日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

Kさん第1信8-35

2014年04月13日 | Weblog
Kさん第1信

ぼくがアユタヤからチェンマイ行きに乗ったのは、アユタヤ発16時20、分で明朝5時15分到着だったけれども、あなたの急行は18時発で明朝7時25分到着だから、もうついていますよね。今9時37分です。チエンマイ直行ときいていたが、タイムスケジュールはうまくいきそうですか。
いつものように夜8時にベッドに戻ったが、今日はこの町内会の祭らしく、拡声機を使って司会者の大きな声が耳に響きます。それにタイ音楽が低音をぽんぽん響かせるので、とても眠るところじゃありません。そこでいつものように、ハルシオンに加えてセルシンを飲みました。10時すぎです。30分もたてば寝てしまったのか、この祭が何時に終わったか全然知りません。その代わり朝は4時に目が覚めました。それから七時すぎまで、うとうとしたが、頭はぼーっとしていて、目覚めは悪く、不機嫌です。
さて今日はどうするか、と別の予定は何もない。メールをしたいのだけれど、何回やっても、 ホットメール の新規登録ができません。カオサンでやってみたが失敗だった。この宿でも失敗とでます。2年前には、1分は二バーツもしたのに何とかうまく行った。
今回は失敗ばかりで、それでも利用料は取られるので、もう帰国してから自分のパソコンでメールします。
あなたを見送ってから、また何か題材をひらおうと、あちこちをほっつき歩き和風料理店花屋でカレーライスをたべて、ベッドにたどり着いたのは八時でした。
「上の上にいたのに男の手が伸びて痴漢された。」インドでは日常的にあり得ることのようです。タイ、特にあなたがいく北の方は人情も穏やかで、そんなことをする人がいるとは思えません。どうか旅を楽しんでください。僕は明日3月3日の深夜バンコクからでソウルに飛びます。3月24日の帰国を楽しみにしています。


シェイムリアプは満天の星0

2014年04月12日 | Weblog
シェイムリアプは満天の星

「あの山で、蚊に刺されたのです。大丈夫でしょうか。?」彼女の友人が僕にそう尋ねた。
「何カ所も?」
「ううーん。1カ所だけ」
「多分大丈夫。でもマラリアに注意した方が。薬持ってる。?」
「いや」
「そうだ。僕の消毒薬、イソジンをとりにかえってくるからに待ってて」
僕はすぐさま、宿に取りに帰り、引き返してくることを告げて、バイクの兄ちゃんを促した。

 急いでいるときは、気が焦る。だのに真っ暗ヤミの中でバイクは立ち往生した。聞けば、ガス欠だという。そんなばかな。こんな夜になって、スタンドがオープンしているのか?僕は不安になった。2人は黙ってバイクを押して、ガソリンスタンドを2軒訪ねたがどこも、閉まってて人の気配がなかった。しかし彼は少しも慌てない。
 オイオイ。まさか、宿とホテルを歩いて往復するんじゃないだろうなぁ。
僕は焦っているうえに、さらに焦った。
ところがカンボジアの、給油所はガソリンスタンドだけではなかった。
道端で、ガソリンをペットボトルに詰めて売っているのだ。なるほど。だから彼があわてないわけが分かった。販売店といえば大げさで、こういう形での、ガソリン販売は机の上にガソリンを詰めた、ペットボトルを10本程度おいているだけ。よくも、こんな危険な取り扱いをするもんだと感心した。
給油するとエンジンは1発でかかった。ホッ。安心のため息が漏れた。
シエムリアプの町はずれの道は、文字どおり漆黒である。街灯も家々の隙間から漏れてくる明かりもない。
時おり通るバイクのライトが、唯一の明かり。その代わり、空には、吸い込まれそうな満天の星。黙って空を見上げた僕は漆黒の闇に吸い込まれて言葉を失った。
夜がこんなに暗い物だとは今の今まで気が付かなかった。いつも都会の夜に慣れてしまっているので光のない自然の夜の暗さに驚いた。
何時か此の星空を駆けめぐる事が出来たらな 青い大空もよい。真っ暗な星空もいい。僕は全てを忘れて漆黒のヤミを見続けた。時間が止まった一瞬だった。
いや、勝手に流れている。
シエムリアプの漆黒の夜のヤミ。見応えのあるいい物だ。日本ではどこにいても必ず光が在る。余程の所へ行かないと光の漏れて来ない所はない。
文明の光のさしこまないところには、漆黒のヤミが人の眼を閉ざして、心の目を開ける。


フアジャンシル0

2014年04月11日 | Weblog
フアジャンシル

もう、かれこれ30分も動かない。たとえ走ったとしても、せいぜい100mぐらい。いったい前方に何か起こったのか。事故か、工事中か。自然渋滞か。

私の乗ったバスの四,五台まえの乗用車から、幼稚園くらいの子供を連れた若い女が、降りて、高速道路の土手の方へ走っていった。土手と言っても、高い斜面ではないから、彼女の肩から上はバスの窓から見えた。

女の子は、道路の端にしゃがみこむなり、パンツをおろして、おしっこをし始めた。奥さんはさすがに人目をはばかるのか、子供のようなまねはしなかったが、しゃがみ込んでいる。あのスタイルからすると、用をたそうとしているふうだった。
車の人々の目をはばかりながら、用をたそうとするところをみると、よほど辛抱ができない状態だったんだろう。バスの乗客は、とみると、クスクス笑いながら奥さんの方を見ている。そして隣同士で何か話し合っていた。

突然、車の列が動き出し、前方100mぐらいのところまで走った。奥さんの乗っていた車も、クラクションを鳴らしながら走りだした。奥さんより先に車に戻った子供は大声で、母親を呼んでいる。
たぶん「お母さん早く早く。車が動き出したから帰ってきてくれなくちゃ」と、こんな内容だったに違いない。それでも、奥さんは斜面に、しゃがみ込んで用足しのスタイルをとってたから、ほんのわずかな時間、おそらく何十秒間の出来事なので、奥さんが快くまで用を足したとは思えない。たぶん中途半端だったはずである。あるいは、今から、というとき、だったはずである。たまったものをすべて放出した後のあのさわやかな開放感など味わえる時間がなかったことには間違いない。

ソウルを出てから2時間半も経つと言うのに、まだ50キロも走っていない、本来ならどこかのサービスエリアについていなければならない時間であるが、奥さんも運が悪い。
そうかと言って、車の中で用足しもできないから、土手の斜面まで、走ったのであろうが、よほどツラかったに違いない。さもないと、衆人注目の前で、用足しなどできるものではないから。
奥さんは若い。まだまだ羞恥心がある年頃である。それが証拠に、しゃがみ込んだ時彼女があたりをキョロキョロする仕草をしていた。バスの乗客たちはそれを見てニヤニヤしている。
ずらりだんご状に連なった車の人の目を半ば、はばかりながら、半ば公然と、用足しに、走ったということは、よほど辛抱ができなかったことを物語る。
羞恥心対生理現象という構図だろうが、用を足すのは、羞恥心を打ち破る勇気ではなくて、辛抱できなかったという、生理現象のしからしむるところだろう。

諸君。私が目にした光景を想像したまえ。そして奥さんの心中を察したまえ。決して笑い事では済まないできごとである。

ピリピリとしめこんできた。下腹がごろごろ鳴っている。トイレを探さなくちゃ。やばい。
私は、足早に歩き出した。歩くと、体を揺するせいか、しめこみはぐんぐんと強くなってくる。ものの、300mも歩き出した頃には、空襲警報のサイレンがなったような心境になった。
言葉も話せないし、字も読めない。たとえ近くに公衆便所があったとしても、それを捜しあてるのは、あてにならない勘を働かせる以外にはない。到底無理なことである。
A危機に立たされた私は思わず、交番へ飛び込んだ。そして、トイレを貸してほしい。と、身ぶりで、おまわりさんに頼んだ。3人いたうちでいちばん年若い、警官が、トイレとおぼしき場所を指さした。僕は救われた。気分になって、「さあ来い下痢め」、と心の中で叫んだ。引き戸を開けてみると、男性用の小はあるが大は無い。

アレ-?、僕は慌てた。さあ来いと思った強気はどこかへ飛んだ。戸をしめながら、私は警官に、尻をたたいて、大の方だという仕草をした。彼らはゲラゲラ笑いながら、それはない。と手を振った。私は困った顔をして立ち止まってしまった。その様子を見て気の毒に思ったのだろうか、先ほどの警官は、交番の前にある商店街を指さした。

商店街は良いのだけれど、トイレをなんと言えばよいのか分からないから切羽詰まった。
今の状況はとても抑えることができない。私は困った顔をした。親切な警官はしきりに前を指さした。ともかくも、私は頭を下げて交番を出て指示された商店街に飛び込んだ。

表は、日本の問屋のような作りだが、中に入ってみると、そこはデパートだった。私は助かった気がした。デパートなら、各階のどこか隅には、必ず化粧室があるはずだ。どんな表示を探せばよいのか、そんなことを考えながら、私はキリキリ痛みさし込んでくる腹を手で押さえながら、足を引きずるようにして階段を登った。

女の店員は、コーナーには立ってはいるが、トイレはどこですか。と聞くのに、どういったらよいのか分からない。が、とにかくトイレ、トイレと話しかけた。返事は意味不明の不機嫌な顔だった。身ぶりで前をさしたり、後をさせば通じると思うが、なんせ相手は女性ばかりで、身ぶりで示すこともはかられた。私はせめ寄せてくる腹痛に、額にあぶら汗をにじませながら、自分でさがすより、ほかはなかった。

1階2階とうろついたが、ーこれは実は必死で探したのだがー、結果はうろついたことになった。そのあげく3階まで足を引きずりながら言って、ヤケ気味で、レストルームと、英語で話しかけた。ネクタイ売り場の女店員は、「?」変な顔をしたが、陳列棚からネクタイを取り出そうとした。私は慌てて、ノーノーを連発して手を振った。私はイライラして、
ばかたれ。、レストルームだよ。トイレ。トイレだよ。と心の中で、声を荒げた。私と女店員の様子を見ていた年配の店員が、私のほうへ歩みよってきて、何か話しかけてきた。私はもう辛抱できないところまで切羽詰まっていたので、恥も外聞もなく、尻を指さし、トイレトイレ。レストルーム。レストルームを連発した。

彼女は、フアジャンシルといった。私にはそう聞こえた。私は何でも良かった。やけくそで、フアジャンシルと、オウム返しに行った。彼女は人差し指で上を指さした。
何?この時に及んで、便所は上の階だというのか、私は腹が立った。しかし、4階でトイレを探しに行くほかは無い。

キリキリと攻めてきて、もう飛び出しそうな下痢をぐっとこらえながら、足を引きずって4階まで上がった。
「ああ、神様。トイレまでもちますように、神様。」誰でも良い。とにかく聞かなくては。歩き回って捜す余裕は無い。私は又、女店員に英語で聞いた。彼女は英語で、この突き当たりを右へ曲ると、ありますと、答えてくれ、その方向を指さした。お礼もそこそこにトイレに向かって急いだ。彼女の教えてくれたとおりにトイレは見つかった。

戸を開けるなりベルトを緩めるのももどかしく、しゃがみ込んで漏れそうになったものを力いっぱい放出した。
「神様。神様はやっぱりおられた。私を救って下された。神様ありがとうございます。」
私は、子供じみたこんなセリフを実感を込めて呟いた。

便器につかまりながら、私は今までのことを走馬燈でも見るように思い返した。交番のおまわりさんは親切だった。用は果たせなかったが、危機を乗り越えた今は、やはり有り難かった。いま、私がいるところを教えてくれたのは紛れもなく、あのおまわりさんだったからである。あの親切がなかったら、時を追って攻めてくる渋り腹を、私はどうしたであろうか。そんなことを思い返しているとき、私は、はっと思いついた。

昨日、ソウルからプサンへ向かう途中で見た、あの奥さんの土手の出来事である。つい、先ほどまで、私が味わったのと同じ思いだったに違いない。恥も外聞もないというけれど、普通ならやっぱり気になって、体裁をかまうものである。ところが、待ったなしの生理現象は、羞恥心や体裁や外聞を吹き飛ばしてしまう。

私は今回つくづくあの土手で、座りションしてバスの乗客から、笑いものにされたあの奥さんの心の中が手に取るようにわかった。そしてバスの乗客ともども、奥さんに同情する前に、笑ったことを恥じた。後悔した。

日本国内ならともかくも、韓国に来てまで、私は自分の体験を通して、貴重な教訓を味わうとは夢にも思ってなかった。
「わが身をつねって、他人の痛さをしれ、」その通りだ。

ふらっと日本を離れてみるのもいい。どんなことを発見するかもしれないから。
それが、私が自分に下した結論である。

マルコスと新平家物語0

2014年04月10日 | Weblog
マルコスと新平家物語

吉川英治の傑作「新平家物語」の終わりの方に、
平家の落人が九州山脈の山奥深い、椎葉の外に逃れて、そこで平和な生活を営んでいる場面が出てくる。

太陽の光や自然は、源氏や平家を何一つとして区別することなく、ただ、一つの大きな力で、動物も植物も人間もみんな、等しく、生かされている姿が、絶妙な筆先で描かれて、読むものを椎葉の外の住人かと、錯覚させてくれる。私も吉川英治先生のこの境地万物と、宇宙をも飲み込むような大きな大きな愛によって生かされているという。神仏の世界にも通じるような境地に憧れを持っている。

フィリピンの大統領マルコス氏は民衆の力によって失脚させられた。20年余りの間、フィリピンの大統領として権力をほしいままにし、心にフィリピン国民の生活に貢献するというよりは、自分の権力と地位の保全と継続に汲々として、最後は民衆によって見放されてしまい、権力の玉座を追われてしまったのである

驕れる者久からず 、只春の夜の夢の如し

その昔、今から800年ほど前に、平家が、春の夜の夢のように消え去った。
マルコス失脚劇で、それが目の前に繰り広げられたような気がした

そして、それは写真ではなく、テレビ画面を通して実感を伴って、我々にせまってきた。
800年の昔、京都を舞台に繰り広げられた、平家一門の栄枯盛衰の模様は、ところを変えて、今フィリピンで、おこっている。テレビに多く映されたマルコス氏の表情には、栄枯盛衰の心の思いが如実に表れていた。
人間誰しも権力や地位や金には激しい執着を持つものだが、それは深く考えると、人間の迷妄、迷い以外の何物でもないということになるのではないであろうか。
求めて働いたところでむなしい結果しかない。という人間存在の姿に思いをいたすとき、必然的に生ずる栄枯盛衰精舎必滅の仏教哲学が無性に染みとおる。
科学技術進歩の発達によって、世の中のテンポが早まり、あわただしい現代の世相ではあるが、それに逆らって各人が自分の人生を見つめ直す一つの手段として、このマルコス劇を眺めたとすれば、マルコス氏にとっての、
この悲劇もそれなりの意味のあることだと納得できた.


貧窮問答歌6-41

2014年04月09日 | Weblog
貧窮問答歌

世間を憂しと恥しとおもへども、飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

消費税がアップした。たった3%ぐらいと思うけど、消費が盛んな世代は大きな負担になるだろう。
これをあげないと国家財政がもたないところまでくると、どうしようもない。この苦しみは慣れていくことによって解消しなければ仕様がない。
日本歴史を振り返ってみると開闢以来、戦のやむ時代はなかった。1945年に太平洋戦争が終わって、やっと日本初の殺し合いのない時代が訪れた。生まれる時代がよかった。戦後は高度経済成長が30年以上も続き国力も増してきた。
世界第二位の経済大国にまでのし上がった。われわれ世代を含めて団塊の世代もがんばったが、今や日本は昔日の勢いはない。

1000兆円をこす借金を後の世代につけ回しした現実。
いったいこれから先どうなることやら誰一人として明確には答えられないだろう。

昭和元禄などと浮かれていたが、目に見えないところで、この国にひび割れが生じている。
今後50年間先はどうなっているのだろうか。これを考え出すと、頭がはげる という意味不明のところに逃避せざるを得ない。
せめて慰めに貧窮問答歌でも味わいながら、読むか?

無計画の旅

2014年04月08日 | Weblog
無計画の旅


列車は動いたら気も変わる。長時間止まったままだとイラつく。
無計画の旅も良いものだと割り切ってした下調べもせずに出かけたが、次の列車の待ち時間が1時間ほどもあると退屈する。
駅のベンチに座りながら自分の作った作品を聴いて時間を過ごす。作品を作ったときの感情が蘇ってきて時間を忘れる。僕の場合はそういう時間の過ごし方もあるが、何もない人はぼーっとするにも長すぎて、どんなにか退屈していることだろう。狭い日本、そんなに急いでどこ行くという標語があったが、日常生活のペースをくずすようなのんびりはかえってストレスを貯めることになる。


ある日ふっと風が吹いた

2014年04月07日 | Weblog
ある日ふっと風が吹いた

よく考えてみろ。俺は無限に生きるわけではない。今は死なんて夢にも考えないが、私が死を避けることは決してできない。
死は死んだ後にでも考えたらよい。今は生きているのだ。精いっぱい生きるんだ。生きて、生きて、生きまくれ。生きる実感を味わうということは[生きていてよかった」と実感できることを、生涯の仕事として、それを1つに追い求めることだ。
こんな形で自分を生かすことこそ、なによりも大切である。せっかく生まれてきたのに、泡のように消え去るのは何としても残念なことである。と同時に悔しい。
充実感、それは生きがいに結びつく、仕事に就くことである。そしてそれはいったい何なのか。10年間でまだわからない。この会社にいて満足した日々を送っていないことは事実である。なぜか。自分のやりたいことをやっていないという不満が渦巻いているからである。
最低限度の生活をする金は必要だが、大きな家に住みたいとか、高価な衣服を身にまといたいとか、高級料亭で飯を食いたいとか、別荘を持ちたいとか、そんな気持ちは起こらないので、普通の庶民生活が出来れば十分満足だ。金、金、金と金を追い求める生活は望まない。現代の風潮である金万能主義、社会的な地位、名誉、社会的に注目を浴びること。そのために身を粉にして働き続けること。そういうメカニズムに組み込まれるのはもう嫌だ。

白浜温泉

2014年04月06日 | Weblog
白浜温泉

関西に数ある温泉の中でも、特に有名なのが白浜温泉である。白砂の海水浴場があり、水族館があり、円月島があり、露天風呂がある。
なかでも牟楼の湯は何回入っても飽きが来ない。

人工の岩が積み上げられ、お湯が高さ1メートル位の所から流れ落ちる温泉に
肩や腰を打たせるのはなかなか乙なものである。
打たせ湯を浴びると、2、3日肩の凝りや腰痛を忘れる。

少し熱めのお湯、ぬるめのお湯があるのが嬉しい。その日その日の気分に合わせてどちらかを選んだり、欲張って2つの湯に浸って比べてみたり、温泉の情緒は尽きぬ。
温泉は体を温めて血の巡りを良くするだけでなく、日頃溜まったストレスまでも解放してくれる。春夏秋冬、白浜温泉はいつ来ても良い。


安定感

2014年04月05日 | Weblog
安定感

平凡な意見こそ見栄えはしないが真実で安定感がある。ちょっと身の奇抜な意見は不安定である。大多数の知恵が働いて、平凡な意見に集約されているわけだから安定感があるのだ

拝復8-20

2014年04月04日 | Weblog
拝復

楽しく読みました。それにしても時期がずれて良かったですね。地震に遭遇していたら今ごろこんな気楽なことは言っておれません。
今日手書き新聞拝見。あなたは随分旅なれているなという感じ。取材はもっとしたんでしょ。
コース、印象記、食べ物 出会い 見物先 宿、 車中 後は食べ物1、2、3、4.という構成ですね
ストックでまだ未発表の部分を道中でしっかり聞かせてください。楽しみです、僕が行ったときも電脳,補習は盛んだったが相変わらずですね。

台湾はもう全土が都会みたいですね。高雄では岡に上って全市一望されましたか。あれが一番印象にあり、その次が円山飯店の建物かな。台北の故宮博物館は意味がわからなかった。書、絵画、陶芸、民芸品などにはまったく関心が無いので、素通り。4階?で休んでいたときに聞こえた胡弓のメロデイが美しかった。
万華街にあるロンサンスー龍山寺ー辺りの雰囲気は良かった。特に西華街の蛇は気持ち悪かったが印象深かった。
僕は東南アジアに行くとまず病気のことを考えて食べ物も制限してしまう。フルーツは特別好きで食べたいのだが、安全を確認するまでは手が出ない。細菌性下痢、 食当たり、食中毒などで床にふした人をたくさん知っているけど皆さん良くやるなと感心はするが自分は出来ない。次回もピュアを持っていきます。

さてタイの件だが
1、水上マーケットほどつまらないものはないというのが僕の実感です。朝5時に起きて見に行ったが(このときはツアーだった)船をこいで行くと観光化した物売り船が近づいてきて商売をはじめる振り払って進むと川の左岸に大きな土産物屋があってここで船を下ろされて、そこにはいる。何か買わされるが、それが市内の店で買うよりも高い。たとえばスカーフはジムトンプソンよりも高い値段がついているあとでこのことを知って腹が立った苦い思い出がある。このことを話したら行った人は同じような怒りを感じていた。もう二度といくものか僕はニホンジンノートにそう書いておいた。商売のドツボに掘り込まれてしまうだけで盛り上がることはないと思います。あなたが希望だったらもちろんお供しますが。
2、バンコクだけでは勿体無いのでアユタヤ、出来ればスコータイまで足を伸ばすのもいいですね。
僕は初めてです。行って見ませんかメーチャンのところまでは行けないのと違いますか。多分時間が無いと思います。その他現地で臨機応変に対応しましょう。 

僕の作品送ります。聞いてみてください。竜馬がいく 司馬遼太郎がお好きなようだから彼の作詞による歌 花供養(僕が勝手に名前をつけた)です。これはすごく質の高い作品です。 三千世界とか仏三千とかの世界です。司馬さんのつかんだ世界をどれだけうまく作曲するかそれが僕の腕前ですこの曲は条件反応的に出来て僕も驚いた作品です。

2、飛鳥路は大和ののどかさを作詞作曲したものです。女性二部で美しいメロデイです。
聖徳太子賛歌は1150年祭記念作品です。煩悩賛歌歌っているのは宝塚スターです。演歌も作るのですよ でもどちらかといえば。叙情歌曲が得意です

3、エッセイは何篇か入れておきます

ではまた

ステンカラージン6-43

2014年04月03日 | Weblog
ステンカラージン

ロシア民謡を聞くと、抑圧された人間の哀愁を感じることが多い。
メロディーがマイナーのものが多いせいだろう。メロディーを聞いていると、それだけで切ない気分になる。紋切り型ではないが、マイナーメロデイは寂しさや悲しみや切なさなどのマイナー感情を呼び起こす。
そしてそのマイナー感情は、人々が日常生活で味わう(思うようにならない想い)と共感してじーんと胸に迫る。
ロシアがどんな国か、どんな自然が広がっているのか、どんな家や街並みや田園風景が広がっているのか、わからないが、ロシアの国民性が欧米のそれとは異なる事は、なんとなくわかる。そして北半球でも西南寄りにある国の国民性は陽気で、メロディーにも特にリズムには、それがよく表れている。一方で東北部は東欧と呼ばれ、世界史の中では明るいとか、陽気だとか呼ばれるメジャー感覚の出来事は少ない。
そーゆーところからロシア民謡はマイナーなメロディーが多いんではないか。それがロシア民謡の特色だ。
そんな中で際立つのが、ステンカラージンのメジャーメロディーである。
しかしこのメジャーも踊りたくなる様なものではなく、ノスタルジア一色に彩られている。
したがってこの曲は美しい叙情性を呼び起こすものである。


岸壁の母

2014年04月02日 | Weblog
岸壁の母

日本中で愛され続けている歌に、二葉あき子さんの岸壁の母がある。
御年80歳?とも思われる彼女の歌は音楽的(声楽)に考えてみれば、声の震えや音程の下がりなど決して褒められたものではないが、彼女の人柄と歌はそんなスケールでは測り切れない内容である。
終戦と言えばもう60年余り過ぎたが、この歌は常に彼女と共にあり、命を永らえている。この歌が大衆の心から消えるときは、たぶん彼女がこの世を去ってしまってからだろう。

詩も曲も彼女の歌い方を含めた歌も、それほど大きな感動を与え続けたのだ。
生死不明の息子の帰還を願って、岸壁に通い続けた実話は、母の執念としてそれだけでも感動ものである。
60有余年間、時間の風雪に耐えて、今でも歌い続けられるこの歌は、永遠なれ、と願わずにはいられない

2度目の経験8-21

2014年04月01日 | Weblog
2度目の経験

お湯の温度が熱い打たせ湯で、肩や腰を打たせた。お湯の温度を考えずに、いきなり打たせ湯に飛び込んで20分間我慢したら汗がたらたら流れた。
湯舟を出て洗い場に行って石鹸をつけて体を洗おうとしたら、むかむかっかとした。
幸昼は何も食べていなかったので、吐くものは何もなかったが、吐く前のあの苦しみは地獄の苦しみである。
額はひや汗でびっしょり濡れている。体を横たえようとしても洗い場でひっくり返るようなみっともない真似はできない。休むに休まれない。
うずくまったまま温泉に吹き込む風に当たって体を冷やした。10分ほどした、むかむかも落ち着いてきた。

思い返せばこれで同じことを2度経験している。全く同じような経験を城崎温泉でした。あの時は洗い場には誰もいなかった。
冷水に濡らしたタオルを額に当てて大の字になって天井を眺めながら10分ほど横になっていたら、むかむかが治まり、それにつれて気分も良くなった。今回は後になってあのことを思い出したが、前もって注意することはすっかり忘れていた。
温泉に入るにもルールがあって、体が受け付けるような手順を踏んで温泉に入らないとムカムカ現象に突き当たってしまう。今回は肝に命じた。