人を殺してはいけない。というのが、私たちの常識です。人を殺してもいいという人を私は知りません。イスラム国テロの処刑動画には、殺される側に立つ恐怖を味わいました。それと同時に、その残虐さに言いようのない嫌悪感を覚えました。
■人間に潜む残虐性
残虐なことは私たちのふつうの暮らしの中でも起きていて、猫や鳥が切り殺されて公園なんかに放置されていると、ニュースで知ることがあります。同じような事件がときどきニュースになるので、これは滅多にないことではありません。各地でくり返されてきています。
昔のことですが、私も一度経験しました。ある朝、切られた野鳥が一羽、自宅前の歩道の側溝に捨てられていたことがあって気持ちの悪い思いをしました。普通に暮らしている人々の中にも、残虐な人たちがまぎれこんでいます。
この残虐性が私たちの誰にも潜んでいるのではないかと思うことがあります。よく考えてみれば、考古学で判明している大昔から、ヒトはヒトを殺してきました。人骨や遺物や文字や絵でわかる大昔からヒトはヒトを殺してきました。この事実は、ヒトが進化のそもそもの始めから同種同士で争い、時には殺し合う生き物であったことを物語っています。
よく知られているように、刑法では「正当防衛」や「緊急避難」の条項があります(刑法36条1項、37条1項)。学生時代に講義で聞いた例え話を今でも覚えています。
船が沈没して、一人の人が1枚の板につかまって、海で漂流しています。板切れにつかまって浮いている人を見つけて、自分もその板にすがって助かろうとした人がいます。彼は寄ってきて板にすがりつきました。ところがその1枚の板には二人を助けるだけの浮力がなくて、二人もすがりつくと沈むのです。それで、初めにすがりついていた人が、次に取りついた人を必死で引きはがしにかかります。あとで板にすがりついた人は、あきらめて板から手を放します。結局、ひきはがされた人は死んでしまいました。
この場合、ひきはがした人は無罪で、学生の私は法律はなんと人間的なんだろうと感激しました。まちがってもらうと困ります。人道的であるというのでなくて、人間的だと感心しました。今の私は、ひきはがされ力尽きて沈んでいく人の哀しみを思います。ひきはがして生き延びた人は、その後に助けられて長生きしたかもしれません。その人は一生、助かろうとした人をひきはがした罪の意識と、止むを得なかったという慰めの意識にさいなまれたのではないかと、今の私は思いを泳がせています。
■人助けのために思わず命を賭ける
熊本地震の溢れるTVニュースの中の一つで、一人の女子高生が話していました。2回目の震度7の夜、子ども2人を中に挟んで両端に父親と母親が寝ていました。震度7が襲ったとき、両親がそばにいた子の上におおいかぶさったそうです。テレビ画面に、そのありさまを示した手書きの線図が映っていました。
夏になると毎年、川なんかでおぼれる子どものニュースがいくつか伝えられます。おぼれかけている子どもを助けようとして、水に飛びこむ人がいます。水に飛びこんだ人の中には、親ではない人もいます。子どもは助かったけれど、助けるために水に飛びこんだ大人がおぼれて死んでしまったというケースもあります。
平成13年の東京で、泥酔した男がホームから転落しました。韓国人留学生と日本人カメラマンが彼を助けようとして線路に飛び降りたのですが、3人とも電車にはねられて死にました。
平成25年の大阪・淀川。台風通過後の淀川の奔流に転落して、9歳の子どもが流されました。たまたま堤防でランニングしていた中国人留学生が飛びこんで助けました。これは日中友好の話題として反響を呼び、官邸で総理大臣表彰を受け、皇居で天皇の接見を得ました。人民網2013年11月14日は救助の経過を次のように伝えています。
留学生は台風が通過した直後の9月16日、大阪市内を流れる淀川の土手をランニングしていた。台風の影響で淀川の水位が上がり、いつも走っている川沿いの細い道は、完全に流れの速い川の一部となっていたため、土手の上を走らざるを得なかった。この時、川辺で写真を取っていた9歳の男の子が誤って川に落ち、下流に流された。
助けを求める声を聞いて、留学生を含む周りにいた人たちが集まってきた。川に落ちた男の子の友人数人が彼を追いかけて下流に向かったが、川に入って助けることはできなかった。留学生は、岸にいたままで男の子を助けることができないと判断し、水に飛び込み、男の子の身体を掴み、引っ張って岸辺に連れて戻ろうとした。しかし、川の水が速すぎて、うまくいかなかった。
川の水を飲んでむせ、このままでは体力がもたないと感じた留学生は、やむを得ず、いったん岸辺に引き返した。川に落ちた男の子は、100メートルあまり流されたが、水中にあった木の枝に引っかかったのが不幸中の幸いだった。岸にいた他の人々は、男の子に向けてロープを投げ、そのロープで男の子を岸まで引っ張ろうとしたが、ロープは水中を漂うだけだった。そこで留学生はシャツを脱ぎ、ロープを自分の身体にくくりつけ、再び川の中に入った。岸辺にいた人と協力し、片手で男の子を掴んで助け出した。岸辺にいた人が警察に通報すると同時に救急車を呼び、男の子はすぐに病院に搬送され、生命の危険から脱することができた。
■尊い心性を育てる観点で
私たち人間には、見せしめに人の首を切って殺すありさまを世界に配信したり、猫や鳥を切り刻んで捨てて人目にさらす残虐性が潜んでいると同時に、危機に臨んで自分の命を顧みず、命を賭けて人を助けようとする尊い心性も潜んでいます。
この尊い心性を、あきらめずに、私の生命に育て、家族の生命に育て、交流する人々の生命に育て、日本の人々の生命に育て、他国の人々の生命に育てていきたい。人はそうあるべきだ。どこにでもいるふつうの人にすぎない私ですけれども、これを物の見方のモノサシにしています。
■豪潜水艦プロジェクト受注失敗を喜ぶ
この観点から喜ぶべきニュースを4月27日の新聞で知りました。日本はオーストラリアの次世代潜水艦プロジェクトの受注競争に敗れました。
安倍首相は、日本経済の一つの柱として兵器産業を育成しようとしています。2014年7月1日、集団的自衛権に関係する閣議決定を済ませた安倍首相はさっそく、オーストラリアに飛びました。同年7月8日、オーストラリア国会で演説した安倍首相は、その中で次のように述べています。
『本日私は、アボット首相と、防衛装備品及び技術の移転に関する協定に調印します。これは、私たちの歴史に「特別な関係」を刻む、まさに最初の一歩となるでしょう。
そればかりではありません。こと安全保障に関し、日本は長らく内向きでした。しかし日本には、いまや一つの意思があります。世界の恒久平和を願う国、また世界有数の経済力をもつ国としてふさわしい貢献を、地域と、世界の平和を増すため行おうとする意思です。』
安倍首相はオーストラリア外遊時にインパクトある兵器産業売り込みをするために、閣議決定を7月1日へと早めたのでした。しかし、それは出足の第一歩で足踏みしたのです。尊い心性の観点で、喜ぶべきできごとです。わざわざ外国まで出かけて行って人殺しの道具をセールスして日本のためになると考える――わが国首相の品性のなんと貧しいことでしょうか。
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<私のアピール> 安倍総理退陣を願う
安倍内閣はデモクラシー日本を食い破る強権内閣です。
安倍総理退陣まで、国政で安倍自民党に“No”を !
安倍総理を支持する政党、政治家、安倍総理にすり寄る候補者に、
次の参院選・衆院選で彼ら彼女らに“No”を !
安倍内閣はデモクラシー日本を食い破る強権内閣です。
安倍首相は「戦後レジームからの脱却」をめざしています。
安倍首相の抱く国家像は「明治維新リメーク型日本」です。
平和な暮らしで栄えてきたデモクラシー日本。なぜ壊すのですか?
2012年12月26日、安倍内閣が成立しました。
アベノミクス効果で円安・株高が実現しました。
それは、日銀の過剰な国債購入、GPIFの過剰な株式買い入れを伴っています。
円安効果で輸出大企業が栄えました。同じ円安効果で食品など生活関連品、電気代などエネルギー費が値上がりして、大衆には生活費切り詰め効果がありました。
アベノミクスの円安・株高効果の本質とは、なんでしょう?
国民大衆の生活費で、少数の大企業や株投資家の金庫を富ませている結果ではありませんか?
国の財政を浪費して危険度を高め、年金資金を危ないリスクに賭けることではありませんか?
これまでの実績を見ていると、アベノミクスで国民一般が潤うときは来ません。
安倍内閣下で特定秘密保護法が成立しました。安保関連諸法が成立しました。内閣法制局長官と、自民党・高村副総裁と、公明党・北側副代表の三者で手を握って、憲法違反の集団的自衛権を合憲だと、押し通しました。NHKの経営委員や会長には、安倍首相の息のかかった人が座りました。
政府に「批判的な」テレビ論調に政府・自民党の圧力がかかりました。
政府に「同調的な」テレビ論調に、圧力はありません。政府・自民党が「公平でない」のです。
テレビ局や公共の会館管理者などに自主規制が広がっているように見えます。
安倍内閣はデモクラシー日本を食い破る強権内閣です。安倍総理退陣を願っています。