川本ちょっとメモ

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元自民党幹事長 古賀誠氏の「憲法九条」守ろう語録

2024-05-13 17:11:28 | Weblog



  

日本国憲法前文(前段の一部から抜粋)
日本国民は、 
…略…  われらとわれらの子孫のために、 …略…  政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意しここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する。 …以下 略… 
    



    自民党元幹事長  古賀  誠 氏の「憲法九条」守ろう語録
 

 あの大東亜戦争(※1) に対する国民の反省と平和への決意を込めて、憲法九条つくられています。憲法九条一項、二項によって、日本の国は戦争を放棄する、再び戦争を行わないと、世界の国々へ平和を発信しているのです。これこそ世界遺産だと私は言っているのです。
  ※1. 大東亜戦争 … 1941.12.8.真珠湾攻撃後に、日中戦争・日米太平洋戦争を併せて
          「大東亜戦争」と呼ぶよう当時の政府が決めた。


 戦後七四年(※2)、わが国は一度として、まだ他国との戦火を交えたことはありえません。平和の国として不戦を貫くことができています。これは憲法九条の力であり、だからこそ憲法九条は世界遺産なのです。これはどんなことがあっても次の世代につないでいかねばならない、われわれの世代だけのものであってはいけないと思っています。   
 ※2. 古賀氏の本稿執筆は2019年、昭和敗戦は1945年。


 あの大東亜戦争で、多くの人が無念の思いで命をなくし、その結果として、子どものために人生のすべての幸せを捨てた戦争未亡人はじめ多くの戦争遺族の血と汗と涙が流されました。その血と汗と涙が流されました。そう簡単に、この憲法九条を改正する議論をやってもらっては困るし、やるべきではないと思うのです。


 私の母親もそうですが、戦争で未亡人になった人が全国に何百万人といて、幼い子どもを抱えて苦労しておられた。そういう人たちが報われるような国にする道は何かといったら、平和憲法を守って戦争をしない国であり続けることが一番大事ではないですか。だからそのために私は国会に出てきたのです。

 (注)わが国沖縄全住民をまきこんで多大な犠牲者を生んだこと、日本内地で原爆、東
  京はじめ大都市空襲の多大な犠牲者、千島樺太・満洲・朝鮮半島・中国・東南アジア
  ・太平洋諸島で現地住民や日本居留民を戦争にまきこみ、多大な犠牲を強いたことも
  肝に銘じて、戦争犠牲者の列に加えておかねばなりません。


 憲法九条を私は守り抜くのだ、それを貫くのが私の使命だ、それが政治家として一番大事な志だとして、私は国会に来たわけです。だから選挙の度にずっと同じことを言ってきました。


 私はこれまでも、自衛隊が戦争することにつながるものには、すべて反対してきました。九〇年代 (※1990年代) に成立したPKO法(※3)は、人道支援に限ったものだし、また戦争地域でないところに限って出すのだということでしたが、それでも私は採決にあたって本会議を退席しました。  
 (※3)PKO法 … 国際連合平和維持活動(PKO)に対する協力に関する法律。1992年成
           立。これによって、昭和敗戦後初の自衛隊海外派遣が実現した。


 野中広務先生も言っておられましたけれども、やはり針の穴であっても一つ開いたら、ゆくゆくはおかしいところにいってしまうのです。
 後藤田正晴先生もおっしゃっていたように、戦争にかかわる風穴は小さな穴でもあけたらどんでもないことになってしまう危険性があるのです。

 案の定、PKO法が成立して約二〇年が経ち、次にはイラクに自衛隊を出すための新しい法案が国会に出されました。その国会での小泉純一郎さんの答弁を聞くと、自衛隊が派遣されているところは戦闘地域じゃないのだなんてバカげたことを言っていた。そして現在にいたっている。

 
 いくら歯止めをかけたつもりでも、一つ穴が空くと、運用が広がっていくのです。それが怖いから私はちゃんと反対をしたのです。

 
 自民党というのは憲法改正を党是としているのですが、─中略─ けれども憲法九条については一切改正してはダメだというのが私の政治活動の原点です。ここは曲げられません。九条一項、二項だけは一字一句変えないというのが、私の政治家としての信念であり、理念であり、哲学なんです。

 一九八七年、イラン・イラク戦争の余波でペルシャ湾に機雷がばらまかれ、船の航行が危険になったとき、アメリカから掃海艇を出せという要求があったのです。中曽根康弘首相はそれに応えようとしたのだけれど、官房長官だった後藤田さんは辞職願を懐に入れて、「国民にその覚悟ができていない」「できていないのに、総理がそんなことをやっちゃだめだ」と直談判したのです。それで中曽根さんも引っ込めざるを得なかった。

 憲法にも違反するのではないかと思われるのは、集団的自衛権の解釈変更の問題です。

 集団的自衛権の行使は憲法違反だ、日本は専守防衛でやっていくのだというのが、戦後の内閣がずっと維持し、国民も支持してきたことなのに、閣議だけでこの見直しを決めてしまった。


 日本の安全にとっても極めて危険なことだと思います。

(※集団的自衛権の解釈変更によって)専守防衛を乗り越えて、戦争ができる方向に進んでしまったのです。

 その上で憲法改正をやられたら、戦争をしないという九条によって宣言した誓いはどうなってしまうのか。 


(※憲法九条の)一項、二項とも残して自衛隊のことを書くと言いますが、少しでも憲法九条改正につながるようなことは針の穴程度でもやってはダメなのです。それが、九条一項、二項を守るということにつながると思うのです。



現行日本国憲法

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権
 の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する
 手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
 国の交戦権は、これを認めない。


 〇〇 自民党の憲法九条改正案について

(1) 自民党改正案で、自衛隊に替えて「国防軍」ということばが出てきます。
  自衛権行使という点では自衛隊の呼び名を国防軍に替える必要はありません。

(2) 九条の二1項の「総理大臣が最高司令官」というのは今の自衛隊でも同じ。
 
(3) 九条の三は、領土領海領空の保全で、これは今の海上保安庁や自衛隊もやって
  いる。わざわざ国防軍に衣替えさせる意義は無い。

(4)  九条の二2項3項の「法律の定めるところにより」は危ない、危ない。
  改憲後に姿を現す新法にはたいへん重要な役割が待っています。新法は複数本
  数になるでしょう。

   新法には、米国はもちろんのこと、そのほかの諸国との共同軍事活動の拡大、
  軍事活動の自由度を最大限に広げる役割が与えられるでしょう。兵器等の軍需
  品調達拡大の役割もあり、防諜関係ほかの新法なども考えられます。

   新法との整合性を調整する観点からは、波及的に既存の防衛関連法の改正もあ
  り得るでしょう。

   古賀誠氏は元自由民主党幹事長で宏池会という派閥の領袖であっただけに、
  自民党の手筋を明白に見通せるのだと思います。それだけ危機感が強い。

    古賀誠「けれども憲法九条については一切改正してはダメだというのが私の政
    治活動の原点です。ここは曲げられません。九条一項、二項だけは一字一句変
    えないというのが、私の政治家としての信念であり、理念であり、哲学なんで
    す。」

    古賀誠「(※集団的自衛権の解釈変更によって)専守防衛を乗り越えて、戦争
    ができる方向に進んでしまったのです。その上で憲法改正をやられたら、戦争
    をしないという九条によって宣言した誓いはどうなってしまうのか。 」 

    古賀誠氏「(※憲法九条の)一項、二項とも残して自衛隊のことを書くと言いま
    すが、少しでも憲法九条改正につながるようなことは針の穴程度でもやっては
    ダメなのです。それが、九条一項、二項を守るということにつながると思うので
    す。」 

(5)  九条の二3項の「法律のさだめるところにより」も「国際協調」も本心は
  軍事的なものを意味する。

   なにしろ、自民改憲九条は、平和憲法に不満があって改変しようとするもの
  ので、政権が戦争しやすくするためのものと腹をくくっておかねばならな
  い。

   それにしても、「安全保障」と聞けば「軍事直結型」の単純脳点滅政治家や
  単脳点滅街角スピーカーがやたらに反応するのが不思議です。

   彼らの特徴は、兵器武器にくわしいが軍事費膨張不感症。口うるさい「お国
  を守る」派の中から、隊員不足の自衛隊を助けるために息子が応募したとか、
  若者本人が応募して身をお国の盾にするというエピソードを聞いたことがな
  い。

(6)    九条の二4項は世論誘導、思想統制、秘密漏洩取り締まり。 
   これもこわい、こわい。 
   
(7)  国境紛争の始まりは、出先の軍人の跳ね返りで始まることが多い。武器兵
  器を持って強がって応酬して駆け引きをくり返して、やがて偶発事故が起きた
  かのような小規模な戦闘が起きる。そして当事国同士の意地やメンツの応酬の
  結果、実戦が広がる。

   軍事抑止力の争いは意地の張り合いで、どっちか先に切れた側が殴り込んで
  戦闘が始まり、戦闘休止のにらみ合いを経て、双方応援部隊を得て戦闘再開。
   経過によっては双方政治家や国民のうちの戦争囃子方が、後方の安全地帯か
  ら戦闘拡大を煽る。

(8)  歴史を見ると、戦争ストーリーのオンパレードです。それでも戦争のない
  平和ストーリーの時代の方が遥かに長い。「戦争の時代」より「平和の時代」
  が勝っています。


自由民主党日本国憲法改正草案 平成24年4月27日決定  

 (平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権
 の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争
 を解決する手段としては、用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

 (国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内
 閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところに
 より、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定
 めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調し
 て行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守る
 ための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する
 事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍
  の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところによ
 り、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴す
 る権利は、保障されなければならない。

 (領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び
 領空を保全し、その資源を確保しなければならない。


   古賀誠氏の上記語録の出所は、古賀氏の著書『憲法九条は世界遺産』です。
   版元のかもがわ出版の所在地を見ると、わたしが卒業した滋野中学校の学区内です。
   一気に中学校生活の思い出がよみがえります。
   

 
コメント

憲法九条は世界遺産

2024-05-11 23:31:18 | Weblog


  『憲法九条は世界遺産』
 血と汗と涙が憲法九条には込められている。


 いいことばですね。
 元自民党幹事長、元遺族会会長という経歴の古賀誠氏のことばです。
 血と汗と涙が憲法九条には込められている。
 ── まことにその通りだと思います。


 憲法9条を何としても守りたい、とわたしは思ってきました。
 そして『憲法九条は世界遺産』という古賀誠氏のフレーズに接して、
 憲法9条の評価を世界遺産にまで高めたいと思うようになりました。


 総理大臣は第一に国民の生活に責任をもたなければいけないと古賀誠氏は言い、その責任の一番大切な要諦は「平和」だと言います。

 単純明快、理屈抜き。わたしたちは「平和」の地盤に立ってこそ、太陽を仰ぎ見て暮らすことができます。戦争がもたらすものは、破壊、殺人、傷害、病害、身体しょう害、精神しょう害、飢え、渇き、不安 、死別、生き別れ。


 古賀誠氏2歳のときに父が招集兵として戦地に送られ、4歳のときにフィリピンのレイテで亡くなりました。戦死か戦病死かわかりません。古賀誠氏は1940年 (昭和15年) 生まれで、父親の記憶はありません。母親は姉娘と誠氏の2人の子を、乾物の自転車行商をして育てました。子ども時代、寝ている母を見たことがないと古賀誠氏は言っています。暮らしはずっと貧乏そのものでした。

 古賀誠氏の子ども時代は、父の記憶がない寂しさと母のたいへんな苦労と苦しい貧乏暮らしが戦争と直結しています。


 古賀誠氏 「私の世代ですと、9条を守りましょうという理想を持つのに、自民党の中でも特別な努力はいりませんでした。宮澤喜一さん(1919年~2007年総理大臣)も護憲論者、大平正芳さん(1978年~1980年総理大臣)も護憲論者、田中六助さん(通産大臣、内閣官房長官、自民党幹事長など歴任)も護憲論者、後藤田正晴さん(内閣官房長官ほか歴任)も護憲論者です。」  (古賀氏著「憲法九条は世界遺産」から)


 ──自民党の有力者に護憲論者が数々居るというのは、隔世の感ありですね。


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