日々雑感

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方違神社 ほうちがいじんじゃ

2009年04月02日 | Weblog
            方違神社 ほうちがいじんじゃ


堺市内の三国ヶ丘は 和泉 河内 摂津の三の郡の接する所で、この三接点にあるのが有名な方違神社である。歴史は垂仁天皇の時代から祠が祭られ、千年以上の時を経て、現在の神社の形態をとったとのこと。
    
祭神は方違幸大神「かたたがえさちのおおかみ」 と呼ばれている。かたたがえというと
平安時代の書物にはかなりの頻度で出てくるので、詳細は判らなくとも、なんとなく耳に聞き慣れた言葉である。旅立ちの方位や、家移りの方位など、平安時代、いやもっと古い時代から、人はその吉凶を気に掛けて、道中や家移りの方角の安全を神に祈願したのは、現代人から見ると、迷信の類にみえるが、古来の言い伝えは、現代なお脈々と息づいている。古代・現代を問わず、人間の心の中には、神に安全を祈るという気持ちが脈々と流れ、これは未来永劫に続くのではあるまいか。

受付で転居元と転居先の住所を書いて渡し、控え室でしばらく待つと2,3〇人ひとまとめにして、大神の祭ってある祭壇の間に案内されて、御幣でお祓いを受け、祝詞が始める。
聞き慣れたと
 「かけまくも」 からはじまって 「まうしてまうさく」で終わる。終わると今度は鈴を鳴らしてお祓いを受ける。

今日参拝した目的は 兵庫から東京へ転居した子供の日々安寧を願い、幸せと健康な日々を送ってほしいと言う親の切なる願いである。近くにおれば、いざというときは飛んでいけるが、大阪・東京となれば簡単なことではない。親が守る分、神頼みと言うことになる。
そうまでして、子供や孫の安寧を願う親心というのは、悲しいまでの思いである。
子供はそんな親の願いをどこまで受け止めてくれるだろうか。おそらく親の意を受けて、この神様のお札をどれほど大切に扱ってくれるだろうか。
しかし親はそこまでは求めない。多分に親の気休めの部分もある。自己満足である。
親心とはいじらしいものである。
参拝者の祈願は 安産 家作 方違い 家内安全 交通安全など万般OKだがやはり家移りの方除けが多いのは自然である。
本日の参拝者は神奈川 京都 兵庫など遠方の人も結構多い。堺市内の人は20人中4,5人にしか過ぎない。参拝者がかなり全国的なのも、そして方違いの災いよけ(方災除)祈願が多いのもうなずける。 

吉田兼好は人の吉凶は、暦の吉凶によるものではなくて、心がけによって生じるものである。いくらか神信心をしても、その人の心がけによって、吉凶は上昇したり下降したりするものだから、そのことを心がけて置かねばならないという。
彼は暦だけに頼って吉凶を占う人を戒めているのだ。神社出身の人とは思えない発言だが、これは本当だろう。というより説得力がある。
人は心がけによってその吉凶は上昇も下降もする。つまり吉にもなり、凶にも成ると言う考えは現代人も納得するだろう。だがその納得が果たして、方違い神社へのお詣りと言う形になるだろうか。多分現代人は頭の中で消化するのみか、通過させるだけだろう。