日々雑感

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夫婦善哉7-58

2010年07月26日 | Weblog
夫婦善哉

大阪南にある法善寺横丁の水掛不動にお参りした。
お参りしているさなか、夫婦善哉という言葉が頭をよぎった。

夫婦善哉と言えば、織田作之助の名作である。早速図書館で借りて読んでみた。何回読んでも、もう一つ、イメージが湧かないので、何か良い方法がないかと思いを巡らせていると、この名作は映画になったはずだということに気がついた。映画であるならば、DVDになっているにちがいない。

ツタヤに走った。本日は貸し出しの特売日で、1週間借りてたった100円。入会金210円で、合計310円支払った。

早速鑑賞したが、大阪弁のニュアンスが、江戸っ子にどこまで伝わったか。同じ日本人ながら、関西と関東では、そこに流れるものが違う。大阪に住んでいると、言葉と言葉の間合いから、心情が読めてくるので、わかりやすい。
おおざっぱに言えば、東京人は格好つけるのに対し、大阪人は格好よりも本音を出してものをいう。そこに流れるのはギラギラした金銭感覚である
その分、江戸っ子から見れば、関西人は下品にうつるみたいだ。

大阪の下町の庶民生活から生まれる浪花節人情が、むき出しにされて、品はよくないが、その分リアルである。
そういう浪花人気質を森繁と淡島の名演技が、余すところなく、浪花人の腹に収まるから、この作品は、冒頭の画面に出た芸術祭参加作品の名にふさわしい名作だ。
制作されてから50年の歳月を経て、今なお、私世代の人々に、時代のずれを感じさせないのも素晴らしい。

ところで、この映画に出演する浪花千栄子さんの姿を見て息をのんだ。
五〇年以上も昔の話になるが、彼女から直接お小遣いを手渡しでもらったことを思い出したのだ。

当時、苦学生だった僕に、励ましの奨学金であった。ポチ袋には浪花千栄子と印刷されている。
中を見ると、3000円(当時昭和38年)入っていた。

中身はとっくの昔になくなったが、ポチ袋には、金額と、日付を記入して、今も大切に保管している。
にこっと微笑まれて、「頑張りなはいや」と、例の歯切れのよい、口調で、やさしく声をかけられた姿が、目に浮かぶ。
無言のうちに、「人は人物がすべてで、出自や学歴ではないこと」を人柄を持ってつくづく教えてくれた人である。
以来浪花さんの期待にそうように心がけてはいるが、どれほどの人物が出来上がったがと問われると、お恥ずかしい次第である。
僕がまた誰かの力になって、浪花さんのこの行為を伝えていかなければいけないと思う。

彼女の自伝を読んだわけではないが、生きていくことの聡明さはピカ一で、彼女ほど磨きのかかった人はそう多くはない。苦労して人格を磨いた人は後ろ姿まで輝いている。すれ違いに等しい時間であったが、後ろ姿には後光が射しているように思えた。苦労人同士でしか分からない共感する部分を感じるのだ。

山田耕筰先生が、右手の親指の付け根を、天眼鏡で眺められて「君の苦労は今にきっと生きてきますよ」
と言われたことが手相を見て予言をするという次元のことではなく、真実を言い当てているとつくづく思う。

夫婦善哉。さあこれをどう料理するのか。ここが腕の見せ所であると言う宿題がのこった。