日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

良慶はん

2009年04月30日 | Weblog
良慶はん

京都の人は前清水寺貫主 大西良慶師のことを親しみを込めてこう呼ぶらしい。
生前 暁天講座を開かれていたから、人生の大先輩だが、はん付けで呼ばれるところからすると、地元では、親しみをもって、慕われ愛されていたのだろう。

清水寺が有名な名刹であることは、誰もが知っていることだが、貫主の良慶はんが清水寺の顔になったのは、彼の高齢と7つ子ちゃんのなつけ親になったことではないだろうか。
 107才を1期として遷化されたが、写真で見る限り、普通の人の60才の風貌は師の40才の風貌より遙かに老けて見える。体内から出るパワーあふれる気力とその風貌は男のたくましさを表して余りある。
師の90歳代に詠んだ短歌にも、気力元気がみなぎり、師が尋常な人でないことは裏付けされている。とはいえさすが107歳になると言葉の発音も一般人には聞き取れず、通訳?が必要だったそうな。
遷化

2月15日。これは釈迦入滅の日。なにか因縁めいたものを感じるのは私だけだろうか。
出会い
1周忌を目前にした ある日のこと。偶然寺を訪問。
新聞報道で寺の講堂に仏足石が設置されたと言うことを知ってから。
仏足跡と言えば、僕には仏足石歌に興味があり、薬師寺に現存する仏足石歌に曲をつけて奉納したこともある。
これが記憶にあるので、清水寺の仏足石には興味を持ったのだ。 成就院を訪問した時、師の1周忌を控えて90歳代に読まれた短歌にメロデイをつけて歌いながら、師を偲ぶ計画がされていた。そこへ割って入った形で、僕も短歌を見せて貰えることになった。約1000首ある中から僕は次の詠歌を選んだ
「思えども、言わぬは人の道にして、思わざるこそ仏なりけり」
悲しいかな、普通の凡人は思うことどころか、思わないことまでも口走ってしまう。あれやこれや悪口ばかり並べ立てる。そこの所に良慶はんは気付いてこの句を詠まれたのだろう。つまりそこには体験上も、常識的にも、生活経験と修行の中から自然に生まれた句だろうが、凡人にははっと何かを気づかせる短歌である。