A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

本棚の前にて

2009-01-27 20:39:07 | つれづれ
 書店の本棚の前に立つ。読む、読まない、買う、買わないに関わらず、いろいろな本が僕を誘う。じっくりと渋めに語りかけてくる本、色目を使って媚びてくる本、いろいろである。

 話は変わるが、僕は怪談が好きだ。マンガでは杉浦日向子さんの『百物語』、書籍では『新耳袋』のシリーズとかを好んで買っていた。

 とある日、とある書店のコーナーで、怪談が多く並んでいる棚に目をとめた。『新耳袋』のシリーズ、同じ作者の新しいシリーズ、名前を模して装丁も似せているが内容が伴わない駄本(一応買って目を通したのだが、あまりのくだらなさに読後すぐにゴミ箱に叩き込んだ)、その他同じような怪異を扱う本に並んで、その本が目にとまった。

 シンプルな装丁の本である。表紙も題名も怪異を売り物にして媚びるところがない。あっさりとして落ち着いた本である。
 思わず手にとって冒頭に目を通してみた。淡々と文章が綴られてゆく。第一話をもうすぐ読み終えようとする頃、目が離せなくなってしまった。

 『やばい。この本は“本物”だ』

 実録の怪談集、それはもっともらしく人を脅かしたりはしない。大げさな仕掛けや人間の恨み辛みを並べたてもしない。
 ただ実際に起こった(らしい)ことを順々につないで記しているだけである。しかしその中に、『これは本物の体験なのではないのか?』というリアリティが、事実としてでなければ書き表せないであろう内容が、その中で告げられていることがある。
 日常から外れた空間、人間の感覚を超越した好意、一見何の変哲もないように思える違和感。これらが雄弁に「怪異」を物語る。

 『残りは買ってじっくり読もう』そう考えて、僕は本棚からその本を手にとってレジに向かった。

 本を読む行為、それは現実の中に別な世界を作り上げるようなものだ。一見強固と思われる現実に空想の世界が入り込んできて一瞬現実が揺らぐ。カメラのピントがずれるように存在が揺らぐとき、何らかの怪異が姿を表す。珍しいことではない。怪異はいつも我々の隣に潜んでいるのだ。

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