川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
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今、世界の人々にとって過剰な発展が必要か? 〈その2〉 アフリカ大陸サバンナから世界へ

2022-01-12 01:09:15 | Weblog
   ロンドン自然史博物館所蔵 1903年に発見された英国最古の完全な古人骨チェダーマン復元像
      最先端の科学的分析によると、1万年前のブリトン人の肌は暗褐色で目は青い 





  世界の人種、部族、民族、国民の根は一つ アフリカ
  ホモ・サピエンス14万年の肌色は黒 肌色の分化は1万年前



■アフリカ大陸サバンナから世界へ

現代の私たちホモ・サピエンス=現生人類、生物種分類のヒト属ヒト科ヒトは、いつ発生したのか。

中国で見つかった北京原人の骨は約70万年前のもの、インドネシアで見つかったジャワ原人の骨は170万年前のもの、ヨーロッパで見つかったハイデルベルク原人の骨は約50万年前のもの、とされています。

しかし彼らの遺伝子は今の私たちの遺伝子に引き継がれていません。遺伝子を引き継ぐことなく絶滅したのです。絶滅した原人は20万年前にいたアフリカの1人の女性から増殖したという遺伝学の研究結果(科学誌Nature、1987年掲載論文)が発表され、考古学や骨形質学の研究結果もこの遺伝学の研究発表をほぼ肯定する結果になっています。 

さて、ホモ・サピエンス、すなわち私たちの祖先誕生の地はアフリカ大陸というのが、今や常識になっている定説です。それは10万年前から20万年前のこととされていますが、ホモサピエンスの15万年――連続体の人類生態史著者 古澤拓郎 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授) では仮に「15万年前」として論述を進めています。

アフリカ大陸といってもサハラ砂漠のような乾燥地帯ではありません。アフリカの熱帯雨林は生物多様性の宝庫であり、ゴリラやチンパンジーの生息地でもあります。しかし二足歩行ほかの人間の特徴から、熱帯雨林を追われた霊長類の種の中からホモサピエンス=現生人類=ヒトが誕生したと考えられています。

私たちヒトの祖先は、15万年前に、アフリカ大陸のサバンナからスタートしました。そんなに古くのことを断定的に言うことはできませんが、ほぼそのようなものと頭にしまいこんでいいでしょう。

私たちヒトの祖先は、10万年前~5万年前にアフリカ大陸の外へ進出し始めました。これ「出アフリカ」(Out-of-Africa)と言います。この時代以後、世界各地でヒトが生存した痕跡が見つかっています。

私たちヒトの祖先は、アフリカの故地から陸続きで今の中東に出ました。

 ① あるグループは中東からヨーロッパに向かった。(約4万2000年前)

 ② 別のグループは東に向かい、南アジアを経て、東南アジアに至った。
                           (約5万年前)

 ③ 東南アジアから北に向かい、東アジアに住み始めたグループがあった。
   日本もこのグループに入る。(約4万年前)

 ④ 東アジアからさらに北行したグループがシベリアに至り、当時陸続きだっ
   たベーリング海峡を渡って北米大陸にたどり着いた。(約1万4000年前)

 ⑤ 北米大陸グループは南下を続けて南米大陸を縦断し、南端にたどり着いた。
                            (約1万3000年前)

 ⑥ ②の東南アジアに至ったうちからオセアニアに進出したグループが、ニュー
   ギニア島やオーストラリア大陸に到達し定住した。
                     (オセアニア第一波、約5万年前)

 ⑦ ハワイ、イースター島到達(オセアニア第二波、約1500年前)
   ニューギニア島、オーストラリア大陸到達からずっと後年になって、東アジ
   アのどこかで暮らしていたグループが、台湾から航海をくり返しながらフィ
   リピンやインドネシアにたどり着いた。そしてオセアニア第一波から4万年
   以上も過ぎた後に、そこから東、リモートオセアニア(太平洋の広い海域)
   の島々に到達し定住した。航海、農業、土器制作などの技術なくして、第二
   波のオセアニア進出はかなわなかった。そのために4万年以上もの時を要し
   た。

―ここまではホモサピエンスの15万年――連続体の人類生態史著者 古澤拓郎 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)   ミネルヴァ書房刊 9p~14pより―



■黒い肌から白い肌へ 

イギリスのユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのヨアン・ダイク博士や自然史博物館のセリーナプレイス博士らが2018年2月、イギリスで発掘された1万年前の古人骨の遺伝子解析の結果を発表した。この古人骨は「チェダーマン」と名付けられている。 

1万年前にイギリスで暮らしていたチェダーマンは黒い肌に青い目をしていた――この発表は人々を驚かせた。冒頭掲示のチェダーマンの写真は、この分析結果に基づくロンドン自然史博物館所蔵の復元像である。

ホモ・サピエンスの出現が15万年前とすれば、それから14万年の間、私たちヒトはみな、黒人だったと示唆する研究結果だった。そして白い肌の始まりは、1万年前より新しい時代のことと考えられるようになった。

アフリカからヨーロッパの新しい環境に移住したヒトは、その当初は黒い肌をしていたが、ずっと世代を重ねる中で日照の弱さに適応して、白い肌の人が広まっていったと考えられる。

―ここまでは「ホモサピエンスの15万年――連続体の人類生態史」著者 古澤拓郎 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)   ミネルヴァ書房刊 27p~30pより― 


  ホモ・サピエンスはみなアフリカルーツの同族です。
  わが友よと分け隔てない心で人々とつながっていきたい。


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謹賀2022 今、世界の人々にとって過剰な発展が必要か?〈その1〉 人類の歴史は狩漁採集型―農牧養型―掘削型

2022-01-08 23:22:22 | Weblog

   年初早々出遅れに過ぎるごあいさつ、申しわけございません。
   本年もよろしくお願い申し上げます。

   たまたま読んで断片的に得た昔の感染症流行期間をみると、1回の流行に
  つき1年超ほぼ2年でした。それでコロナも2年で終わると思っていたとこ
  ろ、コロナ流行はとうとう3年目に入ってしまいました。

   オミクロン株について1月4日WHOは「ほかの変異ウイルスと比べて肺ま
  で達して重症化するリスクは低い」と見解を示し(1月5日NHKニュース)、
  1月5日沖縄県専門家会議ではオミクロン株感染者を診た医師らから「これま
  で肺炎の治療をしてきたが、今回はいまのところ肺炎がない」との報告が出
  ています(1月6日朝日新聞)。コロナ弱毒化が進むよう願っております。

  

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今、世界の人類にとって過剰な発展が必要か?

人類の歴史は狩漁採集型・農牧養型・掘削型の歴史でありました。

狩漁採集型・掘削型の行為は、人によっては必要ではないと考えるもの(例えばウラン)を含む人間にとって必要とされているものを一方的に、四六時中生成衰滅をくり返している地球自然の環から収奪してきました。

人間は生きるために必要なことをやってきただけに過ぎない――のですが、地球自然の環と生物種ヒトとを対峙させて考えると、「地球自然の環からの生物種ヒトによる収奪」と見ることができます。今、この観点を認識しておきたいと思います。



<狩漁採集型>
原初の人は生存そのものを賭けて野山川池泉湖海空に食物を探索し獲得してきました。

自生の陸上植物や海草などを食物とすることを採食と言い、採食するための作業は果実などを採取と言い、穀類などは刈ると言う。野生動物を捕食するための作業を狩猟・狩りと言い、魚については、漁・釣り・網などと言います。

食べるために自然の中で自生・野生しているものを取る生活を、ここでは「狩漁採集型」と定義します。しゅりょうという読みは同じで、猟の代わりに漁を当てました


<農牧養型>
やがて人々は植物を育てて食べるようになり(栽培・農業)、動物を育てて食べるようになり(牧畜)、魚を育てて食べるようになりました(養魚・養殖)。この3つを併せて「農牧養型」と定義します。


<掘削型>
人間は原初から自然の流水(河川)、湧き水(地下水)、溜り水(湖沼・泉・池)の近辺に移住もしくは定住してきました。

場所によってはちょっと土砂をかきだせば湧き水が出ることも知りました。道具を作ってもっと深く掘って井戸水として利用することもできるようになりました。地下水の掘削利用です。

そして煮炊きをし、灯りをとり、暖をとるために、野山の植物そのものを採取したり植物から油を採取したりして燃料にしていました。それはやがて、それだけにとどまらず、大地から地中埋蔵物である石炭や石油を掘り出して使うのが、近代の主力になりました。現代ではこれに加えて原発燃料としてウランを掘り出しています。

また山地の地下をくりぬいた道路施設・鉄道施設としてのトンネルや、軍事目的のトンネルや地下構造物も、掘削型の所業に入ります。

これらを「掘削型」と定義します。

(次回につづく)


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