川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
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「地域新党」というより「橋下パトロン党」「河村パトロン党」「堀場パトロン党」

2011-02-28 11:40:27 | Weblog



帝政や王政が世界を支配していた長い長い時代に、王や貴族は芸術家を囲いこんで支援してきました。彼らはそれぞれの時代に、それぞれの領域で政治権力者であると同時に大資産家でありました。彼らのことをパトロンと言う。

現代のアメリカでは、自ら選んだ特定の政治家を強力に資金的後援する大資産家やその人が支配する企業グループのことを「パトロン」としているようです。

政治権力者であるか、大資産家であるか、その両方を兼ね備えているか、そういう人がパトロンになり得る人だということになります。

政治権力者をパトロンにしているのが地域新党です。「大阪維新の会」に鞍替えした議員やそこから立候補したいと思っている人は、橋下大阪府知事の人気や権力にすがって再選を果たしたい、初当選を果たしたいと願っていることでしょう。橋下人気こそ浮かび上がるチャンス! 私は、そう思っています。『橋下パトロン党』です。河村名古屋市長の「減税日本」に群がる人たちは、同様に『河村パトロン党』です。ボスである橋下さんや河村さんは大変な情熱をお持ちでしょうが、そこへ群がる人たちは信用できません。

京都党というのが京都市中心部の区から統一地方選に若い候補者を出すそうです。すでに議員である人もそのグループに一人います。結党メンバーには、最高顧問として堀場製作所のオーナー「堀場雅夫」さんが入っています。これはもう堀場財力と堀場人脈に支えられた『堀場パトロン党』と言えます。松下政経塾の亜流です。

松下幸之助さんの「松下政経塾」は、松下幸之助さんの人徳で評判がよかったのですが、これとて大資産家による生活丸抱えです。なにしろ宿舎を与えられ、給料をもらえたのです。『松下大パトロン党』です。特定の大資産家のお抱えになるという手っ取り早い方法で、功利的に政治家人生を手に入れようという人の心根を、私は信用できません。

若い有能な人が大志を抱いて政治の分野に乗り出すこと自体は歓迎するべきことでしょう。でも、その道を志す手始めに、強力なパトロンに頼るという手っ取り早く功利的な手段を選ぶ人を、私は信用しません。そうした京都党の政治業界志望ヤングたちを、私は信用できません。

これらパトロン党から地方選に出たいという新人たちの真の動機は、「社会的名誉」と「議員権力」を手に入れたいという立身出世願望であることでしょう。


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大相撲八百長は業界慣習か、革命的変革が必要です

2011-02-09 02:03:17 | Weblog


大相撲の八百長は、これまで何回となく噂になっていました。私は深く考えることもなく、賭け事が原因だと思いこんでいました。勝ち星の売買交渉だけなら、賭け事の疑いだけですみます。悪い奴はどこにでもいる、ということで終わるかもしれません。

しかし、ここしばらくのニュースで、勝ち星の貸し借りの状況を照会し、それに答えているありさまが明らかになっています。これは公共事業の建設談合で明らかにされてきた状況とそっくりです。公共事業の談合は建設業に限らず、ほかの業種分野でもあたりまえのように広がっていましたから、単に「談合」と言いましょう。

幹事役というか、仕切り役というか、そういう力士がいるということが「談合」の世界を思い起こさせます。「談合」には、第一に先発業者の既得権擁護の性格があり、第二に業界全体の秩序維持とそれによる互助的性格があります。したがって「談合」には業界慣習的な側面があります。

いろいろなことが明らかになり始めたばかりで、速断に過ぎるかもしれません。でも、私は「相撲業界の八百長は業界慣習的なものである」と直感しています。業界慣習的なものは相撲協会の仕組みそのものに根ざしていると言えます。

そうであるならば、犯人の摘発という姿勢では八百長をなくすことはできません。今の部屋制度や取組み(試合)方式を革命的なほどに変革しなければいけないと思います。それではどうすれば良いのでしょうか。プロ野球などの業界を参考にしてみましょう。

あらまし、次のような方策はどうでしょうか。
①取り組みの組み合わせ方式に新しいやり方を打ち出す。
②部屋制度を改革し、球団的な制度を参考にする。
③個人競技であるが、報酬の分配にチーム連帯制度を組み入れる。
④チーム連帯制度とは、会社における社員の報酬分配を想像すればよい。
⑤新人募集と新人育成は「相撲協会」の相撲学校入校とする。
⑥相撲学校卒業時に「部屋」または「チーム」に所属する。
⑦所属決めの方法は、プロ野球の方式に見習う。
⑧部屋を東チームと西チームに二大別する、その中でまたチームを分ける。

素人考えですが、ざっと上のようなことを考えたことでした。こうした大改革ができないのなら、相撲は自然に滅亡してしまうかもしれません。相撲ファンの私は、そんなことを想像したくありません。


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善きかな、大相撲の思い出

2011-02-04 09:39:54 | Weblog


昔々テレビが出初めたころ、プロレスが人気でした。私も見ました。小さいころの遥かな記憶です。プロレスは頭から突き落としたり、顔のどこかから血が出たり……。とにかく激しい。本気でやりあえば、かたわになったり、死んだりするだろうと、子ども心に思いました。だからプロレスはヤラセ、あるていどショーだと思って見ていました。それですぐに見飽きて、プロレスを見なくなりました

相撲は柏戸、大鵬が子ども仲間で大変な人気だった記憶があります。プロレスを見た記憶と相撲に見入った記憶と、年代に少し隔たりはあるかもしれません。記憶は定かでありませんが、いつの時期だったか確認するほどのこともないでしょう。

私は小学校時代にわけあって、大阪の祖母のもとで育ちました。小学校から社会見学で相撲を見に行ったことがあります。最後部の椅子席でした。印象が強かったのでしょう。最後部の方から土俵が小さく見えたことを、はっきりと覚えています。

大阪・西淀川堤防下に住んでいたそのころは、近所に小さな子どもが山盛りいました。子どもが集まって毎日いろんな遊びをしていましたが、その一つに相撲もありました。家の前の道はまだ舗装されていなかった。そこに輪を書いて、相撲をします。勝ち負けに騒ぎたてながら、二組に分かれて勝負をしました。

それは大きい道だった、と記憶していました。しかし、大人になってからそのあたりに行ってみますと、道幅4メートルくらいの小さい道でした。小学校低学年くらいまでの空間感覚と大きくなってからの空間感覚には、ずいぶん違いがあるものだと思いました。

10年ほど前までの仕事の実入りがまだよかったころには、数年間としごとに、大阪府立体育館の桟敷席で春場所を見ました。千代の富士全盛のころでした。接待をする側であったり、接待をされる側であったり、また家族連れのこともありました。間近に見る関取は大きく、皮膚に張りがあり、ぴかぴか光っていました。立ち上がりでぶつかると、バシッと大きな音が鳴り響いて迫力がありました。実物で見るのはえらく違うものだと思いました。

家族連れで見た或る年の春場所は千秋楽で優勝決定戦になり、場内は歓声に埋まりました。喜ぶ家族を見て、私も胸を張ったものです。どうや、お父さんも立派やろ……。




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