川本ちょっとメモ

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<昭和天皇> 「戦争責任をいわれる」と苦にしていた 臣民を不幸・窮状に追いこんでしまった自責懺悔の念は見当たらず

2018-08-27 06:49:13 | Weblog
2017/05/15
<資料文書掲載> 昭和天皇1947年9月 マッカーサー元帥に提案、「沖縄・琉球諸島」を米国の軍事占領とし 25年~50年以上の米国租借地に
2015/01/26
沖縄米軍基地――1968年佐藤首相沖縄訪問演説と1947年昭和天皇沖縄メッセージ
2005/06/25
昭和天皇の政治的発言(6月1日朝日新聞記事転載)



1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇逝去。

天皇といえば必ず陛下という尊称を付するのが常識ですが、わたしは考えあって個人的には、陛下という尊称を使いません。また天皇が亡くなることを崩御といいますが、天皇だけの特別のことばも使わないことにしているので、逝去と書きます。

2018年(平成30年)8月23日、共同通信配信で昭和天皇付き小林忍侍従の日記が全国に伝えられました。

それは……

1987年(昭和62年)4月7日 (逝去2年前)
仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる。これに対し、戦争責任は一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。気になさることはない。国のため国民のために、今の状態を少しでも長くお続けいただきたい旨申し上げた。

……というものでした。

1975(昭和50年)年5月13日には、「戦前も平和を念願しての外交だった」とも、小林侍従に吐露しています。

昭和天皇のこうした言行が大きく報じられるのは、既刊の正史決定版である「昭和天皇実録(宮内庁編修)」全60巻にも収められていない事実があるということを示しています。

「戦争責任のことをいわれる」と、昭和天皇が苦悩の一端をもらしていたことについては、そのことへの不満があるということでしょうし、「戦前も平和を念願しての外交だった」と言っていることもそういう気持ちでしょう。

昭和天皇の戦争責任については、「昭和天皇に戦争責任はない」とこりもせずに言い募る人たちがいます。

昭和天皇に戦争責任はないと言い張る人たちは、強硬な陸軍を中心とする戦争継続派を海軍や内閣が説得できず、日本の行方が定まらなかった。そこを昭和天皇の御聖断をもって降伏し、日本に平和をもたらしたと言います。昭和天皇が降伏の決断を軍部・内閣に示して、降伏、すなわち平和をもたらしたのはその通りです。

しかし、昭和天皇を擁護する人たちはその一方で、昭和天皇はアメリカと戦争をしたくなかったのに、東条首相や軍部がアメリカと開戦した。明治憲法は立憲君主制なので、天皇には開戦決定をする権限がないという。

こんなつじつまの合わないことを平気でいいます。天皇の決断で戦争を終わらせることができたのなら、天皇の同意なしに戦争を始めることはできないはず。

昭和天皇が戦争について決定権を持っていたことについて、いろいろな研究調査結果が本になっています。この戦争決定に係るため、宮内庁編修の正史「昭和天皇実録」に記載されなかった会議のことも明らかになっています。

わたしは満州事変(1931.昭6.9.18.)、満州国建国(1932.昭7.3.1.)に始まる中国領土内、さらにはアジア全域・太平洋上の諸島での日本軍の加害責任と昭和天皇や軍の独断専行行為に関する戦争責任を明らかにし、これを歴史の事実として日本人全体が常に反省していくことが大切なことだと考えています。

人間は悪いことも良いこともします。とりわけ国のリーダーたちやそのお先棒をかつぐ人たちが「国のために」なんて言い出すと、ひとりひとりの民人たみびとが苦労を背負わされます。

そういったことが再びないように、わたしたちが再び先人の轍を踏んで他国民に対して加害者となることのないよう、昭和天皇や軍の独断専行を厳しく究明し、戦争加害や戦争責任を明らかにしなければいけません。

また外地での日本軍は補給が貧弱でしたから、出軍先の国々や地域の住民にとんでもない迷惑をかけています。強制労役や食糧の強制徴収や傷つけたり殺したり。日本軍さえ来なければあるはずもなかった災厄を、アジアや太平洋上の諸島の人々に与えました。

昭和戦前の戦争責任を厳しく明らかにする目的は、その血を引くわたしたち子孫が先人の失敗と罪に学んで、同じ失敗と罪をくりかえさないためです。昭和20年敗戦から70年余を過ぎて、いまさら昭和天皇や当時の政治指導者や軍部指導者を憎むのでもなく、罪をかぶせて留飲を下げるのでもありません。ひたすらわれら父祖の先人に学び、先人の轍を踏まないよう毎日を歩んでいきたいがためであります。

昭和天皇は生まれついての帝王でしたから、民草は朕(我)あってこその民草であり、朕(我)なくして民草はなかったのでしょう。そうした心情から脱却することはできなかったと思われます。

晩年に至るまで「戦争責任といわれる」ことに悩んでいても、それは日本国民や外国政府や国民から自分が正当に評価されていないという不満でありましょう。

今回の元侍従日記から明かされた昭和天皇の心には、臣民を不幸・窮状のどん底に追いこんでしまった懺悔自責の念は見当たりません。昭和20年敗戦まで毎日毎日、少国民(児童生徒)に奉読させた教育勅語では「爾臣民なんじしんみん」と呼びかけているのですが……。こういうことであれば、古事記にある黄泉よみの国にあっても「戦争責任をいわれる」という悩みはつづいているでしょう。

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思い出そう衆議院本会議「戦争決別宣言」2000.H12.5.30. 沖縄サミットの2カ月前でした

2018-08-17 17:03:55 | Weblog

2000年(平成12年)7月21日から23日、沖縄県名護市で主要国首脳会議が行われました。開催国日本では、札幌、千葉、横浜、大阪、広島、福岡、宮崎、沖縄が開催地として立候補していましたが、時の小渕恵三首相は沖縄を選びました。

「沖縄」であることだけでも全国で歓迎されたのですが、歌姫・安室奈美恵さんが沖縄サミットのイメージソング「Never End」を日航那覇グランドキャッスルで歌ったことで、多くの人の記憶に残っています。

残念なことに、サミット開催地に沖縄を選んだ小渕恵三首相は4月脳梗塞に倒れ、5月に亡くなりました。7月に主要国首脳夫妻とともに「Never End」を聞いたのは後任の森喜朗首相でした。

今は、イージスアショアが話題になる軍拡「安倍晋三時代」6年目。安室奈美恵さんの歌を聴いて18年前をなつかしみつつ、沖縄サミットを迎えての衆議院「戦争決別宣言」を読みました。「安倍晋三時代」は一刻も早く終わってほしい。

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(衆議院会議録)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/147/0001/14705300001038a.html



第147回国会 本会議 第38号
平成十二年五月三十日(火曜日)


   衆議院本会議「戦争決別宣言」決議


○野田聖子君(自民党)
 議事日程追加の緊急動議を提出いたします。
 池田行彦君外五名提出、戦争決別宣言決議案は、提出者の要求のとおり、委員会の審査を省略してこれを上程し、その審議を進められることを望みます。

○議長(伊藤宗一郎君)
 野田聖子君の動議に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

○議長(伊藤宗一郎君) 起立多数。よって、日程第一に先立ち追加されました。

□戦争決別宣言決議案(池田行彦君外五名提出)

○議長(伊藤宗一郎君)
 戦争決別宣言決議案を議題といたします。
 提出者の趣旨弁明を許します。池田行彦君。

    ―――――――――――――
 戦争決別宣言決議案
    〔本号末尾に掲載〕
    ―――――――――――――

    〔池田行彦君登壇〕

○池田行彦君
 私は、自由民主党、公明党・改革クラブ及び保守党を代表いたしまして、ただいま議題となりました戦争決別宣言決議案につきまして、提案の趣旨を御説明申し上げます。

 まず、案文を朗読いたします。


        戦争決別宣言決議案

  二十世紀を顧みると、人類は二度の大戦はじめ多くの戦争により言語に
 絶する惨禍を被り、冷戦終結後十年を経た今日にあっても続発する武力衝
 突や核、ミサイル等の大量破壊兵器の開発、拡散が憂慮されている。

  今、二十一世紀を迎えるに当たり、日本はじめ各国は、過去の戦争の傷
 跡や新たな武力の脅威に対し、人類の最大の願いである国際平和の実現へ
 の決意を新たにし、戦争の惨害から将来の世代を救わねばならない。

  「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を踏まえ、唯一の被爆
 体験を持つわが国は、日本国憲法に掲げる恒久平和の理念の下、歴史の教
 訓に学び、国際平和への貢献に最大限努力するとともに、九州・沖縄サミ
 ットを契機に、日本はじめ各国が国家間の対立や紛争を平和的な手段によ
 って解決し、戦争を絶対に引き起こさないよう誓い合うことについて、世
 界に向け強く訴えるものである。

  右決議する。
 以上であります。

 さきの大戦で唯一の地上戦を経験し、多数の県民のとうとい命が犠牲になり、筆舌に尽くしがたい苦難を経験した沖縄においてサミット首脳会合が開催されるに当たり、我が国が戦争を絶対に引き起こさないよう誓い合うことを世界に向け強く訴えることは、大変意義深いことと存じます。

 何とぞ議員各位の御賛同をお願い申し上げます。(拍手)

○議長(伊藤宗一郎君)
 採決いたします。
 本案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

○議長(伊藤宗一郎君)
 起立多数。よって、本案は可決いたしました。(拍手)

 この際、内閣総理大臣から発言を求められております。これを許します。内閣総理大臣森喜朗君。

    〔内閣総理大臣森喜朗君登壇〕

○内閣総理大臣(森喜朗君)
 ただいま採択されました御決議について所信を申し述べます。

 我が国は、過去の歴史に対する深い反省に立って、日本国憲法のもと、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念を戦後一貫して堅持してまいりました。

 政府としては、御決議を重く受けとめ、二十世紀の国際社会が経験した二度にわたる世界大戦などの悲惨な経験を踏まえて、平和で安定した二十一世紀を建設すべく、積極的に努力をしてまいりたいと考えます。(拍手)


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