川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
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安倍首相が「人質見せしめ殺人」の引き金を引いた

2015-02-22 13:02:11 | Weblog

2015-02-06
戦争犠牲者の画像を見よう 戦争の酷さを知るために 平和の価値を知るために
2015-02-08
戦争犠牲者の画像を見よう 平和の価値を知るために 「憎むは人の業にあらず」
2019-08-17
満州事変1931年から敗戦1945年まで日本軍による斬首や銃剣刺殺は日常茶飯事でした


 安倍首相が「人質見せしめ殺人」の引き金を引いた
安倍政権の「積極的平和主義」というのは、リーダー国アメリカ傘下でアジアのリーダー国になろうとする政治のことです。国としての経済力で日本は中国に追い越されていますが、アジアのリーダー国としての地位は揺らぎません。

それなのに「積極的平和主義」の旗の下、新たにリーダー国になりたいというのは、みなさんご承知のように武力をつけ加えたいからです。自衛隊を日本周辺で、あるいはもっと遠くの海外で、広範囲に使いたいからです。

上の日本人2人の人質写真は、 News Corp Australia Network 2015.01.20.掲載のビデオ画面から採取しました。記事は次のように書かれています。

AN ONLINE video purports to show the Islamic State group threatening to kill two
Japanese hostages unless it is paid a $200 million ransom in 72 hours.
The video was released online this afternoon. Militant websites affiliated with the
Islamic State group posted it.
The video shows two hostages the militants identify as Kenji Goto Jogo and Haruna Yukawa. 
Japanese officials had no immediate comment on the video.This is the first time the Islamic State group has threatened the Japanese. 

 人質日本人2人が残虐イスラム国に殺されました。残虐イスラム国は日本または親密な関係国との交渉材料あるいは宣伝材料にしようとして、2人を拘束していたわけです。これまでの彼らの実績では、人質の結果は大金との交換か見せしめ殺人です。無事解放は期待できません。ですから今回の安倍首相中東訪問が無くとも、いずれは彼らにとっての好機をとらえて同じ事を起こすでしょう。

そういう事情があるにしても、今回の残虐イスラム国による「人質見せしめ殺人」が安倍首相の中東外交によって引き起こされたことは明らかです。問題になった今年1月17日エジプトでの安倍首相スピーチを見てみましょう。全文は官邸ホームページに掲載されています。

    ◇

イブラヒーム・マハラブ首相閣下、
日エジプト経済合同委員会の皆様、
ご列席の皆様、
アッサラーム・アレイクム・ジャミーアン(皆さん、こんにちは)

 ―略―。
  先の大戦後、日本は、自由と民主主義、人権と法の支配を重んじる国をつくり、ひたすら平和国家としての道を歩み、今日にいたります。いまや新たに「国際協調にもとづく積極的平和主義」の旗を掲げる日本は、培った経験、智慧、能力を、世界の平和と安定のため、進んで捧げる覚悟です。

 ―略―。
パレスチナでは、保健医療、水道整備や西岸とガザの難民支援など、民生安定に役立つ施策を明らかにします。

イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。 ―略―。

    ◇

「積極的平和主義」の反作用
「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです」。このスピーチが残虐イスラム国を敵視するものとして、彼らの口実に利用されました。残虐イスラム国、無法イスラム国の所業は論外です。残虐イスラム国に友好的であれというのは無茶で、あり得ない話です。

しかしそれにもかかわらず、安倍首相の「積極的平和主義」の反作用を示すものとして重要です。安倍首相愛用の「積極的平和主義」は、本質的には「平和」ということばを偽装看板にしています。安倍首相は1月の中東歴訪の際、民生安定の支援資金提供を約束してきました。これをもって安倍首相は、日本の新しい姿「積極的平和主義」を自慢して中東訪問を終えました。

日本の首相は従来から、他国訪問に際して民生安定の支援資金を約束してまいりました。日本の外交はそれしか方法がなかったとも言えます。何も安倍首相が積極的平和主義を特筆することではありません。では、どこが違うのか。使い方が違います。日本がアメリカ主導世界政治の指導的一員であると強調するために使うのです。「積極的平和主義」の反作用はこれからも起きるでしょう。残虐イスラム国の所業だからこれは別――と決めつけるわけにはいきません。

安倍首相が「日本人人質殺人」をネタに使う
1月15日、自衛隊が海外在留邦人を救出輸送する訓練をタイ国で行い、米国、タイ国も参加しました。これは海外で政変や治安悪化などが起きた場合に備えるもので、2013年1月のアルジェリア事件を受けた自衛隊法改正後初の海外訓練でした。

安倍首相はこれをさらに強化する方向で、自衛隊による海外在留邦人救出のための法整備を進める方針です。残虐イスラム国の日本人人質殺人は、前述のように、安倍首相のエジプトでのスピーチが引き金になりました。そのうえ安倍首相は、この人質殺人を自衛隊の展開条件や展開領域を拡大する足掛かりにしようとしています。

「積極的平和主義」は日本人の安全を脅かす
日米安保条約下の自衛隊による海外在留邦人救出作戦は、主として第2次朝鮮戦争を想定したものです。今の海外事情を考えれば、これに中東での在留邦人救出を想定した作戦が加わるでしょう。

しかし、海外での邦人救出が整然と行われるとは限りません。整然と行われるものなら、自衛隊の出動は不要でしょう。むしろ混乱した状況の中で行われるものと覚悟しなければなりません。自衛のために、自動小銃や短機関銃で現地国の人々を連射するような突発事態も起こり得ます。そんな環境下で、善意の現地住民と悪意あるテロリストとを区別している暇があるのでしょうか。善意の現地住民を連射してしまう危険性が多分にあります。善意の人々を連射して殺傷すれば、その国の人々を敵に回すことになるでしょう。

安倍首相がイメージしている「積極的平和主義」の実施は、世界のあちこちで日本人を敵視する人たちを増やしていくのではありませんか。それはまた、日本人の安全を脅かすことにつながりませんか。


          ----------------------------------------

<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(集団的自衛権ほか)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣の政治手法は民主主義化の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来夏参議院選挙で自民党に“No”を。


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戦争犠牲者の画像を見よう 平和の価値を知るために 「憎むは人の業にあらず」

2015-02-08 23:00:57 | Weblog
             長崎原爆翌日1945.8.10、自宅跡で母の遺体を背に立ち尽くす女性

2015-02-06
戦争犠牲者の画像を見よう 戦争の酷さを知るために 平和の価値を知るために
2015-02-22
安倍首相が「人質見せしめ殺人」の引き金を引いた
2019-08-17
満州事変1931年から敗戦1945年まで日本軍による斬首や銃剣刺殺は日常茶飯事でした


 きょう、ある立派な人のお話を聞きました。その人が3歳のとき、奈良に住むようになったきっかけです。昭和20年戦争中のことで、大阪大空襲で母親がその人をねんねこで背負って逃げ惑いました。住まいも失いました。父親は戦死しました。それが奈良県に住むようになったきっかけです。

 その人の母親は戦争後に必死に生きて子育てをしたことでしょう。その人も母親を助けて懸命に生き、学び、世間から尊敬を集める人になられました。しかしそれは、敗戦日本に平和がもたらされたからでしょう。戦争がつづいていたなら、また違う道に追い立てられていたかもしれません。

 中東の事情にうとかった私たちは、後藤健二さんのおかげで多くのことを知りました。戦争状態の下で生活している人々が、中東で何百万人もいることを知りました。「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」――小説のこの平凡な一節が、日本で平穏に暮らす私たちに迫ってきます。

 昭和の戦争時代に生きた日本人も、アジア・太平洋の広大な領域で住民に被害を与えて戦争加害者になりました。そして国家に徴兵された父や兄である日本兵も大量に死にました。国内でも無抵抗の日本人が米軍機の空襲によって大量に殺されました。シリアやイラクの紛争地域で暮らす人々や戦う人々の姿が、昭和戦争時代の日本人の生活に重なります。人ごととは思えません。

    ◇

 私が持っている「新版 死者が語る戦争」(河出書房新社 1995年初版)は戦争犠牲者の写真を集めた写真集です。写真に番号をつけて簡単な説明がついています。巻末には掲載写真ごとの出所一覧があります。目次は、日中戦争、太平洋戦争、アウシュヴィッツ、沖縄、空襲、広島・長崎、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連邦崩壊、アフリカ諸国、イ・イ戦争・湾岸戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナと並んでいます。写真番号と説明をピックアップして紹介しましょう。

<5> 写真提供者である大阪府大東市在住のB氏によれば、昭和6年(1931年)か7年、満州で入手とのこと。村人を全員集めて、親日派を使っての見せしめ処刑をたびたび見たという。B氏は昭和5年から20年まで中国大陸を転戦した軍人で、転戦地と年月は不詳。 (※:この写真の中央の膝立ちをした男性の首がなく、前に落ちています。その傍らで軍服を着た男が日本刀を振り下ろしています。その瞬間の写真でしょうか。ほかにも膝立ちしている男性が二人写っています。そのすぐ後ろに群衆がぎっしりと詰めあって見ています。)

<15><16><17> 後ろ手に縛られ、虐殺され、クリークに投げこまれた中国軍捕虜。 (※:17番写真だけでざっと30体ほど浅瀬に重なっています)。岸には黒こげの死体もある。「捕虜は足手まとい」が日本軍の常識だった。昭和12年9月~14年1月、第13師団の軍医として従軍した佐々木周一氏が昭和13年5月に蒙城で撮影。

<20> 火炎放射器で焼かれた日本兵。エニウェトク環礁、昭和19年(1944年)2月撮影。 (※:個人壕のような所から上半身を見せ、両腕を前に出して肘を地面で支え、顔はまっすぐに前方を見て鉄かぶとをかぶっています。そのままで黒こげになっている姿です。)

<21> 日本軍に虐殺されたシンガポール人。昭和17年(1942年)撮影。中学校歴史教科書で「虐殺2万人」が文部省指導で「6千人以上」に修正されたという報道が1983年にあった。 (※:掲載写真には6人の遺体が地面に並んでいて7人目が一部写っています。一人の日本兵が遺体を銃でつついているように見え、もう一人の日本兵は遺体が並んでいる方向に歩いています。)

<22> この写真は死んだ日本兵が持っていたもの。目隠しされた軍人は、軍服の特徴から、オーストラリア空軍兵と推測されている。撮影場所、年月不詳。 (※:一人の半ズボン半袖姿の白人兵が目隠しをされて、正座するように座っています。傍らで日本兵が日本刀を頭の上に振りかぶっています。その向こうに銃をかまえている日本兵や軍刀を腰にしている日本兵が見えます。彼ら日本兵の横列の後ろには現地人らしき観衆が重なっています。)

<29> 塹壕の中で全滅した日本兵。クェゼリン島、昭和19年(1944年)2月2日撮影。(※:折り重なって20体くらいあるように見えます。)

<34> 隣り合う日米両軍の戦死者。硫黄島、昭和19年(1944年)2月撮影。 (※:一人の日本兵が仰向けに倒れています。その向こうに日本兵の足の方に向けて体を並べてうつぶせになっている米兵。そのまた向こうに仰向けに倒れている米兵。3人が並んで死んでいます。)

<49> 首里城に散らばる日本兵の死体。昭和20年(1945年)4月29日。 (※:砲撃か何かで爆破されて壊れた遺体もあるように見えます。数体でしょうか。)

<52> 集団自殺のように見える非戦闘員。沖縄。撮影場所、年月不詳。 (※:写っている遺体は女性8体でしょうか。1体の頭に子ども一人が頭をつけて死んでいます。)

<55>~<65> 東京大空襲。2時間半の爆撃で8万5000人が焼死した。昭和20年3月10日、警視庁警務部写真室勤務・石川光陽氏撮影。(※:写真の遺体はどれも数多く並んでいます。黒焦げ人形のような遺体の写真もあります。)

最後に、イスラム国によるヨルダン軍中尉焼殺の動画です。中尉は檻の中に入れられています。火炎が檻いっぱいに燃え上がります。中尉はカメラに向いて立っています。そのうちに跳ねながら、くるりと体を回してカメラに背中を向けます。跳ねるのは、足の裏が熱いからでしょう。炎に包まれて、顔に両手を当てて立っています。熱さから顔を守っているのでしょう。その姿はもう黒く見えます。炎に包まれているので、照度不足から体が暗く写っているのかもしれません。そのうちにとうとう立っていられなくなり、両膝をつきます。檻の鉄棒を持つようにして体を支えようとしています。膝をついて顔が下に向き、両腕も下向きに下りています。アップで映し出されたその黒焦げの顔を、額あたりから鼻筋を伝った液が鼻頭からしたたり落ちます。吸う息のために肺はすでに焼けただれて息絶えているでしょう。前に両ひざをついた姿勢なのに、やがて体は後ろに傾き、両肘を曲げた腕を上にあげるようにして、後ろにどうっと倒れます。その瞬間にブルドーザーでコンクリートがれきを覆いかぶせます。惨劇に直面して乱れのない死に姿でした。

 私はこの動画を二つのサイトから採取保存しました。今は二つのサイト共に削除されて、見ることはできません。しかしありがたいことに、今の時代はネットで画像でも動画でもたいがいの見たいものを見ることができます。戦争犠牲者の姿を胸におさめて、戦争を招き寄せる人たちへの警戒心を高め、平和を希求するバネにしたいと思います。

 「憎むは人の業にあらず」。このことばが今、静かに広がっています。イスラム国の犠牲者・後藤健二さんの昨年2014年9月のツィッターです。後藤健二さんはこのことばをアラブの人から教わったと言っています。イラク、シリアの人々に平和が訪れる日を願ってやみません。


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戦争犠牲者の画像を見よう 戦争の酷さを知るために 平和の価値を知るために

2015-02-06 23:46:22 | Weblog

<お知らせ> ツィッターからの転載写真2点が「公序良俗」の規制に該当
       するとの通知がありましたので削除いたしました。申しわけ
       ございません。(かわもと2023.2.13.記)

2015-02-08
戦争犠牲者の画像を見よう 平和の価値を知るために 「憎むは人の業にあらず」
2015-02-22
安倍首相が「人質見せしめ殺人」の引き金を引いた
2019-08-17
満州事変1931年から敗戦1945年まで日本軍による斬首や銃剣刺殺は日常茶飯事でした


2015年2月3日、名古屋市の小学校5年生授業で「イスラム国」による日本人犠牲者の遺体画像など2点を見せたという報道がありました。毎日新聞は次のように伝えています。

     ◇

 名古屋市東区の市立山吹小学校で3日にあった5年生の社会科の授業で、担任の20代女性教諭が、過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)の人質となって殺害されたとみられる日本人の遺体の画像を児童に見せていたことが分かった。市教委は「教材として不適切で、申し訳ない」と謝罪した。

 市教委によると、教諭は3日午後、教室のテレビにパソコンを接続し、湯川遥菜さんとみられる遺体の画像と、後藤健二さんがISのメンバーとみられる黒服の男の前でひざまずいている画像の2枚を、約10秒ずつ見せた。画像はインターネット上で見つけ、修整などはしなかった。

     ◇

 幼児や小学生に見せるのが適切かどうか、今の私には判断がつきません。しかしながら、中学生以上の年齢になれば、戦争犠牲者やテロ犠牲者の画像は進んで見せるのが良いと思っています。

 平穏な日常生活を守っていくことは平和を守っていることにつながっています。ですから、平和を守るという偉大な事業に、奈良県の一隅に住む私も参加していることになります。

 しあわせな生活を願って仕事仲間や近所の人々や家族と共に暮らしている人々はみな、その暮らしの営みが平和を守る事業に参加していることになります。私たちは日々、平和を守り平和を作り出す生活を送っているわけです。

 人間は動物の一員です。生命の危機には恐怖を感じます。それなのに安全な社会に住み慣れて、現代日本人は生命の危機への想像力、恐怖を感じる心が衰えているのではないでしょうか。戦争の恐ろしさへの感覚が鈍っているのではないでしょうか。戦争をなんとしても避けようとする忍耐強さが、日本人総体に衰えているのではないでしょうか。

 多くの書店で「嫌中嫌韓」本のコーナーができているという現象、野蛮なヘイトスピーチデモがはびこる現象、憲法9条をないがしろにしようとする改憲派国会議員の増殖などに、日本人総体として戦争を何としても避けよう、遠ざけようとする力の衰えが見えます。

 ついでに付け加えておくならば、嫌中嫌韓の人やヘイトスピーチをする人の中に「売国奴」「反日」という厭なことばを投げる人がいますけれども、この人たちはなぜ、沖縄占領の長年月継続を米国にお願いした昭和天皇を売国奴と呼ばないのでしょうか。

 世界のあちこちで、戦争は今ある現実です。人間の歴史は戦争の歴史でもあります。人間は戦争をする動物です。

 戦争をすると決める指導者は、人々に強制して人殺しをさせる動物です。
 人間は自分の生命を守るために、人殺しをする動物です。
 人間は見せしめのために人殺しをする動物です。
 人を脅迫し恐れさせて支配するために、人殺しをする動物です。
 支配するために同種を殺す動物が、人間のほかにいるのでしょうか。

 生命の危機への想像力、生命の危機への恐怖、戦争の恐ろしさへの感覚――こういったものを磨くことは、平和を希求する力を鍛えます。

 戦争の現実を学ぶために、
 戦争の恐ろしさを学ぶために、
 英雄や勇者の物語に酔わないために、
 政治指導者の勇ましげなラウドスピーチに酔わないために、
 一部言論リーダーの歯切れいい決めつけ議論の宣伝隊にならないために、
 戦争犠牲者の遺体画像を見ることは大切なことではないでしょうか。

 死者を悼み死者を弔い、生者の平穏を願い、人間の尊厳に思いを馳せ、戦争をにくむために、戦争犠牲者の遺体を見るべきだと思います。

 それを残虐だとして見せないことは、戦争を容認する姿勢につながっています。それは、人々のそれぞれの国々で「いつも敵を作り出している」、現実主義者の指導者を喜ばせることになるでしょう。

 戦争の犠牲者の遺体には、
 腕や足がちぎれているものがあり、
 顔がつぶれているものがあります。

 私の母は1945年、米軍機の空襲から逃げ惑っているとき、
 頭から脳みそを垂らして逃げていく人を見たと言っていました。
 ほかに、ちぎれた自分の腕を持って逃げている人を見たとも聞きました。
 必死に逃げまどっているさなかのことで、その後のことはわかりません。

 母はまた、米軍戦闘機の機銃掃射に追われて走り逃げたとも言っていました。
 同じように母のすぐ後ろを走って逃げていた小学生の女の子は死んだ、とも聞きました。

 漫画家の水木しげるさんは片腕がありません。
 戦争中に南の島で片腕を失いました。
 戦争で腕や足を失って、
 後の人生を生き抜いていかなければならないことだってあります。

「イスラム国」による日本人人質の処刑殺人を見ました。背中から抱えこんで首にナイフを当てている写真を見ていると恐ろしさに震える思いがします。ナイフで首を切られて息絶えるまでの間の苦痛苦悩がいかばかりのものか、想像しようとするだけで動悸が高まって苦しくなります。

 人々を戦争に駆り立てる兆しに敏感になりましょう。
 戦争に近づく前触れになる世の中の動きに敏感になりましょう。

 国家指導者、民族指導者、宗教指導者、さまざまなグループリーダーのスピーチや談話の中に、敏感に危ない色合いを見つけて厳しく非難し続けましょう。危ない指導者・リーダーをその地位から退場させましょう。



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