川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

未熟な熟年に若者があきれる

2006-05-31 19:54:56 | Weblog


一昨日のこと、大学4年生の娘が帰宅して言いました。

「きょう、電車ん中で年いったおばちゃんに、お腹たるんでるやん、ゆうて憎たらしそうに言われた。どう思う、お父さん。失礼やと思わへん?」

娘は丈の短いTシャツを着ておりました。仲間の女の子何人かと連れだっていて、みんな揃って同じように、背中の腰あたりやお腹がチョロッと見えたり見えなかったりする出で立ちでした。どうも、その肌が見え隠れすることが気に入らなかったようだと娘が言います。

それにしても見ず知らずの人間に憎まれ口を言うなんて、大人のすることかと娘が憤慨していました。


きょう、さきほどのこと。日暮れ時、大学2年生の息子が帰ってきて言いました。

「お父さん、きょう道を歩いてたら、前から来た年いったおっさんに、まっすぐ歩いて来たらぶつかるやないか、ゆうて怒られた。自分がえらい勢いでまっすぐ突っ切ってきといて、怒んねんで」

娘の話の年いったおばちゃんにしても、息子の年いったおっさんにしても、苛立っていて怒りっぽいようです。

どうも、私と同様の年配の立派な年ごろの大人が、未熟なようです。青年に軽蔑されるようではどうにもなりません。近ごろの若者はというのは昔話のようで、近ごろの大人はと若者があきれる時代なんです。
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学生時代の記憶(1) ふうん、これが大学なんや

2006-05-29 10:47:46 | Weblog


昔々、大学1年生のときのお話です。教養科目としての哲学の第1回目の講義のことです。先生が、教壇の机をつかむようにして言いました。

「皆さんは、これが机だと思っているでしょう。しかし、これは本当に机だろうか? 机だと思い込んでいるだけではないのか? 机のように見えているだけではないのか? ……こんなことを考えるのが哲学なんです」

誰が見たって、講義用の机だ。それを疑ってみる。ふうん、これが大学なんや。高校の勉強とは違う。とても新鮮で印象深く、何十年たった今でも覚えているわけです。

もう一つ、末川博総長のお話。軍国主義に抵抗して京大法学部の教職を追放されたということで、当時既に、伝説的な彩りのある先生でした。関関同立の法学部を選ぶ上で、末川総長がいるからという理由で立命館を選んだ学生がたくさんおりました。私もその一人です。

末川総長は小柄な先生でしたが、講話はゆったりとした大きな声で迫力があった。講話で学生に語りかけるとき、「皆さんは」と呼びかけるのでなく、常に「諸君は」「諸君らは」と語りかけました。末川総長が「きょうから紳士として扱う」と話されたことを覚えているから、たぶん入学式のことだったと思います。そして話の語尾が「……しています」ではなく、「……しておる」でした。

「諸君は」「……と考えておる」というような言葉使いに感動したものです。高校の先生とは違う。ふうん、これが大学なんや。
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「愛国心」を論ずる前に戦争責任の所在の検証・公表を求める(元兵士)

2006-05-23 10:54:39 | Weblog


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2006年5月23日朝日新聞(大阪)投稿欄「声」から、そのまま転記しました。

■投稿者:無職 西 節也 (奈良県河合町 86歳)

陸軍の兵士だった。ニューギニアでマラリアにかかり、昭和19年(*1944年)1月、フィリピンへ。軍の病院で療養後、復帰して第8師団の大隊に配属された。

マニラ攻防戦で米軍の猛攻に旧式装備の我々の部隊は対抗できず、昭和20年(*1945年)5月以降、次第にマニラ東部山岳地帯に逃れた。食糧の補給はなく、兵は栄養失調とマラリアで相次いで倒れた。

部隊の退路には遺体が散乱して死臭を放ち、生き地獄の様相を呈して凄惨を極めた。敗走中、私は米軍の自動小銃で右腕に貫通銃創を受けた。幸い助かったが多くの戦友を失った。

「聖戦」の美名で軍は若者を侵略戦に投入した。太平洋戦争で軍人の戦死者は230万人といわれる。

私が派遣されたニューギニアやフィリピン・ルソン島では、実感としてそのうち餓死者は8割を超える。

米英の実力を侮り、大軍を前線に派遣しては見捨て、飢餓で自滅させた東条以下軍首脳の無能極まる作戦の結果だ。

苦闘を強いられた我々はもちろん、今も遺骨が放置されている多くの戦没者やご遺族の憤懣を思う。

「愛国心」を論ずる前に、この戦争責任の所在をうやむやにせず正しく検証し、公表して欲しい。






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5/2 徳島新聞社説:小泉政権5年、格差が置き土産では困る

2006-05-11 17:46:20 | Weblog


Yahoo紹介ネット記事の転載です。

3.のことは私は知りませんでした。国・地方の長期債務残高が、小泉首相在任5年間で19%も増えています。首相のかっこよさが際だつだけに、うまくごまかされていた気がします。

4.のことは大方の国民が実感している通りです。「派遣労働の規制緩和」は雇ってもらう側の人間には、とんでもない悪法でした。昨今の景気は非常にいいとのことです。しかし私の生活感覚では、雇ってもらいたい人々や雇われている人々の中では、その恩恵に浴せない人々が多数派であろうと思っています。


5/2 徳島新聞社説:小泉政権5年、格差が置き土産では困る


1.小泉政権は「聖域なき構造改革」を掲げて二〇〇一年四月に登場した。道路公団の民営化や三位一体改革に着手し、昨年は「改革の本丸」とする郵政民営化に取り組んだ。

2.首相自身が強調するように、金融機関の不良債権処理を進める一方、さまざまな規制緩和を実施することで経済を長期低迷から回復させた。 上場企業がバブル期を上回る業績を上げ、四期連続で最高益を更新しようとしている点では評価されている。

3.歳出削減の一方で、国と地方の長期債務残高は七百七十兆円となり、就任前より百二十四兆円膨らんだ。一般会計歳入の四割を国債発行に頼るなど、財政構造のゆがみは深刻さを増している。

4.この間、法人税の切り下げや派遣労働の規制緩和で企業に手厚い政策を講ずる一方、定率減税廃止や年金制度改革など家計に厳しい負担増を求めた。これらは格差の拡大を招き、特に若年層でそれが著しいことが、影を一層濃くしている。

5.中央と地方との格差も大きい。徳島県では、〇二年度に七千百十世帯、2・43%だった生活保護世帯が年々増加し、今年二月には八千三百六十二世帯、2・79%になった。全国を上回る水準で推移している。
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