川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

戦後に戦死させられた支那派遣軍兵士と生き延びた岡村支那派遣軍総司令官

2006-08-31 07:48:42 | Weblog


2006年8月28日付朝日新聞(大阪本社)夕刊記事「戦争 未完の裁き⑮」大庭翻訳係証言のノートです。

◇◇◇◇◇


大庭忠男さん(90)は東京裁判の翻訳係をしていた。内大臣・木戸幸一(天皇の重臣、A級戦犯)の日記も翻訳した。翻訳係を1948年12月まで務め、その後は映画の字幕や推理小説を翻訳して過ごした。

彼は、逓信省の役人だった兄・俊雄のことが忘れられない。敗戦間近の1945年春、兄は37歳で召集され、中国戦線に送られた。敗戦は1945年8月15日である。

翌1946年の春、死亡通知と白木の箱が返ってきた。中にお骨はなく、黒ずんだ石だけが詰まっていた。戦友に聞くと、兄は1946年1月、山東省でアメーバ赤痢で死んでいた。

「降伏した日本の支那派遣軍総司令官・岡村寧次が、蒋介石の国民党と相談して、共産党軍に武器を引き渡すなとなったのです。日本軍は共産党軍と戦いながら退却した。そこで多数の戦死者や戦病死を出しているんですよ」

山西省の残留日本兵と同じ「戦後の戦死」。その責任者ともいうべき岡村陸軍大将は、蒋介石への協力のゆえか、中国の戦犯法廷では無罪になる。1949年、共産党が中国を支配する直前に帰国。すでに東京裁判は終わっていた。裁かれず、生き延びた軍幹部は大勢いる。
コメント

東京裁判――日本軍の毒ガス使用も、人体実験も、人肉食も不問

2006-08-30 07:47:08 | Weblog


2006年8月28日付朝日新聞(大阪本社)夕刊記事「戦争 未完の裁き⑮」粟屋教授の調査証言のノートです。

◇◇◇◇◇


粟屋憲太郎立教大教授(62)は1983年、ワシントンの米国立公文書館で、日本陸軍の「支那事変ニ於ケル化学戦例証集」をみつけた。中国でひそかに毒ガスを使っていた証拠だ。


毒ガス戦は、中国山西省で多かった。学者グループが1999年から翌年にかけて中国人被害者の聞き取り調査をした。

「山地のゲリラ戦に毒ガスは有効なんです。洞窟に撃ちこむ。相手は防具を持っていなかった。洞窟を飛び出して苦しむところを刺し殺す」と粟屋さんが言う。

東京裁判では、細菌戦研究や人体実験をした石井四郎の731部隊も不問に付された。米軍に研究情報を提供する見返りという。

「日本軍の人肉食も、米国やオーストラリアの遺族にとって衝撃が強すぎると取り上げなかった」
コメント

昭和20年8月14日夜、玉音盤ねらった近衛兵の恐怖

2006-08-29 16:00:21 | Weblog


朝日新聞(大阪本社)8月26日朝刊「声」から、東京都・嶋田さん(男性78)の投稿を転載します。


◇◇◇◇◇

敗戦前日の昭和20年8月14日の夜、宮内省の雅楽の学校の生徒だった私は、空襲警報が鳴ると、皇居内にあった宮内省ビル屋上の監視台で若い職員と敵機を監視していた。B29の爆音を耳にしたら地下の宮内省防空本部に知らせるのだ。

めったに鳴らない防空本部との直通電話が鳴った。
「すぐ本部まで来い」

私は監視台を下りて、垂直はしごを滑るように1階まで下りた。地面に足が着いた瞬間、「誰か」と問う声と同時に、尻にチクリと痛みを感じた。何と、銃剣を突きつけられていたのだ。

本部は60人前後の職員で既に満員だった。目の前で1人の将校が軍刀を振り、大本営や他省庁への電話線をバサッバサッと切った。

昨日まで親しくしていた近衛兵たちが完全装備で、本部出入り口を固めていた。私たちは翌日の明け方まで拘束され続けた。

15日正午に流れた天皇陛下の玉音放送を泣きながら聴いた。午後になって、宮城警備の近衛兵が玉音盤を狙って戦争終結を阻止しようとしていたのだと知る。

17歳だった私は、軍隊の怖さが身にしみた。有無を言わさず、自由が一方的に奪われる怖さだった。
コメント

日本テレコムが一般消費者に迷惑をかけるやり方

2006-08-28 15:56:54 | Weblog


◇日本テレコムから請求に関する案内が来た

もう数年以上前のことになりますが、通話料金がNTTより安いという電話の誘いにのって、電話回線2本を平成電電に登録しました。

そして2、3年前だったと思いますが、1本の回線を廃止し、残る1本の回線をBBフォンで契約しました。この後、平成電電から請求が来たことはありません。

最近になって日本テレコムからダイレクトメールが何回か来ました。平成電電の回線契約者は、その事業を引き継いだ日本テレコムと契約することになりますという案内です。

平成電電とはとっくに関係が切れています。ダイレクトメールを見て「ふうん、会社が潰れて、事業は日本テレコムが吸収したのか」と思うばかりで、そのままうちやっておきました。

と、今度は「日本テレコム電話サービスご利用開始とWEB明細サービスのご案内」が来ました。

「ご請求者名」「ご請求先住所」は私のものが記載されています。「ご登録回線」は上記2本の番号になっています。

これはたまりません! たとえ通話料金は取られなくても、何らかの形で基本料金のようなものを取られたのではたまりません。使ってもいないものを勝手にリストアップして請求対象にするとは何事か!


◇日本テレコムにクレーム電話をした

というわけで日本テレコム料金センターに電話をしました。このごろの大手会社は電話をしても、すぐに社員が出るとは限りません。かけた方には、コンピューターの自動受付のアナウンスを順番に聞いていく辛抱と手間がかかります。顧客の負担が増しているのです。

自動案内に従って、社員を呼び出すナンバーをプッシュしました。男性社員が出ました。

「使ってない回線の請求がどうのこうのと来てるんですがね」
「何番でしょう」
ここで、お詫びのことばがありません。クレーム受付の作法に反します。相手は冷静です。

私は回線番号を言いました。相手は、お客様番号を聞いてきます。冷静に感情のない声で聞いてきます。私は不愉快です。相手が勝手なことをするから、私は余分な手間をかけているのです。案内通知書を見て、お客様番号を読み上げました。

相手のコンピューター画面には、即座に私の情報が出たようです。
「マイラインの契約は解約されましたか」

これは明らかに、責任のありかを私に持ってきている。この言葉に、私は興奮しました。

調べもせずに、勝手に料金請求の対象にしている。このやり方は許せません。なぜなら、自社で調査する手間を省き、今は無関係の元利用者に通知をさせて、元利用者に手間をかけさせて、顧客の対象を確定するやり方だからです。

マイラインの契約を解約したかどうか、覚えてはいない。しかし、回線1本廃止、1本BBフォン契約以来、平成電電から請求は来ていない。それなのに、平成電電の事業を引き継いだ新事業者がなぜ、請求前提の文書を送ってくるのか!

「マイラインの契約がどうなったか、そっちで調べたらええやろ。平成電電からは何年も請求は来とらん。1本は何年か前に廃線にしたし、もう1本はBBフォンと契約しとる。」

強い口調で難詰したら、相手はどう答えたと思いますか。「2本とも解約すればいいわけですね」と言って、2本の電話番号を確認してきます。「ああ」と不満な声で、電話を切りました。

最後までお詫びの言葉はありません。大きな会社の手前勝手な仕事の進め方には嘆息するよりほかありません。


コメント

夏の高校野球、歴史に残る名勝負だった

2006-08-21 03:49:13 | Weblog


8月20日の午後は何もできなかった。夏の高校野球決勝、駒大苫小牧と早稲田実業の対戦。15回延長の末の決勝戦再試合は、1969年以来2度目ということだ。

7回当たりからテレビに釘付けになった。駒苫・田中、早実・斎藤の一投ごとに、見ている体全体が力んだ。12回に入ったころには、どちらも勝ってほしいと思った。テレビから躍り出る甲子園の熱気と歓声。私も家内も血が沸騰した。

夏の高校野球、歴史に残る名勝負だった。見られたのは幸せだった。私の生存残年数では、こんな名勝負を見られる機会が次にあるかどうか、わからない。

十代の子どもたちでさえ、日本の夏の空を興奮と感動の渦に巻きこむ力がある。人には、誰にでもそんな力が秘められている。私は興奮の渦の底で、そのことにも感動した。人にそなわる力に、希望を持った。


コメント

小泉首相の「靖国で中韓反対に屈さず」という卑怯なごまかし論理

2006-08-15 00:47:24 | Weblog


◇小泉首相が「靖国参拝」で排外主義を煽る

「小泉内閣メールマガジン2006/08/03 ●戦没者の慰霊」の中で、靖国神社参拝について、小泉首相が持論を次のように述べています。

「私を批判するマスコミや識者の人々の意見を突き詰めていくと、中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方がいいということになるように思えてなりません。」

小泉首相は、靖国参拝を正当化するために、「中国の反対には屈しない」という姿勢を強調しています。自分の信念を正当化するために外国を利用し、国民の民族感情を揺さぶり、国民のなかの排外主義を煽っています。そしてこれに同調して走り回る「ヤスクニ犬(けん)」という人種がいます。この人種は中国、韓国と聞くと狂犬のようにやみくもにかみつき、ヤスクニヤスクニと鳴くのです。

何というごまかしでしょうか! 靖国神社が戦没者合祀をすることに反対する日本国民は、実に数多くいるのです。中国や韓国が反対するから反対、というのではありません。

自民党の小泉後継総裁選について有力候補と目されていた一人、福田元官房長官は「靖国問題で国論を二分する印象を与えることは対外的に良くない」という理由で、総裁選不出馬を表明しました。自民党の有力者である福田氏が、「国論を二分する」と表現するほど、靖国問題の反対者は日本国民の中に多いのです。

何と嘆かわしいことでしょうか! 自民党の中にさえ反対者がいるものを、すべて中韓に負わせて良しとする卑怯な小泉首相……。




◇亡き戦友は靖国にはいない、故郷の墓にいる(元従軍兵士)

従軍兵士であった和歌山県の本多さん(92)は、2006/07/28付朝日新聞への投稿の中で、次のように述べています。

「私も軍服を着せられ、友を失った。しかし戦友は靖国にはいないと思っている。戦争にかり出されて殺された者が、殺したやつらと同じ屋根の下にいられるはずはない。彼らは皆、故郷の自分の家の墓に戻っている。会いたければそこに詣でればよい。私は3人の亡き戦友の墓に詣でた。」

日本国民の、実際に従軍した元兵士のなかでも、靖国神社に祀られることに「ノー」という人がいます。


◇靖国合祀に「ノー」という戦没者遺族

島根県の僧侶菅原龍憲さん(66)は、靖国神社が遺族の承諾なしに戦没者を祀ったとして、合祀取り消し訴訟を提起しました。戦没者遺族の中にも、靖国合祀に「ノー」という人がいます。

靖国神社には、戦後に、厚生省が戦没者名簿を引き渡し、これをもとに一括合祀されたという経緯があります。遺族の承諾などは求めもしませんでした。靖国神社に合祀されたことを不満に思っている遺族も数多くいるのです。


A級戦犯の広田元首相の遺族も、広田元首相が靖国神社に合祀されたことに反対であると言っています。gooニュース A級戦犯、広田元首相の遺族「靖国合祀合意してない」


◇新宗連が「小泉首相の靖国参拝は憲法20条違反」

数多くの信徒を有する新宗連が、小泉首相ら閣僚の靖国神社参拝は「憲法20条の政教分離に反する」とする小泉首相あての意見書を自民党に提出しました。キリスト教系、仏教系、神道系を問わず、一つの宗教の信仰者であるならば、靖国神社に参拝するわけがありません。そして当然、そうした人たちは、靖国神社に祀られることを望みません。


◇戦没者慰霊を靖国神社に任せることに反対する国民は多い

このように、元兵士の中にも、戦没者遺族の中にも、信仰者の中にも、政党支持者の中にも、戦没者慰霊を靖国神社に任せることに反対する国民がいます。

個人、諸団体のほかに、政党の中では、公明党、社民党、共産党は反対であり、当然、日本国民のうちのそれら政党支持者は反対しています。自民党や民主党の支持者の間にも、反対者はいます。

A級戦犯の合祀に反対する者、そもそも戦没者の靖国合祀そのものに反対する者、首相はじめ公職者のの公式参拝に限って反対する者など、理由は千差万別といえども反対者は多い。

小泉首相は、当然、このような日本国民が多くいることを知っているでしょう。自国民の中に大きな反対を小泉首相は抱えています。

小泉首相はそれをないがしろにして、中国や韓国のみが反対しているかのように装い、国民の中の排外感情を刺激するばかりです。

これは小泉首相が靖国神社のアジテーターに過ぎないことを示しています。

このように浅はかな靖国アジテーションに追随して、中国や韓国に負けるなと声高に叫ぶなら、それこそ日本国民の恥であると私は考えます。

コメント

gooニュース 新宗連が首相の靖国参拝で意見書 政教分離に配慮求める

2006-08-14 22:04:17 | Weblog


gooニュース 2006年 8月 9日 (水) 20:57 asahi.comの記事を転載します。

立正佼成会やPL教団など69の宗教団体で構成する新日本宗教団体連合会(新宗連)は9日、小泉首相ら閣僚の靖国神社参拝は「憲法20条の政教分離に反する」とする小泉首相あての意見書を、自民党の谷津義男組織本部長に提出した。

 意見書では、麻生外相らが唱えている靖国神社の非宗教法人化についても、「宗教法人として存立する宗教施設のあり方について政府が干渉することは、厳に慎むべき行為」と批判している。



コメント

YAHOO!NEWS 靖国に合祀取り消し求め提訴=戦没者遺族「人格権侵害」-台湾の1人も・大阪地裁

2006-08-14 05:47:15 | Weblog


YAHOO!NEWS(時事通信)- 8月11日23時0分更新の記事を転載します。

 第二次世界大戦中、旧日本軍に従軍して死亡し「英霊」として靖国神社に合祀(ごうし)された戦没者の遺族9人が11日、同意なく親族を祭られて人格権を侵害されたとして、同神社を相手に合祀取り消しを、合祀に協力した国と同神社に連帯して遺族1人当たり100万円の慰謝料を、それぞれ求める訴えを大阪地裁に起こした。同神社を相手取った合祀取り消し請求訴訟は初めて。
 原告は島根県の僧侶菅原龍憲さん(66)ら60~70代の日本人遺族8人と台湾在住の楊元煌さん(51)。 
コメント

gooニュース A級戦犯、広田元首相の遺族 「靖国合祀合意してない」

2006-08-14 05:44:20 | Weblog


gooニュース 2006年 7月27日 (木) 19:41 asahi.comの記事転載です。


 東京裁判でA級戦犯として起訴、処刑された広田弘毅元首相が靖国神社に合祀(ごうし)されていることについて、孫の元会社役員、弘太郎氏(67)が朝日新聞の取材に応じ、「広田家として合祀に合意した覚えはないと考えている」と、元首相の靖国合祀に反対の立場であることを明らかにした。靖国神社は、遺族の合意を得ずに合祀をしている。

 弘太郎氏は広田元首相の長男、弘雄氏(故人)の長男。6人いた元首相の子は、全員他界している。

 A級戦犯が合祀された78年当時について、弘太郎氏は「合意した覚えはない。今も靖国神社に祖父が祀(まつ)られているとは考えていない」と話した。靖国に絡むこれらの思いは「広田家を代表する考え」としている。

 広田元首相は処刑された7人のA級戦犯のうち唯一の文官。外相当時に起きた37年12月からの南京大虐殺で、残虐行為を止めるよう閣議で主張しなかった「不作為の責任」などが問われた。一方で軍部の圧力を受けつつ終始戦争に反対していたとの評価もあり、オランダのレーリンク判事は「軍事的な侵略を提唱した日本国内の有力な一派に賛同しなかった」などとして、元首相の無罪を主張する意見書を出している。

 広田家の菩提(ぼだい)寺は故郷の福岡にあるが、遺族は元首相の遺髪を分けて鎌倉の寺に納め、参拝している。55年4月、旧厚生省は横浜で火葬されたA級戦犯7人の遺灰を各遺族に引き渡そうとしたが、広田家だけは受け取らなかった。弘太郎氏によると、戦犯遺族でつくる「白菊遺族会」にも参加しなかった。

 弘太郎氏は「靖国神社に行くことはあるが、国のために亡くなった戦没者を思い手を合わせている。祖父は軍人でもなければ、戦没者でもない。靖国神社と広田家とは関係ないものと考えている」と話した。

 靖国神社広報課は「広田弘毅命に限らず、当神社では御祭神合祀の際には、戦前戦後を通して、ご遺族に対して御連絡は致しますが、事前の合意はいただいておりません」としている。

 広田元首相の伝記小説「落日燃ゆ」の著者、城山三郎さんは「広田さんのご遺族の思いを聞いて、やっぱりそうか、との思いが深い。ご遺族の言葉に付け足す言葉はない。広田さんだったらどう思うか、どうしただろうか、熟慮したうえでの考えだと思う」と話している。


◎広田弘毅元首相 1878年生まれ。1933年9月に外相、2・26事件直後の36年3月に首相就任。再度外相に就いた直後の37年7月、日中戦争のきっかけとなった盧溝橋事件発生。外相当時に起きた37年12月からの南京大虐殺で、残虐行為を止めるよう閣議で主張しなかった「不作為の責任」などが問われた。一方で軍部の圧力を受けつつ終始戦争に反対していたとの評価もあり、オランダのレーリンク判事は「軍事的な侵略を提唱した日本国内の有力な一派に賛同しなかった」などとして、元首相の無罪を主張する意見書を出している。48年12月、東条英機元首相ら他の6人のA級戦犯とともに巣鴨拘置所で処刑された。広田元首相は処刑された7人のA級戦犯のうち唯一の文官。


◎合祀決定権は神社に

 靖国神社の合祀の審査は戦前、神社を所管する陸海軍省が行ったが、戦後は宗教法人となった神社に決定権が移り、旧厚生省や各都道府県に照会した戦死者らの資料に基づき判断した。審査の過程で遺族の合意を得ることはなく、過去には太平洋戦争で戦死した台湾先住民の遺族らが「無断で祀るのは民族の意思に反する」として合祀取り下げを求めたが、神社側は「神として祀った霊を分けることはできない」と断っている。
コメント

gooニュース BC級戦犯合祀、靖国が非公表を要望

2006-08-12 17:45:09 | Weblog


gooニュース 2006年8月10日(木) 06:09 asahi.comの記事を転載します。



 靖国神社が59年4月にBC級戦犯を初めて合祀(ごうし)する直前、旧厚生省に合祀を公表しないよう要望していたことが、朝日新聞が入手した同省の内部文書でわかった。

その19年後のA級戦犯合祀(78年)もひそかに行われており、戦犯に対する多様な社会の評価を背景に、神社側が戦犯合祀を秘密裏に進めようとしてきた実態が浮かび上がった。


 BC級戦犯は、連合国の戦争裁判で捕虜虐待など「通例の戦争犯罪」に問われた軍人や軍属。東京裁判(極東国際軍事裁判)で侵略戦争の計画・遂行などの「平和に対する罪」に問われた戦争指導者はA級戦犯という。

 この文書は引揚援護局復員課史料班長名の59年4月4日付「事務連絡七号」。BC級戦犯合祀について、靖国神社の要望を受けて班長が課長に意見を述べた内容で、「取扱注意」の判が押されている。靖国神社は同月半ばの春の例大祭でBC級戦犯353人の合祀に踏み切ったとされる。

 文書では、「(合祀が明らかになると)重大な誤解を生じ、将来の合祀にも支障を起こす恐れもあるという実情にある」とし、「靖国神社側は最も慎重な態度をとり、公表せずに世論とともに極めて自然に推移するよう希望している」と記述。

 さらに、「戦争犯罪者まで合祀された」などの誤解に基づく問い合わせがあった場合に、靖国神社創建の趣旨である「国事に倒れた者」として合祀されたということをよく理解して対応してほしいという、班長自身の意見が述べられていた。

 BC級戦犯をめぐっては、52年から衆参院で戦犯釈放を求める決議が度々出され、独立回復後の53年6月には日本弁護士連合会が「戦犯の放免勧告に関する意見書」を政府に提出。署名運動が全国に広がった。

 遺族補償の面でも、53年には軍人恩給が復活、戦傷病者戦没者遺族等援護法が改正された。戦犯の刑死や獄死も「公務死」として、戦犯遺族にも遺族年金や弔慰金が支給されるようになった。後にA級戦犯を含む戦犯合祀が正当化される根拠の一つとされる。

 その一方で、戦犯の遺族らでつくる「白菊会」が57年秋に神社側に合祀の申し入れをし、それをきっかけに賛否の議論が起こるなど戦犯合祀の評価は分かれていた。

 その後、靖国神社は78年10月17日、当時の松平永芳宮司の決断でA級戦犯14人を「昭和殉難者」として合祀。翌79年4月の新聞や通信社の報道で合祀の事実が表面化した。同月末には「神社新報」がA級戦犯合祀に触れた記事の中で、BC級戦犯の合祀についても「講和条約の発効後、漸次合祀して、既に昭和45(70)年に合祀を終えている」と明らかにした。

コメント