「バベル」と一緒に見たDVDは、大林宣彦監督の「風の歌が聴きたい」。ろうの青年の、人生に前向きな生き方を描いた作品だ。聴覚障害者の高島良宏・奈美子夫妻の実際の、出会い、結婚、出産、さらにトライアスロンレースまでに挑戦する生き方を元に映画化した作品である。高島氏は、現在、NHK手話ニュースに出演されている。
映画では、高森昌宏・美奈子という名になっている。文通から始まった二人のつながりがドラマティックに進展していく。題名は、高森青年が聴者の友人に、海辺に生えている1本の雑草が風に揺れているのを指差して、風の音が聞こえますかと尋ねたことによる。以前、オーケストラを見た時のイメージで、バイオリンのような音がするのではないかという。聴者に聞こえない音を感じていたのだ。
当然、手話もたくさん出てくる。「孤軍奮闘」はどう表現されているのかと見ていたら、手話で「孤独プラス一所懸命プラス努力」だった。日本語を手話に変換するのは大変だ。
以前、手話サークルで大原秋年監督の「4つの終止符」の上映会があった。推理小説作家西村京太郎氏の原作の映画化だが、設定に少し違いがある。母親と暮らす貧しいろうの青年。職場は、騒音の激しい町工場。病弱の母親のためにビタミン剤を買うが、これを服用した母親は死んでしまう。毒物が混入していたのだ。無実の罪で青年は警察に逮捕され、獄中で自殺してしまう。映画では、青年の祖父が登場し、謎を解いていく。まだ、ろう者が不当な差別を受けていた時代が背景にある。監督自身の講演もあった。歴史上、身障者は神聖化されるか、宗教上の穢れた存在と見られたようだ。後者の扱いの方が圧倒的に多かったのではないだろうか。監督も、子供の時に、近所に住んでいるろうの男性によく石を投げつけていたと言う。今でも、その事を思い出すと心が痛むと言う。映画を作った動機の一つにその償いの気持ちがある。一緒に鑑賞していたろう者の人は、泣いていた。
「風の歌を聴きたい」とは、時代が違い過ぎたのだ。西村氏の原作は「蛇の目寿司」事件が反映している。障害者の歴史は権利獲得と、社会への理解を求める戦いだった。全日本ろうあ連盟では、「蛇の目寿司」事件をろうあ運動元年としている。
聴覚障害者が登場する映画は、近年多くなっている。古くは、松山善三監督の「名も無く貧しく美しく」が有名である。多くは、聴者がろう者を演じている。
韓国映画にも「アダダ」という名作がある。こうした作品群は、又の機会に書いてみたい。大沢豊・米内山明宏共同監督の「アイラブユウ」は、実際のろう者の忍足亜希子さんが主人公のろうの女性を演じている。米内山氏もろう者である。この作品はシリーズ化している。
しかし、聴者がろう者を描く視点は、やはり聴者から見たものではないかという指摘がある。そこで、ろう者による、ろう者のための映画の製作が試みられている。いわゆる「デフムービー」である。おおだてのぶひろ監督の「迂路」は、トロント国際ろうフィルム&アートフェスティバル2006で、長編映画部門最優秀賞を受賞した。題名の迂路は逆さに読むと「ろう」である。
2年前に、地元のホールで上映会が行われて鑑賞することが出来た。不思議な体験だった。字幕はあるものの、音響が全く無いのである。会場は、スクリーン以外は音の無い暗い世界なのだが、かえって観客の息遣いまで聞こえるようで、妙に緊張した。短い時間だが、ろう者の世界を味わったようだった。今後は、こうした作品も増えていくのだろう。
映画では、高森昌宏・美奈子という名になっている。文通から始まった二人のつながりがドラマティックに進展していく。題名は、高森青年が聴者の友人に、海辺に生えている1本の雑草が風に揺れているのを指差して、風の音が聞こえますかと尋ねたことによる。以前、オーケストラを見た時のイメージで、バイオリンのような音がするのではないかという。聴者に聞こえない音を感じていたのだ。
当然、手話もたくさん出てくる。「孤軍奮闘」はどう表現されているのかと見ていたら、手話で「孤独プラス一所懸命プラス努力」だった。日本語を手話に変換するのは大変だ。
以前、手話サークルで大原秋年監督の「4つの終止符」の上映会があった。推理小説作家西村京太郎氏の原作の映画化だが、設定に少し違いがある。母親と暮らす貧しいろうの青年。職場は、騒音の激しい町工場。病弱の母親のためにビタミン剤を買うが、これを服用した母親は死んでしまう。毒物が混入していたのだ。無実の罪で青年は警察に逮捕され、獄中で自殺してしまう。映画では、青年の祖父が登場し、謎を解いていく。まだ、ろう者が不当な差別を受けていた時代が背景にある。監督自身の講演もあった。歴史上、身障者は神聖化されるか、宗教上の穢れた存在と見られたようだ。後者の扱いの方が圧倒的に多かったのではないだろうか。監督も、子供の時に、近所に住んでいるろうの男性によく石を投げつけていたと言う。今でも、その事を思い出すと心が痛むと言う。映画を作った動機の一つにその償いの気持ちがある。一緒に鑑賞していたろう者の人は、泣いていた。
「風の歌を聴きたい」とは、時代が違い過ぎたのだ。西村氏の原作は「蛇の目寿司」事件が反映している。障害者の歴史は権利獲得と、社会への理解を求める戦いだった。全日本ろうあ連盟では、「蛇の目寿司」事件をろうあ運動元年としている。
聴覚障害者が登場する映画は、近年多くなっている。古くは、松山善三監督の「名も無く貧しく美しく」が有名である。多くは、聴者がろう者を演じている。
韓国映画にも「アダダ」という名作がある。こうした作品群は、又の機会に書いてみたい。大沢豊・米内山明宏共同監督の「アイラブユウ」は、実際のろう者の忍足亜希子さんが主人公のろうの女性を演じている。米内山氏もろう者である。この作品はシリーズ化している。
しかし、聴者がろう者を描く視点は、やはり聴者から見たものではないかという指摘がある。そこで、ろう者による、ろう者のための映画の製作が試みられている。いわゆる「デフムービー」である。おおだてのぶひろ監督の「迂路」は、トロント国際ろうフィルム&アートフェスティバル2006で、長編映画部門最優秀賞を受賞した。題名の迂路は逆さに読むと「ろう」である。
2年前に、地元のホールで上映会が行われて鑑賞することが出来た。不思議な体験だった。字幕はあるものの、音響が全く無いのである。会場は、スクリーン以外は音の無い暗い世界なのだが、かえって観客の息遣いまで聞こえるようで、妙に緊張した。短い時間だが、ろう者の世界を味わったようだった。今後は、こうした作品も増えていくのだろう。