日々雑感

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法師(僧)について

2009年04月20日 | Weblog
             法師(僧)について

法師ばかりうらやましからぬものは、あらじ 人には木の端のように思われるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞなし。

僧侶も、世間から尊敬されているが、しかし、僧侶ほど、うらやましくないものは、あるまい
「世の人からは木の端くれのように、つまらないものに思われるよ。」と清少納言が、書いているのも、本当にもっともなことである。権勢が盛んで、名声が高いにつけても、別に偉いとは、見えない。
名利を捨てよ。という釈迦の教えにそむく事ではないかと思われる。
増賀上人(天台宗の高僧名利を避けて遁世)の生き方が望ましいのではないか。

クマの意見
仏教では、篤く三宝を敬えと教えている。三宝すなわち仏法僧で、問題にするのはこの僧である。仏の弟子としての僧は、釈迦の教えを説くものとして、本来的には尊敬されるべきものである。
時代によっては多少の変化はあるが、基本的に僧は表面は尊敬されていると同時に、腹の底では、低く見られている。表面は尊敬していいるような、そぶりを見せているが、はらのそこでは軽蔑している。と言う現実がある。
確かに尊敬を受ける眞の仏教者もいる事にいるが、多数は単に生活をするために僧職についている人が多い。四国遍路をしたときも、このことをつくづく感じた。
本来仏教僧というのは生きている人間に、仏教の智慧を駆使して、生きていく上での悩みに何らかのサジェッションを与えるのが本務ではないか。
死者に向かって葬式儀礼をしたり、年忌法会をしたりするのは、あくまで従の仕事の筈である。というのは、この種の仕事によって、生きている人の悩みに、何ら答えないからである。
釈迦の教えの公宣流布と、庶民壇信徒の魂の救済こそが眞の職務だと思うからである
ハチ公
そんなこといったって坊さんも空気や霞を食って生きているわけじゃないよ。僧であろうと我々であろうと生きていくためには、金になることをしなくてはならならいから、お布施が沢山貰える葬式や法事に力を入れるのは当然じゃないか。
クマ
新興宗教は大勢の人を集めて、金を集めているぜ。彼らの元に人が集まるのは何故だろうか。検討して見る必要があるね 。特に檀家を持つ旧仏教には大きな課題ではないかね