日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

生死の瞬間は判らない

2010年07月16日 | Weblog
生死の瞬間は判らない

我々が自分が生きているという感覚を持つのは何時だろうか。同時に死んだという実感を認識できるのは何時だろうか。

出生は医師によって時間まで正確に記録されるが、主体としての自分はその自覚が出来ない。と同様に死の瞬間が自覚出来ない。何年何月何時何分何秒に生まれたと言える人はいない。と同様に死の時間を正確に言える人もいまい。医師という出生死亡の正確な記録者がいて、ほうそんなものかと判る仕組みになっている。

と言うことは正確に言えば、人間は生死の時間を正確に知ることなく生きていることになる。 出発点と執着時刻は判らないまま、つまり人生の入り口と出口は自覚出来ないまま、生きている事に成る。
そこで考える。

あんまり正確なことを追求したところで、始点終点が判らないわけだから意味のないことだ。
まあまあ命が自覚がある間にせいぜい命を愉しんでおくことだね。

自殺

2010年07月15日 | Weblog
自殺


10年ほど日本では自殺者が年間3万人を超えている。
交通事故の死者は減少の一途をたどり、2万人くらいいた最盛期に比べ半数以下になった。たしか5,6000人でおわったいたように記憶している。
メーカーも安全には力を入れ、安全確保のための法律も厳しくなった。啓発運動も盛んになり、社会全体が交通事故安全確保にむけて動き出した感がある。
それに比べて自殺者対策は遅れてはいるが、最近自治体も声を上げて対策を講じようとするし、NPOが重要な働きをしてくれる。

自殺の原因は個人的な要因よりも社会的なように起因すると思われる。
つまり何らかの事情で「社会」のなかで孤立をしてしまう。特に経済的な事情による者が多い。無職の2,30(代)の若者は就職できないままに鬱病になり命を絶っていく。
直接の原因は鬱病または鬱状態の中で明日への希望を失い、生きている意味を見失い 自殺をしている。これは世代を問わずウツ病になり自殺というコースのパターンみたいらしい。

鬱病になるにはそれなりの原因がある。たとへば無職の若者は就職に失敗して、精神的に落ち込み、また5,6,70(代)の世代では事業に失敗して借金が出来、いわゆる多重債務者になり、その返済に苦しみ、挙げ句のはては命を絶つ。中には配置転換によって過労になり、鬱病になるケースもある。
以上のように鬱病になって自殺する人がウツになる要因は社会的なものがおおい。とすれば自殺予防プロジェクトの出る幕は十分あると思われる
交通事故の数が半減以下に出来たように、自殺者の社会的要因の改善に成功すれば、半減も可能ではないかと思える。

そこで共生きを標榜する宗教がもっともっと力を入れた活動したらいいのではないか。
寺が鬱病患者の相談所になったらどうだろう。自治体や国とのネットワークの中で宗教が果たすことの、というよりは果たすことが期待されている宗教教団の役割こそ、新旧をを問わず現在求められている、一番身近な活動分野のように思うが。宗祖の遠忌を盛大に行うことより、今死線をさまよう人を救済することのほうが、釈迦の命じたことにかなう事に成るのではないか。

学者智と世間智

2010年07月14日 | Weblog
学者智と世間智


学者の智は専門分野を深く掘り下げて得た智であり、その分野で長けている。しかしながら人間が生きている社会全般各分野とのバランスを欠くから、視野が狭い。それに比べて、社会智、世間智は学者のような専門性はほとんどないが、社会生活上から得た知識なので各分野のバランスがとれていて、総合的である。

どちらも人間生活上大切な智であるから、これを尊重して、上手に活用する必要があるが、学者智は総合バランスは少ないので、悪いやつにかかると、簡単に悪用されお先棒を担ぐようなことになりかねないから、注意が必要である。

マスコミはいとも簡単に専門家の意見として、学者を登用するが、専門性や閉鎖性には欠けるところがあって世間智とは、違うな という違和感を感じることがよくある。
そしてその理由を突き詰めれば、鋭角な専門性と社会の常識との乖離にあるのではなかろうか。

千葉法相、半年で執行ゼロ

2010年07月13日 | Weblog
「死刑廃止派」千葉法相、半年で執行ゼロ

読売新聞
 
鳩山内閣では、「死刑廃止を推進する議員連盟(廃止議連)」のメンバーだった千葉景子氏が法相に就任し、死刑制度に注目が集まったが、昨年9月の就任以来、執行は一度もない。と読売新聞は報じている。

1,そもそも現時点で考えれば、この法務大臣は死刑執行業務を完全にさぼっている。個人として死刑反対は自由であるが、執行権を国民から付託された者が自分の主義主張をとうして法律違反してよいものか。
己の主義主張のために執行書に署名しないのは、完全なる法律違反である。日本では法務大臣自ら与えられた職務を果たさないで、その席にいることが許されてよいものか。
国民感情としてはとうてい納得できない。
法で決められたことを執行しない法の最高責任者の存在を許すこの国の法律の執行とはいったい何なのか。

筋の通る答えは1つだ。
死刑反対ならば自己主張を通して法務大臣になることを拒否すればいい。
法務大臣の職責につけば自己主張が何であろうと、法律に忠実でなければならない。
なによりも自己主張を貫くというのであれば、即刻辞職すべきだ。こういう自明の理をわきまえない人物は不適格者として更迭すべきである。
またこういう人物を選任した鳩山首相にも責任がある。彼の口から明確な答えを聞きたい。


2,千葉法相は昨年9月16日の就任記者会見で、死刑執行について「法相という職責を踏まえながら慎重に考えていきたい」と発言。 について。

こういうのをまやかしというのだ。国民を欺いて自己主張を通すための方便の発言である

3,内閣府の世論調査で死刑容認派が過去最高の85・6%に上ったことに触れた今年2月9日の記者会見では、「非常に高い数字で重く受け止めたい」としながら、、、、

重く受け止めたいとか軽く受け止めたいという選択の自由があるのか。己の職務の1つではないか。このようにまやかしをいって国民を欺く。これが国民の期待に応える法相の姿か。口も方便というが、うわべだけでものをいって国民をだまそうとしても、そうはいかない。国民を馬鹿にするな。

「一つの世論調査だけですべての世論を表しているのかどうかは、もう少し慎重に考える必要もあろうかと思う」と述べた。
こいつは徹底的に頭の悪い人物だ。現在のようなすさんだ凶悪事件続発の世相をどのようにみてしているのか。1つの世論調査ではないだろう。何回やっても現状の凶悪事件多発続発を見る限り、死刑存続派は過半数を超えることは誰でも予想のつく話じゃないか。死刑反対論者が8割を超えるとでも思っているのか。何回調査しても現状を見る限り過半数%を超えることは確実に予想されることだ。

凶悪犯を社会正義の名において死刑を科するのにどこに無理があるのだろか。
国民感情のどこにむりがあるのだろうか。えん罪だとか、自分の宗教上の理由だとか、残酷刑だとか、国際的な流れだとかいろいろ理屈をつけて死刑反対を叫ぶが、罪なき被害者の人権について考えたことがあるのか。被害者の人権回復こそもっとも重視すべきであるのに、凶悪犯の死刑囚の人権がどうして尊重されなければならないのか。納得のいく説明を求めたい。

4,死刑制度の存続の是非について、千葉法相は「国民的な議論を起こしたい」と繰り返しているが、省内で研究会を発足させるなどの具体的な動きは何も起こしていない。

国民的議論は辞職後にでもやったらどうだ。いまは職務に忠実なることを国民が求めているのだ。彼女の発言を時系列化してみると、執行書にサインしたくないと言う意志がありありと透けて見えてくる。
法律に定められたことを守らない法律の最高責任者。法務大臣 。
馬鹿らしくてシャレにもならない。

そこで結論
執行命令が出せないなら即刻辞職すること。法務大臣の職に就いているならば職責を果たすことだ。



千葉法務大臣は今回の選挙で落選した。僕の立場からすると当然のことである。
大臣の職務より、自己の信念の方を優先させるなんて国民は許さない。たとへそれに反対の立場でも。法律で決まったことは万人が守るべきでそのトップにたつ法務大臣が職責を全うしないなんてなんてどうして許されるのか。それも個人の主義主張のために。
言葉を濁して実行しない。ずるい人間だ。

どうして法務大臣を引き受けたのか。自分は死刑反対論者で国民の大半が賛成する死刑存続には 反対だから大臣は辞退する。それが常識人のすることだ。法務大臣には法律よりも自己主張を優先する特権でもあるのか。
彼女の直接の反論を聞きたい。エゴで法律行政をねじ曲げるな。厳重に抗議しておく。

選挙はすんだ

2010年07月12日 | Weblog
選挙はすんだ

結果は与党の敗北で終わった。そしてねじれ国会が現実のものになった。

どこが悪かったのか、反省はしてもらわなければ困るが、そんなことは国民にはほとんど関係のない話で、敗因の追求や、自民党の勝因などどうでもよいことだ。

国民が心配するのは、日本の国情がこんな状態になっているときに、与党も野党もくそもない。党派に分かれて対立する政党間の垣根を跳び越えて、将来の日本をどうするのか。
直近の問題は社会保障をはじめとする山積みになった問題を政治家が知恵を絞り出して解決策を探り、国家国民のために手を打つことだ。

テレビ討論 新聞の論調にしっかり耳を傾けても、絵空事にしか思えない。むなしいことだ。理屈の言い合いで、いったいこれが国民のために何の役に立つというのか。

今までの2大政党主義的な考え方を捨てて、国民本位の政治を実現してもらいたい。
もう理屈は飽きた。いつまでに何を実現するか話はそこから始める必要がある。

一人当たり700万円の借金

2010年07月11日 | Weblog
一人当たり700万円の借金

国地方を会わせると1400兆円の借金があるそうな。
日本歴史上一番栄えた昭和30年代から約50年、日本経済は高度成長を続けて世界第2位の経済大国になって、気前よくODAに金を出していた

ところが最近のの日本の経済状態はがたがたである。経済太国としてあらわれていた各種の指標は軒並み下がり先進国中では下位になるものが見えだした。

これは一体どうしたことなのか。高度成長期に蓄えたはずの金は一体どこへ消えたのか。個人が贅沢な生活をして、そのツケがいま一人当たり700万円という借金だと言うのなら実感があるだけに納得も行くが、国家経営のためになどと規模を広げると何が何だか判らなくなる。
この借金の穴埋めに消費税を上げる、経済成長を続けさせて、その儲けで借金の帳消しをすると言うけれども、800兆円という借金のヤマはたやすく解消するとは思えない。社会保障費の増大、少子高齢化に起因する国民総生産の現象などを考えても、前途には大きな希望がもてるわけではない。無駄を徹底的に省くとしても800兆円の借金が解消するとは思えない。
一体どうすれば良いのだ。今日は参院の選挙である。こういう現実にどう対処しようとしているのか。どれも頼りない主張ばかりだが どれかの政党を選ばなくてはならない。
棄権したい気分にもなるが、一縷の望みを抱いてみんなの党にでも投票するか。
あー。ホントに情けない。50年間の国の舵取りをしてきた自民党公明党には間違っても投票する気にはならない。

賭博

2010年07月10日 | Weblog
賭博

野球賭博で相撲界が大揺れに揺れている。いつも勝った負けたの世界の住人だから、勝負とは無縁の世界にいきてる私よりは、関心が深いのだろう。

トンネルを掘る地下工事に携わる土方をしていたとき、賭博というのは、工事現場でもよくやっていた。僕は金もないし興味もなかったので加わることはしなかったが、
勝負に負けると、元を取り戻そうとして倍々ゲームで掛け金をアップさせるから恐ろしい。

勝負に負けて理性を失い、かっかかっか頭に熱を帯びた人間のすることは損を取り返そうという一点で気が狂うのだろう。1日の日当が地下に潜りハッパをかけるという危険な仕事のため、通常の土方の人夫賃の倍はある日当も、何のその、その当時1日300円の日当の100倍が一回の掛け金になる 。金額の数字を見ていると恐ろしくて体に震えがくる。
負けてる人はむきになって、ものすごい数字の借金を背負うから余計に掛け金を大きくする。人間のバクチ精神というと恐ろしいものがある。

僕はバクチが嫌いである。勝てば勝ったで気を遣うし、負ければ非常に腹が立つ。
負けが重なると、余計に興奮して理性を失うから、興奮のボルテージは上がりっぱなし。人間を狂わせる恐ろしいゲーム賭博は所詮不労所得だし、勝ち金が建設的な方に回されることはまずない。
そんなわけで僕は今までもこれからもバクチとは無縁の世界の住人である

胃の集団検診

2010年07月09日 | Weblog
胃の集団検診

保健所から集団検診の通知が来た。バリュームを飲んでレントゲン撮影するだけだが、やはり緊張するものだ。
検査前と検査の後では血圧の上がり具合が違う。


僕は20代で、胃の全摘手術を受けた。50年も昔のことだから、腸が胃の替わりをしているのだろう。全摘以後、食べ物に変化が起こった。

甘いものは、和洋を問わず、欲しいとは思わない。まんじゅうも、ケーキも、一切欲しいとは思わない。
酒は1滴も飲めなくなった。胃がないから小腸へ直通で5分もたたないうちに、体中にアルコールが回るから多分。急性アルコール中毒を起こすのだろう。体を寝かせてないと座ったり立ったりしていると目が回る
油ものテンプラ類を食べると、冷や汗が出る

こうして若い時に胃を失ったのでそれ以後、食事は粗食一本にして、毎日定量を規則正しく食べているそのおかげで50年間、体重は、55キロ前後である。

一度だけ、インドをひとり旅した時、食べる物が口に合わず、1カ月間で10キロ痩せて、帰国した。その時ぐらいで、あとは、またもとの55キロに戻り、この線をうろちょろしている。

今になって考えると、胃の全摘という。1病のおかげで、1病息災で、大した病気はしない、糖尿病や高血圧メタボという持病はなく、毎日を年齢に相応しい行動することによって、それなりに元気に、うち過ごしている。

それでもやっぱり胃の検診を受けると言うのは、どこかに、胃がんに対する恐れを心の中で、持っているからだろうか。

詞か曲か私の場合

2010年07月08日 | Weblog
 詞か曲か私の場合


 人を感動させるような詞はかけそうもない。詞は曲作りのためにあるぐらいのウエートしか置いていない。おいていないというよりは感動的な詞を作れないから、ウエートは低くなる。その分メロディーやリズムのおもしろさを重視し、それで勝負することになる。メロディーの美しさ、リズムのおもしろさを追求することになる。これから追求すべきもの。感覚を磨く事が第一。その次にテクニックを勉強する。

「高齢者になっても働きたい」が6割近く

2010年07月07日 | Weblog

「高齢者になっても働きたい」が6割近く

―労政研機構調査

 高年齢者の6割近くが、65歳以上の高齢者になっても働きたいと考えていることが7月5日、独立行政法人労働政策研究・研修機構の「高年齢者の雇用・就業の実態に関する調査」で明らかになった=グラフ1=。男性に限ると、約7割が65歳以上まで働きたいと答えた。また、経済的な理由から就労している高年齢者が最も多かった

 調査は昨年8月20日-9月15日、全国の55-69歳の男女5000人を対象に実施。3602人(72.0%)から回答を得た。

 それによると、「収入になる仕事を辞めたいと考えている年齢はあるか」との質問に対し、「65-69歳まで働きたい」が16.3%、「70歳以上まで働きたい」が10.9%、「年齢に関係なくいつまでも働きたい」が30.3%となり、65歳以上の高齢者になっても働きたいと考える高年齢者の割合は合わせて57.5%に上った。男女別に見ると、男性は69.1%と約7割に上った一方で、女性は46.4%だった。

 また、就業者に対して仕事をした理由を複数回答で尋ねたところ、
「経済上の理由」が72.8%で他を大きく引き離しており、以下は

「いきがい、社会参加のため」22.3%、

「時間に余裕があるから」11.8%、

「健康上の理由」11.4%などの順。

経済上の理由の内訳は、「自分と家族の生活を維持するため」が88.4%と圧倒的に多く、

「生活水準を上げるため」は7.4%と1割に満たないと言う調査結果が出た。

高齢者の一員としてもの申せば

1家族の生活を支えるというのが大きな理由である。65才以上になれば子供の教育費や家族扶養の費用はなくなると思っていたが、別な費用の発生がある。孫との付き合い。縁組みによる親類の付き合いなど予想外のお金が出ていく。年金とわずかばかりの蓄えでは赤字になるときもあり、やはり収入がほしい。
2,特別な趣味やしなくてはならない仕事でも持っていれば別だが、一日の時間が長い。とても退屈だ
3,社会から離れることに疎外感が大きく
4,仕事がないからどうしても引きこもりがちになり健康にも良くない

そこで提案したいのだが、定年は65才。ただし働く意欲のある人は週2,3日出勤。給料は時給1000円程度でよい。たったこれだけのことでも疎外感の悩みは少なくなり退屈する時間は少なくなり、多少なりとも社会参加の喜びが味わえるのではないか。
当節ボランテイアばやりだが、奉仕できる余裕のある人は良いが、そうでない人は生活費の不足を補うと言うことで参加は難しいのではないか。
これらを解決するためには社会の仕組みを大きく変えることが大切だ。今後の政治経済の課題だろう。

人生列車は退屈列車。

2010年07月06日 | Weblog

人生列車は退屈列車。

時間のレールを走るだけ。乗客は黙って一点を見つめている。皆おし黙ったままだ。黙ったままの灰色のカオ。

生存できるかどうかというぎりぎりの線上にある人に、モラルを説いた何の価値があろう。法律を守れ、道徳を守れといえるのは恒産あり恒心を持つ人々にだけ通じる言葉である。

政治家には経営感覚が必要だ。

2010年07月05日 | Weblog

政治家には経営感覚が必要だ。


経営感覚のない者がどうして国を経営できるか。にも関わらず人寄せパンダの芸能人や単なる有名人をかついで 無党層ににアピールしようとする。随分国民をなめた話だ。
一度政治をやってみたいと言う程度のタレントが、立候補するのをみると何時も苦々しい思いがする。こんな程度の人間に国政を任せるのかと思うといやになる。
経営者の中で見識人格共に優れた人がいる筈だ。八百屋の大将もつとまらない連中が国家経営にたづさわるなんてもってのほかだ。
もっと己という者を見つめよ。低脳な有名人の写真が選挙公報に載っているが、見るのも元糞悪い。

民主党

2010年07月04日 | Weblog

民主党

自民党から民主党に政権交代したときには、期待感があった。マニフエストにはそうしてほしいという思いがいっぱいあった。ところがいざ政権をとってマニフエスト通りになったのかというと、とんでもない大嘘が書いてあった。

無駄使いをやめれば20兆円の金が浮き、それを他に回して有効に使えばよいと言う主張である。実際に無駄を追求してみると7000億円しか浮いてこなかった。
20兆円がたった7000億円。一体これは何なんだ。大嘘じゃないか。僕は怒った。2兆円だったらまだ許せるが、20兆円と来ればとても許せない。つまり民主党は中身を精査せずに、標語として20兆円を掲げただけの話である。完全な嘘つきである。

消費税の問題は避けて通れない。自民党が10%を打ち出した。そしたら民主党はそれに便乗した形で消費税を持ち出した。消費税は何とかしなくてはと焦る僕には、議論は大変結構な話ではあるが、中身も検討しないで、また上げるためになる前提条件について何も精査せず、経費節減を口にするだけの民主党には共感を覚えない。

みんなの党が主張する様な具体的な削減案を提示して、政権を任せてほしいと言うならば説得力もあるが前回のような大洞を吹いた後で、またぞろホラじゃないかとうたがわせるような事をマニフエストにしたところで信用できない。どうして政治家ってこんなにずさんなことしか出ないのか。
稲盛さんじゃ無いけれど、八百屋も経営できないような連中の集団だとすれば、実に悔しい思いがする。
こう思っていたときに電話がかかってきて民主党に投票をと言ったので、今国民一人当たりの借金はいくらか知っているのか尋ねたら、今から勉強しますだって。頼りないことおびただしい。これが国民の代表か?耳をうたがった。

外国人実習生過労死

2010年07月03日 | Weblog
外国人実習生過労死

毎年過労死は日本人、外国人を問わず何人かがおこる。全国での研修実習生の死亡は増加しており08年は35人が亡くなったそうだ。

認定された過労死の前提には明らかに働きすぎだと推定される様な残業時間がある。今回の中国人の場合も100時間前後の残業が3月にわたってあったと報道されている。

人間は何のために働くのか。それは突き詰めいて言うと生活するため、食うために働いているのである。だから働く基本原則は働いて賃金を得て、それで生活が出来るような条件が絶対に必要である。いろんな名目を付けて、生活や生きていく事に支障の出る労働はいかなるものであっても許されるものではない。

そう言うことが法律で決められているにもかかわらず、過労死は後を絶たない。経営者も労働者も何のために働いているのかと言う基本原則を考えないで、仕事があってもうかるとなれば、法律など無視して過重な働きをする。その結果健康を害し最悪の死亡に至る。

経営者は「残業は強制はしてはいない。低賃金は横並びの関係で仕方がなかった」
と言ったそうだが、経営者として規定の労働時間を超えて働かせておいて強制はしていないでは、すまないだろう。従業員の健康についても責任を持っているはずである。極端残業は長い目で見ると、会社全体に関わる問題だ。

今回の外国人研修生実習生の過労死認定は、当然のこととして受け入れなければならない。序でに言うならば日本人は兎小屋に住んで働き中毒にかかっていると、ヨーロッパから揶揄されたときがあったが、これは明らかに日本人の労働観のお粗末さを指摘している。事は国内だけに留まらず外国人にまで及ぶとすれば、日本全体の問題であり、特に日本政府や経団連や行政官庁までが嘲笑されていることを自覚した方が良い。

訳の分からない連中

2010年07月02日 | Weblog

訳の分からない連中
常識的に見ると救いようのない訳の分からない連中がいる。
ジーパンをはき、ジャンパーをはおり、スニーカー姿で何か薄暗いイメージを与える連中がいる。かれらのかつやくはよるにかぎられ、丸でネオンにさく咲くアダバナ的存在である。ところでそういう彼らの腕が人の心を解きほぐすのに不可欠である。
酒は人の肉体の緊張を解きほぐし、音楽は人の心の緊張を解き放つ。
そんな場面では、あの連中は特別な才能を発揮する。
ピアノや楽譜に向かうときの彼らはとうてい常識人の及ばぬ事をいとも簡単にやってのける。とにかくミュージシャンは常人ではない