川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
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経済政策の地下室人脈―村上ファンド、宮内オリックス会長、福井日銀総裁

2006-06-29 17:49:02 | Weblog


福井氏専用の投資組合 村上ファンド問題
 オリックスまとめ役 匿名性狙いか

上は、きょう6月29日朝日新聞(大阪本社)朝刊13版1ページの記事見出しです。以下に記事抄録します。


日本銀行の福井俊彦総裁が、村上ファンドに1千万円を投資していた問題で、資金の受け皿となった投資事業組合は福井氏専用の形で、協同出資するオリックスが代表者となって業務全般を任されていたことが28日わかった。資金の小口化を図ると同時に、匿名性を高める狙いがあったとみられる。

関係者によると、福井氏の1千万円は、オリックスがまとめ役(業務執行組合)を務める村上ファンド内の「投資事業組合第36号」から、「統合投資事業組合」を経由し、「MACジャパンアクティブシェアホルダーファンド」へと投資されている。

このファンドは今年1~3月現在、阪神電気鉄道やTBS、スクウェア・エニックス、松坂屋の株式を購入していた。

今回のように、投資事業組合を複数かませる手法は、限定された投資家を対象とする私募ファンドでは幅広く行われ、匿名性をさらに高める効果がある。

◇◇◇◇◇

オリックスの会長は宮内義彦氏です。宮内氏は経団連の首脳役員で、評議員会副議長。現在、政府の「規制改革・民間開放推進会議」の議長です。

宮内氏は3年前、2003年(平成15年)12月22日に、政府の「総合規制改革会議」議長として、「規制改革の推進に関する第3次答申」を小泉首相に提出しました。

この提案の中で、〇高層住宅に関する抜本的な容積率の緩和、〇労災保険・雇用保険事業の民間開放、〇シンジケートローン等における担保権管理に関する制度整備、社債の担保の種類制限の撤廃、〇資本市場分野を横断的にカバーできる投資者保護法制の構築、〇紹介予定派遣以外の派遣における事前面接の解禁に向けた検討、などは「オリックス」の事業にも関係がありそうですね。

それに加えて、〇高速道路における自動二輪車二人乗り規制の見直し、が答申に入っています。

私は、30代にトレールバイクで山間地ツーリングを繰り返していた経験があります。高速道路を走ったこともあります。バイクは転倒する危険性が大きい。二人乗りはなおさら危険度が高い。高速道路の二人乗りなどもってのほかです。

高速道路バイク二人乗り解禁はすでに実行されています。これはシートベルト未装着とは比較にならぬほど事故死の危険性が高い。それなのに、大型バイクの売り上げを伸ばしたい業界の要請で実行しました。

このことが、宮内議長による答申であることを、今回勉強して初めて知りました。この話題について、2005.10.11.の川本ちょっとメモで警察行政を批判しています。この警察行政の根元には、警察庁より高いランクの政治的要請があり、政財癒着の結果の警察支配と知れました。


村上ファンド、福井日銀総裁、宮内「規制改革・民間開放推進会議」議長(オリックス会長・経団連評議員会副議長)という人脈の連なりから、日本国の経済政策の地下室に、いろいろと想像力をめぐらしてみてください。




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国家、自治体、地域共同体の役割は何ですか?

2006-06-28 09:45:23 | Weblog


私たちはなぜ群れているのか? ひとりでは生きていけないからです。

現代人は、生物として1匹での生存能力がありません。ほ乳類としては、どうも家族で行動するのが自然なようです。

人間としては、通常、孤独生活に耐えられません。私たちは誰もが、自分のことを肯定して理解してくれる人を求めています。ついには、人に喜んでもらえることをすることに、無上の喜びや幸せを感じるようになります。

良きにつけ悪しきにつけ、私たちはひとりでは生きていけません。

こういう人間の世界で、国家、自治体、地域共同体の役割は何でしょうか?

個々の人間が人生を終えるまで、最低限の経済的保障や社会的支援を行い、防犯・防災などの安全確保に努める。

端的に言えば、「××年××月××日生まれの〇〇さん」という生活歴のある個人の、幸せの外形的条件を整えることが、その役割です。使命です。

国家、自治体、地域共同体は、そのために何をいかにするべきか、を企画し実行するのが仕事です。

枝葉末節の知識やさまざまな数字を解説して、賢しげに、できないことの解説をすることは許されません。



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実力者の皆さまに月6万6千円で1年間実験生活をお願いします(生活保護費削減ニュースをめぐって)

2006-06-26 08:51:47 | Weblog


私たち庶民の心根には、うまくやっている人たちへの羨望があると同時に、嫉妬心も根深くあります。誰かが少しうまくやっているようだと嫉妬心から足を引っ張る傾向があります。またどこか弱みのある人を見つけ出して叩き、自尊心を満足させるという残酷で愚かな心も潜んでいます。

きのうの生活保護削減ニュースの中で、東京23区内の一人暮らし老人の生活保護金準額が月約8万1千円、同条件で国民年金満額6万6千円だから、生活保護費を減額して当然という議論がありました。

両者とも、憲法の生存権を否定するような底辺生活を強いられる水準です。

議論の方向が、まったく逆です。両者の比較で言えば、国民年金を生活保護の水準に引き上げるべきでしょう。ついでに乱暴なことを言えば、共済年金の水準まで引き上げるべきでしょう。

生活保護費受給者も年金受給者も、庶民同士です。庶民同士で、下が上を見て、「あいつの方が自分より受給額が多いのはぜいたくだ、引き下げろ」といったところで、何になろう。庶民仲間をひきずりおろして何になろう。

下が上を見て、「あいつと同じ金額まで引き上げてください」。上が下を見て、「あれじゃあかわいそう。こっちと同じ金額まで引き上げてやって」。これ、理想です。

仲良く力を合わせて大合唱を続けるのが、私たち庶民にとって最もプラス!

その際、年金制度や生活保護制度の仕組み、財政の解説など、聞いてもしかたありません。各種保険の個人負担額を増額したり、年金や生活保護を切り下げたりということなら、バカでもできます。私でも権限さえあればできます。

高齢者や障害者などのために、最低限の生活費用を保証していただくだけで良いのです。多くは望みません。政治家も行政当局も、それを工夫し悩んでいただきたい。

政治家、政策立案者、行政を実行する方々にひとつお願いがあります。生活保護基準額月約8万1千円、国民年金満額6万6千円のどちらかだけで、1年間、実験生活をしていただけませんか?


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生活保護費年500億円削減、また弱者殺しか!

2006-06-25 09:29:27 | Weblog


生活保護費、年500億円削減。政府の財政再建策の一環としての、厚生労働省の新しい方針です。医療、介護では国民負担率をすでに改悪したので、次は生活保護費を減らす方針だそうです。

私の持論です。病者、障害者、高齢者のように経済的に国家に貢献できない社会的弱者であっても、人間社会の中でなんとか生き延びて暮らしていけるだけの経済的保証を、国家がしなければいけない。

このことを私は絶対的な命題として、自分に課しています。

◇「不平等だから」という不当な議論

「一生懸命に働いて税金を納めている人と比べて、それは不平等だ」という、不当な議論があります。しかし、納税をしている人たちが、不平等で損な立場にあるというのは、まちがいです。

眠る暇も惜しんで勉学や労働に励んだ結果、また幸運や血筋のおかげなどの理由で、巷の庶民より多くの収入を取り込むことができたのです。その結果、自然に納税額が増えたのです。それが不平等で嫌なことならば、これまで自分の取り分としてきたものを、他の人の取り分に回せば良い。

経済的収益の源には、すべて人間の心身の労働が介在しています。総トータルのうち、より多く収入を得るということは、より少ない収入の人たちの働きの果実から何分かを取り込んでいることです。

◇「財政が厳しいから」という不当な議論

国であろうが何であろうが、元気な個人が税金を納めることによって運営されています。根本は「今ここに実際に生きて暮らしている個人」です。医療、介護、税負担を増やし、生活保護費を減らすということは、経済的に貢献できない社会的弱者の生存を保証できない国家であります。

私の老母は81歳です。気丈な母で、若いときから働いて二人の息子を育てました。1年半前に脳梗塞を起こし、今年はすでに2回、心不全で入院しました。脳梗塞で軽い痴呆症になりました。幸い身体障害はありません。2週間前に退院して、デイケアセンターのお世話になっております。医療保険と介護保険のお世話になっています。

近所に3人の子のうち、2人までが知的障害者という老夫婦がいます。月に17、8万円の年金暮らしです。そこから2人の施設暮らしの費用を拠出しています。どうして暮らしていけるのだろうと不思議に思うほどです。

国家は、こういう社会的弱者の助けを求める手をふりほどき、見放してどうするつもりでしょうか。野良猫や野良犬を保健所に集めて殺処分にするのと、論理的には同じことでしょう。

どのような人であれ、最低限生きていく費用をカットすることは許されません。「国家としてこの費用をどうして捻出するのか」。これを議論するべきでしょう。何としてもどこからか、そのお金をひねり出す必要があります。

財政的理由によって、生存支援費をカットしたり、生存必須費用の個人負担を増額することはしてはいけないことで、議論の対象にはなりません。


◇私たち庶民のナマの生活の視点で吟味しよう

耐震性偽造事件、ライブドアや村上ファンド事件、福井日銀総裁の村上ファンド投資、代表者が財界有力者であるオリックスのサラ金出資(有力銀行はもちろん出資・業務提携をしています)など、社会の経済界をリードする人たちのやることは余り信用できません。その国家財政や社会に対する提案や発言も信頼できません。

私たち庶民は、生きているナマの生活の視点から、いろいろなことを常に吟味し直すことを求められています。

私たちの考えはテレビや新聞雑誌で見聞きしたことに大きく影響を受けています。しかし、テレビでも新聞雑誌でも、発言をし評論をする人たちの多くは日常の生計費に苦しんではいないのです。





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「天皇陛下万歳」と言えと母は教えたが…… 沖縄慰霊の日に

2006-06-23 09:08:21 | Weblog


きょう6月23日は「沖縄慰霊の日」です。沖縄戦のことではありませんが、朝日新聞(大阪)朝刊の読者投稿欄「声」から、一つ転載致します。

◇◇◇◇◇

「天皇陛下万歳と言え」と母は教えたが、私は「戦犯だった」とつぶやいて死ぬだろう(大阪府・山田さん 男性78)

今年もまた敗戦記念日がめぐってくる。

私が海軍少年航空兵として15歳で鹿児島航空隊に入隊した時、大阪駅まで見送りに来た母は、動き出した汽車の窓越しに私の手を握りしめた。

「死ぬ時は『天皇陛下万歳』と言いなさい。靖国へ会いに行くからな」と言って涙をこぼした。

あれから60有余年。余命いくばくもなくなった今、再び過ちをくりかえさないためにも、ぜひ一言いわせて欲しい。

天皇陛下は神様だというばかげた国体護持の教育のせいで、沖縄地上戦の悲劇に加えて広島、長崎に原爆が投下されたのである。

今さら悔やんでも仕方がないが、天皇が神であったのなら、今少し早く国体護持を捨ててポツダム宣言を受諾し、終戦の詔勅を出して欲しかった。そうすれば、どれほど多くの人命が救われ、被害を免れたことか。

戦争の記憶は日に日に消え去っていく。あの戦争を生き延びてきた老人たちが生きている間に、国民を駆りたてた無謀な全素犯罪を総括してもらいたい。

私は、母に言われた「天皇陛下万歳」の代わりに、「天皇はやはり戦犯だった」とつぶやいて死ぬだろう。









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メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)

2006-06-19 23:22:56 | Weblog


メタボリックシンドロームという新語が出ました。おまけにカタカナ語のうしろに(内臓脂肪症候群)と続いてワンセットで表記されています。

メタボリックというだけでは何のことかさっぱりわからない。続く、内臓脂肪という言葉を見ると、なんとなく想像がつく。内臓に脂肪がつくほど太り過ぎて、お呼びがかかる病気のことだ。

内臓脂肪とくれば、一目でなんとなくわかった気になるほど理解が早い。それなら、一目ではさっぱり見当が付かないメタボリックという言葉をなんで使うの?

私が見たニュースは全部、メタボリックを使っていた。マスコミ人の日本語力はそこまで衰えたのか? メタボリックの方が知的で良いと考え違いするほど、日本語力は衰えているのでしょうか。

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ハードカバー製本はきらいです

2006-06-13 02:42:47 | Weblog


製本スタイルに、ハードカバーとソフトカバーの違いがあります。ハードカバーはきらいです。三つの理由があります。

第一に読書をするに不便です。読書をする時は、出先の待ち時間や乗車時間です。家にいる時は茶の間で座って読んだり、寝転がって読むことが多いのです。机に向かって読書をすることが、まずありません。要するにチョイ読書です。

資料調べや広範な読書が、仕事上の重要な要素であったり、能力の基礎ベース構築に必要な方がいます。そういう職業を除く大方の人は、私のような「チョイ読書派」ではないでしょうか。

ハードカバー本は重く、ハードカバー自体が曲がらないこともあって、片手で読むのには向きません。カバンに入れておくにもかさが高い。選書、新書、文庫などのソフトカバー本が、何につけても便利です。地球環境のための省エネ観点からも、オススメと言えます。

第二に、一般にハードカバー本の方が値が高い。製本コストをかけて、立派に見せかけて、売価を少し高くして、売り上げを稼ごうというのでしょうか。出版商業上の理由で、消費者(読者)が不便を忍ぶことになるのでしょうか。

第三に、権威ぶったニオイがします。著者や編集者その他の出版関係者がその本を企画するにあたって、著者または本の内容の格式を判断して、ハードカバーを採用している感があります。

これは、見栄です。著者や本の内容へのお飾りにしかすぎません。高額のスーツやワンピースを着ている彼・彼女が、廉価品のそれを着ている彼・彼女より立派な人格であるとは言えません。身にまとっているもので、人間の格が決まるわけではありません。

学術書、全集本や辞書・事典類など、長年月の保存が必要とされるものは、また別の話です。

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