日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

はっきり違う[昭和の歌・平成の歌]

2009年01月23日 | Weblog
はっきり違う[昭和の歌・平成の歌]
 
s昭和の初期から高度成長を遂げる昭和40年代までの歌は、詞を味わうメロディがついていた。詞は立派な詞で、それ自体中味があった。それに比べて平成の歌はリズムやサウンドが中心でメロディの美しさがない。詞は詞というよりは単なる言葉の羅列に過ぎない。そんな音楽状況の中で歌番組がどんどん減った。みんながそっぽを向いたからである。人々は自分の過ぎた生活実感へのノスタルジアを感じさせない平成の歌に飽き飽きして見切りをつけたのである。演歌についても演歌メロディ群に変わり映えがなく、出尽くした感じがあり飽きがきて、それが歌番組を少なくする理由にもなっている。つまり、現代は歌離れが起こり人々はカラオケで自分の好みの歌を歌う方向に流れている。

作り手・受け取り手

2009年01月22日 | Weblog
           作り手・受け取り手

作る側には強い主張がある。タイトルを選び中味を埋めて作品を完成させるまでは、100%作り手の主張である。ところが一旦、作り手の手を離れてしまうと後はもう受け手側の料理次第である。つまり、受け手側の自由な解釈なのである。
人は様々な人生経験やその時々の状況や個性に彩られた色眼鏡を掛けて見るから、必ずしも作り手の主張がそのまま伝わるものでもない、という現実がある。それでも作り手は、私は、こういう意図で想いで作ったのだからその通り受け取って欲しいと主張する。両者がつながる場合もあるが、普通は甲と乙に別れている。作り手は寂しい思いをする。   コニュニケーションとは難しいものだ。

答えが違う

2009年01月22日 | Weblog
答えが違う
 
どういう立場から見ているか、判断しているのか、知ることが大切である。
例えば、阪急電車の窓から淀川を見るのと、大阪空港着陸を目指して高度を下げている飛行機の中から淀川を見るのとでは同じ淀川を見ても答えはおのずと違ってくる。つまり、人は自分の判断を下す状況を正しく認識していることが大切なのである。

枠組み

2009年01月21日 | Weblog
枠組み

 枠組みが良かろうと悪かろうと、体制内で働くひとびとは、その体制内トップを目指して競争する。私は体制を作る枠組みも問題にすべきだと思う。枠組みが悪いと決して国は良くならない。

状況が正論を超越

2009年01月21日 | Weblog
             状況が正論を超越
 
「金をくれ。」「金が欲しければ働けば良い。」
こんな問答が通らない(正論とはならない)場面が現実にはある。
置かれている状況が正論を超越してしまっているのだ。だから、こんな時に正論で諭すのは無益なことである。 

借景

2009年01月20日 | Weblog
借景

人間はうまいことを考え出すもんだなあ、とつくづく感心した。
大和郡山にある慈光院は、建物、庭そのどれもが、方何里というようなものではない。

しかし、方何里に匹敵するような庭のある家に、勝るとも劣らない効果を持っている。座敷から遠望さられる山の麓までの眺めを、この建物の庭として見立てるというから、スケールは大きい。

自家の建物の余った部分の広さが庭という形ではなくて、自家の庭など、問題にせず、座敷から眺められる視界そのものが庭であるという発想である。

自然が生んだ山も川も、野も、原も、畑も、田も全部ここでは庭の一部を構成する。

これほど雄大で、維持管理の手間のかからない庭園がかってあっただろうか。

視界そのものを自家の庭にするという発想は、中国の仙人を彷彿とさせるものがある。そして、これを景色を借りるという意味で借景という。なるほど、借景か。実にうまいことを考え出すものだ。

現在、公共団体が売り出す土地でさえ、30坪買えば
1000万円の金がかかる。30坪の家というと、自分の家の庭を楽しむなんていうことは全然できない。隣との境目との間隔はわずか50センチ。なんていうことに落ち着くのが一般庶民の住環境である。

とても庭をつくる空き地はなく、庭なしで過ごさざるを得ないが現実だが、庭の欲しい人は、借景の発想をもつ以外には一般概念の庭というものを放棄せざるを得ないようだ。

もし、自家の部屋から見えるものがすべて自家の庭であるとしたら、どうなるか、たぶん気宇壮大になるだろう。

庭に作った池の鯉にエサをやるのが、唯一の楽しみだとか、庭に植えた野菜の手入れをするのが、健康のために良いとか、四季折々の花が咲くように、庭の手入れをするとか、
庭に対する相当の思い入れがないと、庭に値する土地を買うだけでも大変だ。

僕のような面倒くさがり屋は、このことはすべて借景の発想で、間に合わすのが、最もふさわしい。

第一、維持管理のお金も時間も必要がない。それでも、日本では、春夏秋冬に合わせて、それぞれの草花が、花を咲かせて目を楽しましてくれる。心を憩わせてくれる。
庭に関して言うならば、僕にとっては、借景が最もすばらしい。こういうのを団地族というのかも知れない。
そして、借景の原理を拡大解釈して、援用し、銀行の金庫に眠る札束を想像して、自分が裕福になった気分にになれば、法外の余録である。


































それでも満足ワットアルン

2009年01月20日 | Weblog
日中は35度の暑さが 常温のバンコクでも、日が落ちると気温はどんどん下がってくる。 正確に測ったわけではないが、皮膚感覚から判断すると、多分25度くらいまで下がる。

夕方夕涼みをかねて、有名な観光スポットのある王宮周辺を散策して、最後にスポットライトを浴びて幻想的な雰囲気をかもし出している、ワットアルン仏塔のおだやかな、姿を見て癒やされて
帰途に着いた。

宿は日本で言う木賃宿で、ビジネスホテルよりはずっと格下である。だから冷房の効いた部屋ではない。天井ではフアン(オオキナプロペラ)がかさしゃかしゃ音を立てて回っている。

午後8時を過ぎて、気温はぐんぐん下がりだした。10時にはごろには27度くらい、12時20過ぎると、 25度は下回る。
シーツも毛布もなく、病院で見かける、鉄パイプむき出しのベッドにごろ寝するが、ぼくはそれが不足には思わない。心の中ら不満が噴出しない限り、まあまあ満足である。日本では考えられないことだが、環境が変われば、こんなにも変わるものかと自分で驚いている。
そう言う情況の中で作詞作曲に夢中になって、1曲仕上げた。
思いの深い作品である。

古関裕而記念館

2009年01月19日 | Weblog
古関裕而記念館
 
「楽器を使わなくても先生は作曲ができたそうです。」と館員は私に説明した。
私は「ほう、そうですか。」と頷いた。先生の頭の中では音が鳴っているのだ。
 物理的なもの、例えば「見える」とか「聞こえる」とかが無いにもかかわらず、見えたり、聞こえたり出来るというのは神技であるが、その一方で幻視や、幻覚は狂人の精神状況でもある。しかし、古関裕而は神域に近づいた正常人であった。
 知識の極みには神秘の世界があって、それを知るのは感悟のみというのはすべてではないが当たっていると思う。 

受け身から積極的参加へ

2009年01月19日 | Weblog
受け身から積極的参加へ

 近ごろのTV番組はみる気がしない。なぜか、どんな原因があるのか、考えてみた。
近ごろのTV番組は作る側の論理と、自分のそれとがどうもずれているらしい。
だから、受け身的に受け止めると自分に合わなくて、面白くない。

じゃ一体どうすれば
いいのか。積極的に参加しようと言う努力が必要である。自分の考えをだす一方で他人の考えも、じっくり理解するように努める努力が必要である。

自分が疎外感なく、他人に同調して生きて行くためには、その努力が不可欠であると思うが、年のせいかそこまでしてTVを見なければならないのはおっくうになる。
それにしても近頃の番組はおおよそ面白くないと思うのは私一人ではない筈、TV局の番組担当者よ、もう少し考えてほしい。


創造

2009年01月18日 | Weblog
創造2009年1月15日
ニュートンが発見しようがしようまいが、そんなことに関係なく、万有引力が存在した。

人間が創造するということは未知のベールに覆われた「存在するものの」を見つけ出すことだ。

この世に存在しないものをどうして創造しえよう。

神の御手によって作り出しえないものを、どうして人間が作りえよう


冬の旅

2009年01月18日 | Weblog
冬の旅2009年1月15日

私の内なる芸術心を呼び覚ましてくれる歌。冬の旅よ。
シューベルトは、31歳の若さで、この世を去った。
ハンスホッターの歌声は同一フレーズを2倍して、それに、別のフレーズを添えている。
冬の旅のアナリーゼによって、歌の宝庫の扉を開きよ。
冬の旅を聞いてぼくはそう思った。

因縁果

2009年01月17日 | Weblog
               因縁果

因 縁 果  

仏教では、因縁という言葉がよく使われる。
これは単純に言えば、原因があって結果があるということだ。
では原因があれば、必ず結果が、発生するかというと、そんなものではない。
原因が、結果となって現れるには、そこには、ある種の力、縁 が働かなくてはならない。
例えば、波を考えてみよう。水があれば、必ず波が立つ。というものではない。水に、ある種の力。ここでは風が吹くから、波が、できるのである。
つまり、縁というものが、生じる結果に、重要な役割を果たす。縁が原因に働いて結果を生む

この原理原則が、人間のあらゆる事象や、すべての事柄に、置いて成立する。
すべての状況は、因と、縁とによって結果から生まれる と、仏教書には書いてある。では因縁とはなになのか。私はそれをどう考えるのか。というところから話をはじめる。

因縁とは何か。

それは人間が存在することによって作られる、実績(想いや行動の結果)のことであろう。
わかりやすく個人に限定して言えば、この身と心によって作るところの産物・実績であると私は理解している。

世間では良い因縁 悪い因縁と言うが、善悪の価値観を伴うものというと、善と悪は何によって決められるのか。その物差しが何なのか問題にする必要がある。
この物差しは普通の場合、常識的には、神や仏の教えに背くことが悪であり、教えに沿うことが善であると思われている。

神や仏と言ったけど、日本の場合は八百万の神があり、そのすべての神の善悪の判断が一致しているのだろうか。ある神はあることを善と言い、別な神はそれは善ではないという意見の違いはないのだろうか。 ここから先は自分に良いように解釈しないとおそらく客観的な説明は付くまい。

こういう次元では、この問いに正確な判断は下せない。というのはこの判断は私の世界の出来事ではないからである。おなじことが仏の世界においても言えるのでは無かろうか。
そうだとすれば、巷間で言われるような言葉の意味を使う意外に私には方法がない。だから簡単に、常識的に善因善果、悪因悪果を使うことになる

因縁は誰が作るのか

1,自分自身でつくる因縁

2,自分以外のもののつくった因縁
先祖代々から受け継いでいる因縁
関係のない他人、他のもの関係してくる因縁

これらが因縁となってある原因に働き、私たちに結果をもたらす。良い結果も悪い結果も その原因の出所は因縁である。良い結果悪い結果いずれにせよ因縁はその結果に重大な影響を及ぼす。


因縁にどのように対処すればよいか。 
 悪い因縁を断ち切る。浄化・浄滅する。これは人間が自分で出来る事ではないと考える。だから神や仏の領域のことで、人間が出来る事は神や仏に因縁きりを頼む他はない。そのために人間は何が出来るのか。何をしなくてはならないのか。 人間以上の偉大なる力を持つと考えられている神仏に対して働きかけることである。
巷間で言われる金を取って因縁きりや、消滅させるというのは、余り信じられない。

それにはどんな方法があるのか
1,霊地、聖地へいく。聖地の持つパワーによる浄化作用。例えば伊勢神宮など
2,徳の高い修行者 霊能者に取り除いてもらう。祈祷してもらう。
3,お経(真実の言葉)を唱えて自分の心の中や因縁を 神仏によって浄化・消滅して貰う 。こいうことを必死になって行って初めて因縁きり、特に悪い因縁きりが出来るように思う。 独断と偏見でやっとここまで想像してみた。     






物事はどこで測るか

2009年01月17日 | Weblog
物事はどこで測るか。2009年1月15日

物事の価値づけをするのは、どこか
人はすべてを心で測る。心がものさしになる。
腹が減ったときに食べ物に与える価値は腹が決める。のではなくて、心が決めるのである。

だから心というものさしを大切にして、限りなく普遍的で、客観的なものにすることが望まれる。

生きていることは

2009年01月17日 | Weblog
生きていることは2009年1月15日、

生かされているから生きているのである。生きていることは、生かされているから可能になる。

神仏から生かされ、人は生きているのである。単に生きるということはそれ自体存在しない、

誰かが命の火をつけてくれて、それが燃えているから生きているのである。

誰も、命火をつけてくれなかったら、どうして一人でに命の火がつくだろうか。点火されて以降から我々は、生きるのである。

むなしい

2009年01月16日 | Weblog
むなしい 2009年1月15日

個人的に親しい彼は、不動産会社を経営して、やっと事業に成功して、かなりの財産を作った。
自社ビルも作り、息子は、歯医者にした。最初のうちは、奥さんが化粧品店を営業していたが、それも思わしくなく、冴えなかった。
ところが、場所を変わって、不動産売買を営むについて、頑張ったおかげで商売は繁盛し、坪100万円はする土地を何十坪も買い、4階建てのビルを経て、庭付き一戸建ての自宅も、息子の分も含めて、2軒持ち、借入金ゼロの優良企業となった。
金に困った時代が長かっただけに、これだけ金を作ったら、さぞや満足したことだろうと思いきや、彼は私にしみじみと語った。

「金、金 金で一生懸命働いてきて、それなりに金を作ったが、むなしい。金もつまらん」

僕は、羨ましいと思う気持ちもなく、そんなものかなあ。としみじみ思った。