという故事から謙信平の地名が生まれたいわれる。 』
上記『 』内は、栃木市観光協会のサイト(http://www.kuranomachi.jp/index.php)の説明から引用






謙信平にはモミジが多く、ちょうど見頃でした。

謙信平から太平山神社の境内を通って、晃石山に向かいます。

登りと下りを繰り返して幾つかの峰を越えて行くと晃石山山頂です。

ここには一等三角点が設置されていますが、木々の為に360度の展望というわけにはいきません。



晃石山山頂 木々の間から日光方面の眺め - 男体山は上半身が雲の中でした。

狭い山頂は人が多かったので、少し先の峰まで行って、独りで静かに休憩です。

紅葉を楽しみながら、桜峠に向かいます。













桜峠の手前は急な下り坂が続きます。

そして、下りきった桜峠からは道を左にとって、清水寺に向かいます。



自動車道路に出れば、清水寺は直ぐです。



清水寺 - ”清水”の読みは「せいすい」です。

尚、この清水寺から直接晃石山に登る道もあります。






本堂の裏手の一段高い場所には観音堂があります。



清水寺の紅葉



その紅葉越しに眺めた観音堂



清水寺からは大中寺に向かいます。



大中寺

大中寺についても、栃木市観光協会のサイトの説明を引用しておきます。

『 七不思議が伝わる曹洞宗の寺
太平山南麓の山懐につつまれた名刹大中寺は、はじめ真言宗の寺として久寿(きゅうじゅ)年間(1154~1155)に建てられたが、その後、衰退していたのを快庵妙慶禅師(かいあんみょうけいぜんし)が延徳(えんとく)元年(1489)に曹洞宗の寺として再興したという。
戦国時代、越後の上杉謙信は関東管領職を受けて、北関東に進出すると大中寺の6世住職快叟(かいそう)が叔父であったことから、この寺を厚く保護し、永禄4年(1561)、当時、焼失していた伽藍の修復を行っている。永禄11年(1568)、謙信が北条氏康と和議を結んだのもこの寺である。
その後、火災にあって焼けているが、天正3年(1575)、七世天嶺呑補(てんれいどんぽ)のときに再建、九世柏堂(はくどう)の天正19年(1591)には、関東曹洞宗の僧録職を命ぜられ寺領100石を与えられた。徳川家の信任厚く曹洞宗の徒弟修業の道場として栄え、大正初期まで参集する雲水でにぎわったという。
山門は、皆川城の裏門(搦手門(からめてもん))を元和2年(1616)に移築したものといわれており、古建築物の一つとして貴重なものである。
上田秋成の「雨月物語」にある青頭巾はこの寺を舞台として書かれたものであり、また、この寺に伝わる七不思議の伝説も有名である。 』

大中寺からはJRの大平下駅に戻ります。
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