路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

この年も雨の季節で折り返す

2005年06月11日 | Weblog

 梅雨入り。
 塚本邦雄死去。

   日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
   馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで 人恋はばひとあやむるこころ

 戦後を代表する歌人の死。
 確かにその通りだけれど、小生散文も含めて、その華麗というか絢爛というか、ともかく華やかな措辞にちょっとついていけなかったな。時々テレビに出て、早口で淀みなくまさにケンランな喋り口で他の追随を許さない、といった感じにも。
 一時、毎日新聞が朝日の「折々の詩」に対抗して、塚本の「今朝ひらく言葉」というのをやっていたけれど、内容が該博、高尚すぎてそんなに続かなかった記憶が。
 塚本青史は長男らしい。

 歌人の死といえば、清原日出夫が死んだのも去年の丁度今頃だった。
 その死を伝える新聞の小さな死亡記事には驚いたよなあ。
 ○○日出夫氏 六十○歳 とあって、記事の終わりに、歌人清原日出夫としても知られる、みたいなことが書いてあるのだけれど、本人の肩書きが、なんと、元長野県企業局長。
 清原は確か北海道出身で大学は京都の筈だから、まずはなんで長野にいるんだと思ったものだ。

   釈放を求める隊に夜は来て頭上投光機が秘かに置かる
   装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている

 安保闘争を直裁に歌った歌人として、清原と岸上大作は双璧だろうが、岸上が自死して、清原も沈黙していつか名前も聞かなくなって、清しき論理だけが美しく息つめられていたのだったけれど・・・。
 その反乱、反体制の歌人が公務員になっていて、局長サマにまでなっていたとは、ぜんぜん知らなかったな。
 そもそも長野県企業局といえば、ビーナスラインや南アスーパー林道、その局長といえば古くは相沢天皇といった利権の奥の院といった印象。周囲も含めてどんな風に公務なさっていたんだろう、というのは下司の勘繰りだけどね。
 「なんとなくクリスタル」が知事になる直前くらいか。

 梅雨入りと同時にようやく雨。
 ひさしぶりの静かな雨もいいものだ。