私にとっての深田百名山とは何かといえば、それは数ある山の本の中の単なる一冊であるということです。ただそれだけのことです。
しかし、この本は他の山の本と少し趣が異なります。通常の山の本は、そのほとんどが実際に歩いた様子を綴った紀行文として書かれています。深田百名山にもそのような部分がないわけではありませんが、主要な部分を占めているのは文献資料に基づいて書かれた山と人々との関わりの歴史です。
この本によって私は初めて男体山を開いた勝道上人や槍ヶ岳を開いた播隆上人のことを知りました。また、明治に測量隊が剣岳に登って山頂で槍の穂と錫丈の頭を発見したこともこの本で知りました。
深田氏はあとがきの中で選定基準について書いていますが、その二番目の基準についてこう書いています。 ”第二に、私は山の歴史を尊重する。昔から人間と深いかかわりを持った山を除外するわけにはいかない。” この視点こそが深田百名山という本の特徴だと思います。
このあとがきの部分はこの本の中でも必読の部分だと思います。このあとがきには深田氏の山への思いが感じられ、その選定の過程には学ぶべきものがあると思います。百名山ブーム批判として、本を書いた深田氏を批判している場合がありますが、このあとがきを読めば、その批判は全く見当はずれであることがわかると思います。安易に百名山完登を目指す人も、そのブーム批判として単純に深田氏を批判する人も、本当はきちんとこの本を読んでいないのではないかと疑いたくなります。そのような人達は百の山のリストだけに注目していて、本来は一冊の本なのだということを忘れているのではないでしょうか。あるいは、そもそも一冊の本であるということを知らない可能性さえあります。
そもそもこの本の初版は昭和39年(1964年)で、私がこの本に最初に出会ったのは1970年代です。その頃は(私も若かったですが)若者を中心に山歩きは結構盛んでした。実際、私の友人もその多くが山歩きをしていました。しかし、百名山の完登を目指すどころか、この本が話題になったことさえありませんでした。当然です。この本には完登を目指そうとさせるものがないからです。
この本がというより、百の山のリストが一般に注目され始めたのは某TVでの山歩きの講座の影響といわれています。この講座の講師を務めたのが誰であるか、多くの人が知っていると思います。私は番組の存在さえ知りませんでしたから、一度もTVで見たことがありません。しかし、この講師は後に破廉恥にも「新日本百名山」なるものを発表しました。これを後押しした某新聞社の関連サイトで幾つかの記事を読みましたが、ヒドイ記事でした。まず、文章力以前の作文力が欠如しており、文章の構成も無茶苦茶なものが多く、その山への感動や思い入れも全く伝わってきませんでした。また、これはどう考えても無断引用ではと思われる箇所があちこちに見られました。「新日本百名山」は、この講師主催の山ツアー用の極めて出来の悪い宣伝記事だと思っています。このようなツアーに深田百名山は利用されているにすぎず、百名山ブームに深田氏の責任はないと思っています。
深田氏は登るべき百の山のリストを作ったのではありません。「日本百名山」という本を書いただけなのです。
こう書くと、深田百名山の完登を目指しての山歩きを否定していると思われるかもしれません。決してそんなことはありません。
山をどう歩くかは、人各々です。深田百名山の完登を目指すのも、数ある山の歩き方の一つだと思います。ですから、そのような歩き方を否定する気は全くありません。と同時にそれを絶対的なものとか、特別なものであるとも思っていません。
百名山に魅力的な山が多いのは当然の結果ですが、魅力的な山は他にもたくさんあります。そのことについては深田氏自身あとがきではっきりと書いています。それに「魅力的」というのは極めて個人的な感情です。人によって魅力的な山が異なるのは当たり前のことで、そこに絶対的な基準というものは存在しません。ですから、唯一深田氏の失敗、というよりブームに利用される要因になってしまったのは、「名山」と名付けてしまったことだと思います。「名山」と名付けることによって、「絶対的にいい山」という誤解を与えてしまうからです。「山と人々の歴史百話」とでも名付ければ、リストだけに注目した安易なブームは起きなかったと思います。
一部には百名山を幾つ登ったかでその人のレベルが決まるといったような誤った考えの人がいるようです。同じように完登すればベテランの仲間入りだと勘違いしている人達もいます。
そもそもベテランとは何でしょう。山歩きを二、三十年もやっていたら自然にベテランになるのでしょうか。決してそんなことはありません。お年よりは誰しもが六、七十年と人生を送ってきているわけですが、それだけで人生のベテランといえるでしょうか。たかだか二、三十年山歩きをした、あるいはたかだか百の山を歩いた、というだけで単純にベテランというのはいささか不遜のような気がします。経験の長さや山の数ではなく、あくまでも登り方の姿勢やその内容がたいせつだと思います。
山の歩き方は各人自由ですが、この自由というのはどうような山歩きの仕方も許されるという意味ではありません。人がどのような人生を送るかはその人の自由ですが、世の中で何をやってもいいというわけではないのと同じです。山においても守らねばならないルールというのはありますし、他人に、それは他の登山者だけではなく地元の人達も含めて、迷惑をかける行為は許されません。山においてはゴミを捨ててはいけないように、常識も捨ててはいけないのです。
また、自分を「ベテラン」だと思っている一部の人達がルールを知りながらあえて違反をしていることがあるようです。自分のような「ベテラン」は特別なのだとでも思っているのでしょうか。初心者にもベテランにもルールは平等です。
しかし、この本は他の山の本と少し趣が異なります。通常の山の本は、そのほとんどが実際に歩いた様子を綴った紀行文として書かれています。深田百名山にもそのような部分がないわけではありませんが、主要な部分を占めているのは文献資料に基づいて書かれた山と人々との関わりの歴史です。
この本によって私は初めて男体山を開いた勝道上人や槍ヶ岳を開いた播隆上人のことを知りました。また、明治に測量隊が剣岳に登って山頂で槍の穂と錫丈の頭を発見したこともこの本で知りました。
深田氏はあとがきの中で選定基準について書いていますが、その二番目の基準についてこう書いています。 ”第二に、私は山の歴史を尊重する。昔から人間と深いかかわりを持った山を除外するわけにはいかない。” この視点こそが深田百名山という本の特徴だと思います。
このあとがきの部分はこの本の中でも必読の部分だと思います。このあとがきには深田氏の山への思いが感じられ、その選定の過程には学ぶべきものがあると思います。百名山ブーム批判として、本を書いた深田氏を批判している場合がありますが、このあとがきを読めば、その批判は全く見当はずれであることがわかると思います。安易に百名山完登を目指す人も、そのブーム批判として単純に深田氏を批判する人も、本当はきちんとこの本を読んでいないのではないかと疑いたくなります。そのような人達は百の山のリストだけに注目していて、本来は一冊の本なのだということを忘れているのではないでしょうか。あるいは、そもそも一冊の本であるということを知らない可能性さえあります。
そもそもこの本の初版は昭和39年(1964年)で、私がこの本に最初に出会ったのは1970年代です。その頃は(私も若かったですが)若者を中心に山歩きは結構盛んでした。実際、私の友人もその多くが山歩きをしていました。しかし、百名山の完登を目指すどころか、この本が話題になったことさえありませんでした。当然です。この本には完登を目指そうとさせるものがないからです。
この本がというより、百の山のリストが一般に注目され始めたのは某TVでの山歩きの講座の影響といわれています。この講座の講師を務めたのが誰であるか、多くの人が知っていると思います。私は番組の存在さえ知りませんでしたから、一度もTVで見たことがありません。しかし、この講師は後に破廉恥にも「新日本百名山」なるものを発表しました。これを後押しした某新聞社の関連サイトで幾つかの記事を読みましたが、ヒドイ記事でした。まず、文章力以前の作文力が欠如しており、文章の構成も無茶苦茶なものが多く、その山への感動や思い入れも全く伝わってきませんでした。また、これはどう考えても無断引用ではと思われる箇所があちこちに見られました。「新日本百名山」は、この講師主催の山ツアー用の極めて出来の悪い宣伝記事だと思っています。このようなツアーに深田百名山は利用されているにすぎず、百名山ブームに深田氏の責任はないと思っています。
深田氏は登るべき百の山のリストを作ったのではありません。「日本百名山」という本を書いただけなのです。
こう書くと、深田百名山の完登を目指しての山歩きを否定していると思われるかもしれません。決してそんなことはありません。
山をどう歩くかは、人各々です。深田百名山の完登を目指すのも、数ある山の歩き方の一つだと思います。ですから、そのような歩き方を否定する気は全くありません。と同時にそれを絶対的なものとか、特別なものであるとも思っていません。
百名山に魅力的な山が多いのは当然の結果ですが、魅力的な山は他にもたくさんあります。そのことについては深田氏自身あとがきではっきりと書いています。それに「魅力的」というのは極めて個人的な感情です。人によって魅力的な山が異なるのは当たり前のことで、そこに絶対的な基準というものは存在しません。ですから、唯一深田氏の失敗、というよりブームに利用される要因になってしまったのは、「名山」と名付けてしまったことだと思います。「名山」と名付けることによって、「絶対的にいい山」という誤解を与えてしまうからです。「山と人々の歴史百話」とでも名付ければ、リストだけに注目した安易なブームは起きなかったと思います。
一部には百名山を幾つ登ったかでその人のレベルが決まるといったような誤った考えの人がいるようです。同じように完登すればベテランの仲間入りだと勘違いしている人達もいます。
そもそもベテランとは何でしょう。山歩きを二、三十年もやっていたら自然にベテランになるのでしょうか。決してそんなことはありません。お年よりは誰しもが六、七十年と人生を送ってきているわけですが、それだけで人生のベテランといえるでしょうか。たかだか二、三十年山歩きをした、あるいはたかだか百の山を歩いた、というだけで単純にベテランというのはいささか不遜のような気がします。経験の長さや山の数ではなく、あくまでも登り方の姿勢やその内容がたいせつだと思います。
山の歩き方は各人自由ですが、この自由というのはどうような山歩きの仕方も許されるという意味ではありません。人がどのような人生を送るかはその人の自由ですが、世の中で何をやってもいいというわけではないのと同じです。山においても守らねばならないルールというのはありますし、他人に、それは他の登山者だけではなく地元の人達も含めて、迷惑をかける行為は許されません。山においてはゴミを捨ててはいけないように、常識も捨ててはいけないのです。
また、自分を「ベテラン」だと思っている一部の人達がルールを知りながらあえて違反をしていることがあるようです。自分のような「ベテラン」は特別なのだとでも思っているのでしょうか。初心者にもベテランにもルールは平等です。