日々雑感

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長生き

2009年04月21日 | Weblog
長生き 09421

化野のつゆ消ゆるときなく、鳥部山の煙たちさらでのみ住みつるならいならばいかに
者のあわれもなからん。
世はさだめなきこそいみじけれ。

人間は永久に生きることが出来ればどんなにかものの情趣がないことだろう。
生まれてきて、死ぬからこそ、良いのである。さてその生き方だけど、この一生を足りないと思えば千年生きても、十分生きたという感覚はないだろう。
生き方にも限度というものがある。そこをわきまえて上手に生きてこそ、人生の意味がある。
長生きすれば恥をさらすこともおおいし、むさぼる心も湧いてくる。40才くらいで〔十四世紀〕頃の時代)世を去るのが、最も望ましい生き方ではあるまいか。


時代背景が如何に変わろうとも、長生きは人間の基本的な願望であろう。私個人の希望としては 二十一世紀の現代は85才くらいで自分自身の見繕いが出来る程度に長生きするのが良かろうと思う。
恥をさらしても、むさぼる心が生じてもそれは人間の自然な姿だから仕方がないではないか。85才くらいまで生きると、孫の行方もある程度、見極められるし、自分の体を支える力だって限界に達するだろうから、納得して世を去ることが出来るのではないだろうか。
己を己の自力で支えることが最低で、他人の力を借りないと、生きていけないというのでは生きている意味がない。 格好をつけて生きる必要は無いだろう。自然に任せて自力で自分を支えることが出来なくなったら、この世に未練無くおさらばするのが、自然体でよろしいと思うが。皆さんののご意見は。