日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

自殺

2010年07月15日 | Weblog
自殺


10年ほど日本では自殺者が年間3万人を超えている。
交通事故の死者は減少の一途をたどり、2万人くらいいた最盛期に比べ半数以下になった。たしか5,6000人でおわったいたように記憶している。
メーカーも安全には力を入れ、安全確保のための法律も厳しくなった。啓発運動も盛んになり、社会全体が交通事故安全確保にむけて動き出した感がある。
それに比べて自殺者対策は遅れてはいるが、最近自治体も声を上げて対策を講じようとするし、NPOが重要な働きをしてくれる。

自殺の原因は個人的な要因よりも社会的なように起因すると思われる。
つまり何らかの事情で「社会」のなかで孤立をしてしまう。特に経済的な事情による者が多い。無職の2,30(代)の若者は就職できないままに鬱病になり命を絶っていく。
直接の原因は鬱病または鬱状態の中で明日への希望を失い、生きている意味を見失い 自殺をしている。これは世代を問わずウツ病になり自殺というコースのパターンみたいらしい。

鬱病になるにはそれなりの原因がある。たとへば無職の若者は就職に失敗して、精神的に落ち込み、また5,6,70(代)の世代では事業に失敗して借金が出来、いわゆる多重債務者になり、その返済に苦しみ、挙げ句のはては命を絶つ。中には配置転換によって過労になり、鬱病になるケースもある。
以上のように鬱病になって自殺する人がウツになる要因は社会的なものがおおい。とすれば自殺予防プロジェクトの出る幕は十分あると思われる
交通事故の数が半減以下に出来たように、自殺者の社会的要因の改善に成功すれば、半減も可能ではないかと思える。

そこで共生きを標榜する宗教がもっともっと力を入れた活動したらいいのではないか。
寺が鬱病患者の相談所になったらどうだろう。自治体や国とのネットワークの中で宗教が果たすことの、というよりは果たすことが期待されている宗教教団の役割こそ、新旧をを問わず現在求められている、一番身近な活動分野のように思うが。宗祖の遠忌を盛大に行うことより、今死線をさまよう人を救済することのほうが、釈迦の命じたことにかなう事に成るのではないか。