サニーデイ・サービス - 夏の歌 2008-07-17 23:27:44 | 音楽 夏も讃岐うどん食べまくりといった、プロモーションビデオです。うどん屋さんの様子も良く分かります。 「今日を生きよう」 「サマーソルジャー」
コールド・リーダーになるために③ 2008-07-17 00:57:02 | 非合理主義・疑似科学 ⑴ バーナム効果b すべての人に当てはまる文書を、特に自分だけに当てはまると思いこむ減少を「バーナム効果」といいます。 フランスの心理学者のミシュラン・ゴークランは、「申込みがあり次第、無料で星占いをします」という広告をパリの新聞に載せました。彼は、申し込んできた読者の全員に、有名な殺人者の星占いの結果を送りました。そしたら、その星占いを受け取った94%の人々は、それが当たっていると絶賛したそうです。星占いはバーナム文で書かれていたからですね。 バーナム文を受け取った人は、それが「自分だけ」のために書かれたものだと考えるときには、当たったという感情がより一層強まるという事です。又、ある実験では、生年月日を知らされた占星術師によるものだと言われた被験者のほうが、生まれた年と月しか知らない占星術師によるものだと言われた被験者よりも、その占いが(実はニセモノ)よく当たっていると判断することが指摘されています。 スピルチュア・カウンセラーになってみましょう。 「私は、あなたのために特別に霊視をします。あなたには多少の性格の弱さがありますが、それを補える力も十分持っていますね。あなたは外交的で人付き合いもいいほうですが、時には内向的になって慎重な態度をとる時がありますね。あなたは男らしい(女らしい)方ですが、時々、女性的(男性的)な性格が顔を出すことがありますね」
名画座巡り 「ロッキー・ホラー・ショー」 2008-07-17 00:47:15 | 映画 大学生時代は、映画を見まくっていた。休講の時はよく名画座に行った。授業が午前中の時や、休日にも良く出かけて行った。当時は、ビデオやDVDで映画鑑賞をすることが出来ない時代だったので、入場料が安くて、最低2本立ての名画座は、映画ファンの聖地だった。東京のあちこちに存在していた。飯田橋、水道橋の後楽園、池袋の文芸坐とその地下。三鷹の名画座は、トイレの臭いがしそうなくらい古かったが、最低3本立て以上だった。立川にも在った。ここでは、5本立て上映をやったこともある。それぞれの映画館の上映作品の選び方も特徴があり、マニアックな組み合わせをする上映館もあった。支配人の好みを反映していたのか。 「ぴあ」は必需品だった。上映日から時間、それに上映予定も載っていた。何よりも、雑誌持参で割引料金になった。 ロードショーは、労音や生協で前売り券を買って見に行った。当時、家庭教師をしていた生徒の家が銭湯をやっていた関係で、地元の映画館の無料券をよくもらった。映画のポスターが貼ってある家は、映画館の招待券がもらえるのである。他のルートからも手に入ることがあり、地元では新作をただで見る機会が多かった。 アンダーグラウンド映画の上映もあった。高田馬場の小劇場では故佐藤重臣氏のアーカイブ作品の上映を良くやっていた。ケネス・アンガーの作品や実験映画を観た。「フリークス」や「ピンク・フラミンゴ」といったカルト映画の上映もあった。貴重な体験だったのかな。天井桟敷でも、実験映画の上映があった。 「ロッキー・ホラー・ショー」は、既に有名なカルト映画だった。最初に見たのは池袋の文芸坐。昼間の上映だが、観客の拍手があったりして、成程なと思った。 この映画は、イギリスの小劇場で開幕したロック・オペラをもとに1975年に作られたイギリス映画である。監督はジム・シャーマン。制作当時は評判が悪かったが、レイトショー上映されるようになってから、次第に熱烈なファンを増やしていった。カルト映画の走りである。やがて登場人物のコスプレまでする観客も登場し、観客参加型の上映会と化した。画面に合わせて熱唱したり、踊ったりするのだ。 映画のイントロ部分。「SF映画2本立て」と歌っています。ダブル・フィーチャーと言っているのがそうです。映画の題名、やはりカルトの「禁断の惑星」の名前も出てきますよ。 intro 有名なダンス。踊り方の指導まで付いています。 The Time Warp! 大女優スーザン・サランドンの若い頃の姿。こんな映画に出ていたんですね。 Toucha Toucha Toucha Touch Me 殺されたフランクフルターを背負う人造人間ロッキー。キングコングのパロディーですね。この映画、さまざまなパロディーシーンがあります。 Rocky Horror Picture Show [scene 33] DVDも出ていますので、興味のある方はどうぞご覧下さい。 この作品を観た頃、イギリスから舞台がやってきました。生協で、俳優座劇場でのチケットを売っていましたが、残念ながらその時は行くことができませんでした。なお、その後、フランクフルターをローリーがやった日本人による舞台公演がありましたっけ。