彼岸花
彼岸の頃になると天は高くなり 空気は澄む。稲の匂いがする。 秋のにおいだ。
大川の土手や、田の畔には、今年もまた、曼珠沙華の花が真赤にもえた。
大川にはひと一人が、やっと通れるぐらいの橋が架っていた。その橋を、ダラダラっとくだってくると、少さな御堂があり、その横には、お迎えの仏さんが二体 合掌して、前かがみの姿で立っていた。
石造りの、そのお迎え仏は、恐らく観音さんだとは思うが、今はもう記憶がさだかでない。
その観音さんの前を通りすぎると、奥は墓になっていた。
その墓は時代もので、石碑に彫られた戒名や
享年は、風雨にけずられて、字が読めないものが多く、やっと読める文字でも、天正だの、元和だの
享保だの、それはそれは、昔の古い墓が多かった。
そんな苔むす墓に根をおろしたかのように、
彼岸花は、あたりを血の海に真赤に染めて、まるで、狂ったように咲いていた。
ゴンシャン ゴンシャン どこえ行く。赤いお墓の彼岸花、地には七本、血のように・・・.略
忠さんは死んだ。まだ三十オにもなるか、ならんかだのに。
忠さんは死んでしもうた。
彼は生れつきのテン力ン持ちだった。大川で魚取りをしている時に、発作がおきて、おぼれてしまったのである。
小雨のそぼ降る、秋の日に、彼の野辺送りは執り行はれた。
どこでどうなったのかよくわからないが、私は彼の葬列に加わって、墓地までついて行った。
墓地には、穴がほってあり、ドラがチンドンガラン、チンドンガランと激しく打ち鳴らされた後で、
彼は座棺に入って、この墓地に埋葬された。
彼岸花は彼の生血を吸ったかの如く、以前にも増して鮮やかな赤にもえたった。
色も形も大きさも、ヒゲまでも、そっくりである彼岸花の球根と、コイモとは正常な者でも、見分けるのがむつかしい。
目のわるい祖母が両者を見分けることは、なをさらむつかしい。
案の上、祖母はかやく飯を炊く時に、コイモと
彼岸花の球根をまちがえて、一緒に炊きこんだ。
昼休みに、学校から帰ってきた私は、祖母の作ってくれた、彼岸花の球根入りの、かやく飯をたべて、学校へとってかえした。
着くなり、胸がムカムカして、私はガっともどした。先生のはからいで、早退して家へ帰った私は、
そこで異様な光景をみた。
昼御飯を食べた家族は、皆ゲー・ゲーやっている。母も祖母も幼稚園の妹も、皆ゲロゲロやっている。 乳を飲んでいる弟以外、あのかやく飯を食べた者は、一人の例外もなく、皆もどしたのだから、犯人はあの球根だということがすぐわかった。
さて今度は誰が球根をまぜたのかと、いうことだが、その犯人は祖母だということは、一目瞭然だった。
名ざしされるまでもなく、祖母は自分がまちがって混入したことを認めた。
彼岸花はこわい。私はあの時から、彼岸花を見ると、忠さんの葬式と重ね合わさるので、彼岸花を見るのをさけてきた。
加えて彼岸花は無気味である。
葉が一枚もない。土中からまっすぐに茎がスゥーっと伸びて、先に真赤な花が咲く。
それも一本の茎にモジャモジャっとした花弁が何本か集って、一つの丸い輪の花を作っている。
遠くから見れば一つの花のように見えるが、虫もよりつかないのではないか。
.暑さ寒さも彼岸まで。
忠さんも祖母も、とうの昔に、土に還っている。ひょっとしたら、彼岸花の一部となって、毎年秋の彼岸には、この地上へ再びもどってきているのであろうか。
天高く空の澄む秋、彼岸花が咲いているのを見ると、私はいつも忠さんの葬式と、毒入りかやく飯と祖母を思い出すのである。
ゴンシャン.ゴンシャン ー略ー ひとつ摘んでも日は真昼 ひとつあとから
またひらく、、、
‘
彼岸の頃になると天は高くなり 空気は澄む。稲の匂いがする。 秋のにおいだ。
大川の土手や、田の畔には、今年もまた、曼珠沙華の花が真赤にもえた。
大川にはひと一人が、やっと通れるぐらいの橋が架っていた。その橋を、ダラダラっとくだってくると、少さな御堂があり、その横には、お迎えの仏さんが二体 合掌して、前かがみの姿で立っていた。
石造りの、そのお迎え仏は、恐らく観音さんだとは思うが、今はもう記憶がさだかでない。
その観音さんの前を通りすぎると、奥は墓になっていた。
その墓は時代もので、石碑に彫られた戒名や
享年は、風雨にけずられて、字が読めないものが多く、やっと読める文字でも、天正だの、元和だの
享保だの、それはそれは、昔の古い墓が多かった。
そんな苔むす墓に根をおろしたかのように、
彼岸花は、あたりを血の海に真赤に染めて、まるで、狂ったように咲いていた。
ゴンシャン ゴンシャン どこえ行く。赤いお墓の彼岸花、地には七本、血のように・・・.略
忠さんは死んだ。まだ三十オにもなるか、ならんかだのに。
忠さんは死んでしもうた。
彼は生れつきのテン力ン持ちだった。大川で魚取りをしている時に、発作がおきて、おぼれてしまったのである。
小雨のそぼ降る、秋の日に、彼の野辺送りは執り行はれた。
どこでどうなったのかよくわからないが、私は彼の葬列に加わって、墓地までついて行った。
墓地には、穴がほってあり、ドラがチンドンガラン、チンドンガランと激しく打ち鳴らされた後で、
彼は座棺に入って、この墓地に埋葬された。
彼岸花は彼の生血を吸ったかの如く、以前にも増して鮮やかな赤にもえたった。
色も形も大きさも、ヒゲまでも、そっくりである彼岸花の球根と、コイモとは正常な者でも、見分けるのがむつかしい。
目のわるい祖母が両者を見分けることは、なをさらむつかしい。
案の上、祖母はかやく飯を炊く時に、コイモと
彼岸花の球根をまちがえて、一緒に炊きこんだ。
昼休みに、学校から帰ってきた私は、祖母の作ってくれた、彼岸花の球根入りの、かやく飯をたべて、学校へとってかえした。
着くなり、胸がムカムカして、私はガっともどした。先生のはからいで、早退して家へ帰った私は、
そこで異様な光景をみた。
昼御飯を食べた家族は、皆ゲー・ゲーやっている。母も祖母も幼稚園の妹も、皆ゲロゲロやっている。 乳を飲んでいる弟以外、あのかやく飯を食べた者は、一人の例外もなく、皆もどしたのだから、犯人はあの球根だということがすぐわかった。
さて今度は誰が球根をまぜたのかと、いうことだが、その犯人は祖母だということは、一目瞭然だった。
名ざしされるまでもなく、祖母は自分がまちがって混入したことを認めた。
彼岸花はこわい。私はあの時から、彼岸花を見ると、忠さんの葬式と重ね合わさるので、彼岸花を見るのをさけてきた。
加えて彼岸花は無気味である。
葉が一枚もない。土中からまっすぐに茎がスゥーっと伸びて、先に真赤な花が咲く。
それも一本の茎にモジャモジャっとした花弁が何本か集って、一つの丸い輪の花を作っている。
遠くから見れば一つの花のように見えるが、虫もよりつかないのではないか。
.暑さ寒さも彼岸まで。
忠さんも祖母も、とうの昔に、土に還っている。ひょっとしたら、彼岸花の一部となって、毎年秋の彼岸には、この地上へ再びもどってきているのであろうか。
天高く空の澄む秋、彼岸花が咲いているのを見ると、私はいつも忠さんの葬式と、毒入りかやく飯と祖母を思い出すのである。
ゴンシャン.ゴンシャン ー略ー ひとつ摘んでも日は真昼 ひとつあとから
またひらく、、、
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