川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
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憲法9条についてどう考えるか-自衛力整備も考慮に入れて

2005-07-06 12:40:46 | Weblog

◇ナショナリズムとリベラリズム
日本国憲法成立の過程は、一言でいえば、日本側ナショナリズムと連合国側リベラリズムとのせめぎ合いの過程でした。

◇民主主義の確立
連合国側はポツダム宣言で「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」と要求しました。それを日本国憲法に植え付けることに成功しました。

◇天皇制の温存
連合国側は昭和天皇を戦争犯罪人とせず、天皇制を温存して日本統治に利用することに、方針を転換しました。天皇制温存こそが、日本側にとって唯一譲れぬ最後の一線でした。日本国憲法第1章「天皇」は、日本側勝利の証明です。このゆえに吉田首相は満足を表明したのです。「新憲法は、種々難点があるが、現状では一応満足するほかない。」

◇天皇の不作為禁止規定なし-民主主義の制度的欠陥
憲法第6条、第7条の権能によって、天皇は三権の長や国務大臣を任命し、法令を公布し、国会を召集し、総選挙を公示したりします。天皇がこれを実行しなかったら、これらのことが法的効力を発効させることができず、日本国の機能が止まることを意味します。

日本国憲法は、天皇が積極的に政治的行為を行うことには言及しません。憲法において禁止せず、言及しないのです。そして、国事行為を拒否することによって、消極的に国を左右する権能を有しています。それらは、ただ、今上天皇の良識にゆだねられているにすぎません。

憲法の重要な部分が、「天皇個人の良識」にゆだねられています。これは法律的思考の常識に反します。当時の日本側支配層はそこを承知のうえで、天皇の不作為禁止規定を設けなかったと、私は想像します。

◇憲法9条への三つの態度
憲法9条は連合国側の意図を遙かに越えて、理想の高みに到達してしまいました。9条への態度には3つのタイプがあります。一つはリベラリズムで、この理想を守るべきだとするもの。二つは、リアリズムで、国際紛争絶えない現実に対応するため改正が必要だとするもの。三つはナショナリズムで、ソ連はケシカラン(もう消滅しましたが)、中国がケシカラン、北朝鮮がケシカランなどといつも威勢のいい改正派です。

◇憲法9条ナショナリズム改正派
このタイプの人は私の身近にもたくさんいます。ソ連がまだ強かったころ(そんな昔のことではありません)、「ソ連が攻めてきたらどうするんだ」といっていました。その時代、自衛隊は北海道に主力を置いていました。地元の青年会議所で、一度、ソ連脅威論の講演があって、それから彼らの間で「ソ連が攻めてきたらどうするか」という議論が流行しました。いつも、「軍備を強化する」という結論でした。このタイプの人たちは、おおむね靖国参拝擁護派と重なっています。

私の地元の青年会議所のメンバーは零細・小企業の跡継ぎや当主で、地元世論の形成に力を持っています。その彼らは居酒屋で議論をし、女性のいるスナックで楽しみます。ソ連に対抗せんとあかん、丸腰でやられるのん待ってるのか! 居酒屋・スナックの戦争論です。そのソ連もなくなって、今は敵役の役者が変わりました。敵役は北朝鮮と中国です。北朝鮮は何しよるやわからん! 中国に好き勝手なことはさせん! 勇ましい人たちはそういいます。

このタイプは議論が非常に情緒的であることです。戦後60年、どうして平和が守られてきたのか。これからもこの平和を守っていくためにどうすればいいのか。こうした視点からの議論がありません。こうした視点を持ち出すと、このタイプの人たちは興奮してまいります。自分たちは平和の恩恵にどっぷり浸りながら、「おまえ、やられっぱなしでええのか、家族が殺されるのん待ってるのか」という議論になっていきます。

◇憲法9条リアリズム派
実務派に多いタイプです。近隣諸国の兵員数、兵器の装備・種別・数量、部隊の配備、外国との同盟関係などを考慮して、「今のままでは困る」とテクノクラート的に考えます。

専守防衛では、相手から一撃を受けてからの反撃になります。現代の戦争では、最初の攻撃で航空戦力やミサイル戦力を徹底的に破壊しようとします。この点で専守防衛は不利ですが、自衛のためにこちらから先制攻撃をするということになれば、憲法9条の抹殺になります。

ミサイル攻撃からの防衛ということになれば、1分1秒を争って防衛行動に入らねばなりません。ソ連戦闘機函館強行着陸事件のときのように、自衛隊の防衛戦闘行動が憲法違反や法令違反になるようではどうにもなりません。

リアリズム派は、戦闘の実務的な観点から憲法9条の改正または憲法9条の下での法令整備を願っています。

◇憲法9条リベラリズム擁護派
これは日本が世界平和の先頭に立って、憲法9条を擁護しなければいけないと考えている人たちです。これには、理念だけでやっていけるのかという疑念がつきまといます。

◇憲法9条-私の結論

〇国民が新憲法成立を歓迎したということが大切です
日本国憲法は占領体制の圧力を受けて成立しました。しかしそれは国民に歓迎されたのです。外国に強制されたという成立事情を以て、「だから改正しなければならない」という議論は、「国民が歓迎した」という重要な事実を覆い隠すものです。

〇憲法には国民を幸せにしようとすることばが満ちあふれています
日本国憲法には基本的人権と民主主義の確立という理念が具現化されています。そして前文において「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて」と偏狭なナショナリズムをいましめています。

もし憲法が現実に合わないからという理由で改正するのなら、それはまちがっています。そもそもこの憲法は、日本社会の現実を民主主義的に建て直すために制定されました。国民もそれを歓迎しました。憲法に合わせて法令を整備し、法令に従って現実を変革することこそ正しい選択です。

憲法制定時に想定できなかった課題、たとえば地球環境と生存に関することなどを、憲法に加えることは考慮に値するでしょう。そして、憲法が現実に合わないから変えるのではなく、現実を憲法に合うよう変えていくのが国民の義務であり、政治家の使命であろうと考えます。憲法を読み返してみれば、国民の幸せを実現しようとすることばがそこに満ちあふれていることに、あらためて感銘を受けます。

〇憲法9条と平和3点セットを守りぬきます
憲法9条についてはそのままでよいと考えます。自衛隊のイラク派遣は明らかに「海外出兵」または「海外派兵」と表現されるべきもので、反対です。「平和」について日本が世界に誇れるものは、(1)憲法9条戦争放棄、(2)非核3原則、(3)武器輸出禁止の三つです。この平和3点セットを堂々と守っていきたいと思います。

〇自衛権と防衛出動のための法令整備を進めるのがよいと考えます
現在の日本では、憲法9条の下で自衛権が認められています。そのための自衛隊の存在も国民の間に定着しました。後は、万一の緊急事態への効果的防衛出動について、法令整備をすればよいと考えます。他国からの侵略や特殊部隊の国内攪乱に対する防衛出動の態勢は、当然整えておく必要があります。自国防衛の態勢は堅固である必要があります。

〇平和外交を愚直に推進しよう!
自衛隊のイラク派兵についていいますと、ロシア、中国、フランスは派兵していません。いずれも国連安保理常任理事国です。ここしばらくの日本外交は、盲目的にアメリカ一辺倒の外交をつづけています。日本はアメリカ合衆国の一つの州ではありません。

日本海にも東シナ海にも軍事的緊張があります。1983年1月、訪米した当時の中曽根首相は「日本列島を浮沈空母にする」といいました(小泉首相はその弟子筋に当たります)。その通り、沖縄には日本国外へ出撃している米海兵団がいます。横須賀は米海軍第7艦隊の母港です。首都圏には米第5空軍の基地もあります。日本列島は、もちろん自衛隊の母国です。そして、中国、韓国、北朝鮮も強大な軍事力を保持しています。

冷戦が消滅したとはいえ、東アジアの軍事的緊張という現実そのものは、敗戦以後変わりなくつづいてきました。今更のことではありません。こうした中で、日本は60年間、曲がりなりにも平和な国でありつづけてきました。平和であることはどれほどありがたいことか。武士道(本性は殺傷道)の国ではなく通商・文化の国として、世界の諸国に対して平和外交を愚直に推進することこそ、我が国の誇りではありませんか!


◇参照:「平和、憲法」関連記事
きょうは「沖縄慰霊の日」です
昭和天皇の政治的発言(6月1日朝日新聞記事転載)
小説家・目取真俊氏が靖国神社に思うこと
戦争体験聞き書き
「韓国国防白書1998」から抜き書き
ソ連戦闘機函館侵入、そのとき自衛隊は…
憲法につきまとう復古(ナショナリズム)勢力
占領政策の変化-非軍事化から再軍備へ
日本国憲法は国民に歓迎された
日本国憲法の誕生-資料集その1
日本国憲法の誕生-資料集その2
資料:日本国憲法条文(前文、第3章国民の権利及び義務)
資料:日本国憲法条文(第1章天皇、第2章戦争の放棄)


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